あんこ事件、その3

この事件、まず原因として、以下の二点が挙げられる。

1)私の中の抑圧された怒り
2)批判されることに対する夫の「Defensiveモード」の発動

1)は、「あんこ事件、その1」にも書いた通り、言いたいことを言えなかったという子供のころの経験にもとづいている。これにはだいたい、

①言いたいことを押し込めることで、生存環境を確保する
②言ってもなにも変えることができなかった経験から、言わないようにすることを身につけた

という二つの理由があるだろう。

①については、子供には「親に愛されたい」という本能がある。親に好かれたいために、自分の言いたいことよりも親の気持ちを優先する。「日本で潜在意識に働きかける」に書いたように、私が母親に対して駆け寄りたい気持ちを我慢していたことがこれに当たる。

またこの「親に愛されたい」という本能は、自分の生命を維持するために必要なことでもある。子供は一人で生きていくことができないからだ。「親に嫌われたら放り出されて生きていけない」という生命の根源に関する恐怖心から、親に好かれることで自分の生存を確実なものにしようとする。親に対する安心感の欠如は、このような形で出てくる。だから親に対してギャーギャー騒いでいるような子を見るたびに、安心感がきちんとある健全な子供なのだなと思う。

こうして、親の愛情を求める気持ち、自分の言いたいことを押し込めることで親に好かれ、「家庭」という自分が生きていくために必要な環境をより確実なものにしていきたいということから、「自分の言いたいことを言わない」というサバイバルテクニックを身につけたと考えられる。

②も同様に、「言いたいことを言わない」というサバイバルテクニックになるが、こちらは言いたいことを言っても満足のいく結果を得られなかったという経験、もしくは逆に大きく傷つくことになったという経験からきている。

言いたいことを言っても聞いてもらえなかった、もしくはよりひどい事態が返されたとなると、そのうち「これなら言わないほうがましだ」と子供は学習する。というのも、それでも言い続けてしまった場合、生きていけないほど傷つくことになるからだ。それを避けるために人間の自己防衛機能が働き、「言わない」ということを身につける。

この①と②によって、言いたいことを言えなくなったのが私の中にある問題だ。子供のころはそうしないと生きていけなかった、生きていくために必要だったテクニックだけれど、大人になった今となっては人との円滑なコミュニケーションを妨害してしまう。これに気づき、子供のころの言いたいことが言えなかった自分を癒やすことが必要になる。「ありがとう、おかげで生き残れたよ、今はもう必要がないから、大丈夫だよ」と。

癒せてきてはいるものの、人間だからたまにこれが出てしまうことがある。今回はまさにそうだったのだろう。最近夫にかなりいろいろ言ってしまっているなと感じていたこと、そして夫の冬休み最終日ということが重なり、言えなくなっていたと考えられる。

2)については、過去のカウンセリングの記事に詳しく書くつもりではあるけれど、夫には人から批判されることにトリガーがある。そういう場面に出くわしたり、また相手は批判するつもりなどまったくないのに勝手に「批判される」と感じてしまうこともあり、過剰防衛に走る。これを英語で「Defensive(ディフェンシブ)」と言うので、「Defensiveモード」と名前をつけている。

この「Defensiveモード」が発動したときは、なにを言っても「批判してくる」と完全に思い込んでいるため、とにかく反論して打ち負かすことだけに全力を注いでくる。釘だらけの壁が背中に迫ってきているかのように、必死だ。夫が言うことをまともに言い返しても意味が無いので、これが出てくると話ができない。

これも子供のころに身につけたサバイバルテクニックであり、自分の中にまだいる子供の自分を癒すことで回復していく。また勝手に反応せず、一度間をおいて、相手がなにを言いたいのかに集中することが必要になる。最後まで聞いてみれば、相手に批判するつもりなどさらさらなく、逆に相手が自分をほめようとしていることだってある。「なーんだ」と思う経験の積み重ねで、回復していくことができる。

カウンセリングをやってからもうずっとこれが発動することはなかったのに、また突然起こるようになってきた。この原因はあとになってわかってくるけれど、このときはなぜこれがまた出てきたのかよくわからなかった。

そして、これの対処方法としては以下の通りとなる。

1)私の中の抑圧された怒りの原因を探り対処する
2)「Defensiveモード」の解除

1)については、「あんこ事件、その2」に書いた通り、怒りの下に隠れているもう一つの感情に光を当てる。二次感情である「怒り」について話していても拉致はあかない。その下に隠れている一次感情に気づくことが重要となる。

今回の場合、私は「親に好かれたい」をに対してやってしまっていたことになる。夫に好かれたいため、嫌なことを言いたくなかった。そしてそれがわかってもらえなかったため、気持ちを汲んでもらえなかったために、「悲しみ」が出た。その「悲しみ」が膨れ上がってどうしようもなくなり、このままでは自分の生存を脅かす危険がある、つまり「傷つきすぎて生きていけない」となるのを防ぐために、人間の防衛本能でそれを「怒り」に変える。

なので表面に出ている「怒り」ではなく、その下に隠れている「悲しみ」に光を当てて、その気持ちを自分や相手に汲んでもらうことが必要となる。それを私は自分でやってのけた。素晴らしい。本来なら、これを一緒にカウンセリングで勉強した夫がやってくれるべきことなのだ。でもその夫が「Defensiveモード」を発動しており、使えないばかりか逆のことをしてさらに私を追い詰める。本当にクソ男だと思う。

なので、2)が必要になる。私は1)をやりつつ、2)もやらなければならないのだ。自分が傷ついているときに。どれだけ大変なことか。車でひかれたのに加害者が「お前がそこにいるから悪いのだ」と怒っていて、それをなだめつつ、「そこにいて申し訳ありませんでした」と私が慰謝料を払い、自力で病院に向かってさらに自分で手術をするようなものだ。

これが本当につらい。夫も自分で自分をどうにかできるようにと、カウンセリングでやったのだ。そしてそれができるようになって本当に助かり、これなら一緒に生きていけると思ったのだ。それがまたこんな事態になった。

人間だから、一度できるようになったとしてもまたたまに後退することもあるだろうし、しかたのないことなのかもしれないと思っていた。でもそうではなかった。カウンセリングを経て、夫は大きく変わったのだ。それで普通に暮らせるようになっていた。でもとある原因があって、このときの夫はおかしくなっていた。それにやっと昨日気づいたので、これからはそうならないように気をつけていくこともできるようになった。

そこにたどり着くまでにまたいろいろあった。この「あんこ事件」は、その一連の流れの始まりだった。

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