夫の母親

また、カウンセリングで夫のお母さんについても話をした。

「きっとお母さんもネグレクトしていたわけではないと思うけれど、自分のことばかりで息子をきちんと見れていなかったのではないか」とカウンセラーに言うと、「ネグレクトではなかったと思うか?」とカウンセラーが言い出した。

空気が止まった。

言われてみれば、その通りだった。思い当たる節がありすぎた。

以前のカップルカウンセリングでも、私は「うちの親は私のことをまったく見ていなかったし、今でも見ていない」という話をしたことがあった。そのとき夫は「母親からきちんと愛情を感じていた」と話していたのだけれど、ちょっとおかしいと思ったことがあった。

子供のころ夫は、田舎で海や森を駆け回って遊ぶ毎日を送っていた。そんな中、ものすごく高い木に登って、落ちたことがあったらしい。奇跡的に怪我一つなく助かったのだけれど、死んでいてもおかしくはなかったそうだ。でもその話を母親にしたとき、お母さんは心配そうな顔をしたから、自分は愛情を感じられていたと、そう言っていた。

だがそれって、おかしくないだろうか?

普通なら、「もう登ったらいけません!!」などとめちゃくちゃ怒るものではないだろうか。夫はきっと「愛情があった」と信じたいのだろうけれど、絶対おかしいと私は感じていた。さらに夫は「いつもそうやって危ないことをしていたから、遊びに行っていきなり死んでしまうなんてことがあっても不思議ではなかった」などと言ったりする。そういうことを言う自体、満たされていなかった証拠ではないか。「遠くへ行くんじゃありません!!」と怒って心配してほしかったのではないだろうか。

大騒動の襲来」のときだって、そうだ。別居しカウンセリングを受けている息子夫婦、その嫁が予定を切り上げて突然帰ってしまった。普通の親なら「大丈夫か?」と息子の心配をしないだろうか。間違っても「久しぶりに息子と年末を過ごせる!」と喜んだりしないだろう。

さらにカウンセラーから、驚愕の話を聞いた。「夫の仕事が決まって」それをお母さんに言ったところ、「じゃあもうちょくちょく来れなくなっちゃうのね」と悲しんでいたというのだ。

どこの世界に、息子の就職を喜ばない親がいるのだ。息子が夫婦で仕事がない上、カウンセリングでじゃんじゃんとお金を使う。ずっとこのまま生きていけるわけがない。いくつも面接へ行って、やっとつかんだ仕事だ。息子が自分に毎週会いに来てくれるよりも、よっぽど仕事をして生活してくれることのほうが、親にとっては安心なはずだろう。嬉しいはずだろう。それがない。

毒親の予感」の通り、この人はまさしく毒親なのだと思った。

夫の妹が壊れているのも、夫がこんなであるのも、まさしくこの人のせいだ。この調子なら、お姉さんだって壊れているに違いない。

私が予定を切り上げてお母さんの家を出てきてしまったあと、残された夫は妹と話をしたそうだ。そこで夫はこの家族になにがあったのかを、生まれて初めて聞いた。その話があまりにも衝撃的だった。

夫は5〜6歳のころから義理のお父さんと暮らしてきたわけだけれど、夫が十代後半のころにお母さんはそのお父さんとも離婚した。ある日突然、お母さんは子供たちになにも言わず家を出て行ったのだそうだ。義理のお父さんが部屋にやってきて、「お母さんは出て行った」と告げられた。夫はお母さんを探して家を出た。でももうどこにも見つけることはできなかった。

ここまでは、夫から聞いたことがあった話だった。でも、なぜお母さんが家を出て行ったのかを知らなかった。二番目の旦那にも浮気をされたかなにかで、絶望して出て行ったのだろうと私たちの間では話していたのだけれど、実際はまったく違った。

浮気をしたのは、お母さんのほうだった。しかも、義理のお父さんの親類と。

このころ、義理のお父さんの親類が海外から引き上げてきていて、家には知らない人がたくさん泊まりこんでいる状態だった。家の中がつねにわさわさしていてまったく落ち着かず、大変な時期だった。それに加えて、お母さんが浮気をした。しかも相手は、夫からするといとこに当たる人だった。お母さんはそれがバレて家を出て行き、さらにはその浮気相手にお金を持ち逃げされている。義理のお父さんはこのとき、自殺未遂までしたらしい。

それはそうだ。私でいえば、夫が私の姪と浮気をするようなものだろう。頭もおかしくなる。

カウンセラーも言っていたけれど、このお母さんは自分の幸せを求めることで精一杯で、子供たちに充分な愛情を与えてこれなかったのだろうと思う。「親から望まれていなかった」という穴を埋めるべく、自分が愛情をもらうことしか考えられない、「愛情ゾンビ」なのだ。だから息子の幸せよりも、自分のことしか考えられない。息子が嫁とうまくいくよりも、自分と年末を過ごしてくれる一瞬の喜びに走ってしまう。息子の就職よりも、自分に会いに来てくれるほうを望んでしまう。

そういうお母さんのもとで育ったもまた愛情を与えてもらえず、「愛情ゾンビ」になっていたのだ。だから見た目は妻に尽くしているように見えるのだけれど、実際は自分のことしか考えられない。自分の弱いところから目を背けるために、妻を攻撃してしまう。妻が傷つくことよりも、自分の矜持が大事なありんこになってしまう。

実はこれをずっと夫に訴えていたのだけれど、夫はまったく理解していなかった。夫はよくある嫁姑問題だと思っていたらしく、「そうだね、お母さんはKelokoのこと大切に思っていないよね」などと言っていた。馬鹿か。

そこで「そうではない、お母さんはあなたのことを大切に思っていないのだ」と言ってやった。

珍しく夫が「え…???」と固まった。

息子が将来嫁とうまくいくことよりも、年末自分と一緒に過ごす一瞬の楽しみをとってしまうお母さん。息子が木から落ちたと聞いても、怒って木登りを禁止にもせずちょっと悲しい顔をするだけのお母さん。息子の就職よりも、会えなくなる寂しさが先に来てしまうお母さん。

私がこんこんと説明すると、夫は反論することもなく黙って聞いていた。きっと他にもたくさん思い当たることがあったのだろう。「頭ではわかるけれど、気持ち的には信じられない」と、大きなショックを受けていた。

きっと、ある日突然「自分の親が毒親だった」と知る人というのは、このようなものなのかもしれない。私の場合は、もうずっと親がおかしいと思って生きてきたから「これか!ついに見つけた!」という気持ちだったけれど。そうではない人にしてみれば、突然まったくの別世界に放り込まれたような思いをするのかもしれないと思った。

ここが、夫の大きな転換点だった。

愛されていたと思っていた。愛されていたと思い込みたかった。でも現実に起こったことをきちんと見てみると、必ずしもそうではなかったということがわかった。たぶん、愛情がまったくなかったわけではないだろう。でも自分が自立し生きていく上で、充分なものではなかったのだ。

ここからがたぶん大変な戦いになるのだろうと、私は思った。でももう頑張るしかないのだ。これを脱して、きちんと「大人」になる方向へ進んでいけないと、一緒にいることはできなくなる。理解はしただろうけれど、ここから「どう脱していくか」がこれからの議題だった。でも、もうそれまでの気づきのなかった世界とはまったく違うのだ。

 「あなたのことを一番きちんと考えているのは、私だ」
 「向こうでなにを言われても、ここがあるのだから、帰ってくればいいからね」

そう言って、お姉さんの家に出かけていく夫を見送った。

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2件のコメント

  1. なかなか難しい話ですね・・・割と依存と愛情の区別がついていないってところは母私含めてすごい参考になります。
    割とここの区別がすごい難しいんですよね。自分自身も正直それで何か自分が道化みたいに思えちゃうときがすごいあって。
    確かに「助けたいと思う」ってのは割りと私も純粋とか誠意とか思い込んで行き過ぎるところはあります。たぶん毒親AC全般に言えることなんでしょうね。

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    1. > マーゴットさん

      依存と愛情の区別は本当に難しいと思います。日本では特に古い世代の人たちの中には、たとえば体罰を愛情としていたりなど、まったく区別がついていない人が多いと思います。やはりこれも毒の成せる技ですよね。やはり毒のからくりを世の中に広めることが必要だなと思います。

      いいね

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