夫の膜が取れた

Authenticに生きた」で書いた通り、夫とまた一緒に暮らし始めた。

クリスマスから年明けの滞在予定で行った夫のお母さんの家を数日で出て、夫も私を追って帰ってきた。年明けに二人でカウンセリングにも行き、このときはこれでもう大丈夫だとさえ思えるようになった。最終的な解決は、ここからまだ一年以上はかかることになるけれど。

でもこのとき、夫と「直接」話ができるようになった感じがした。初めての感覚だった。

それまではなんとなく、夫はに浮いていて、それを一生懸命引っ張り下げて話をするような感覚だった。それでも体の周りに薄い膜が張っていて、なにを言ってもその膜に阻まれて、私の言葉がきちんと夫に届かないまま、地にぼろぼろと落ちているような感じだった。何度も何度も、全身全霊を込めて泣き叫んできたのだけれど、この人にはまったく届いておらず、もうだめなのだと思っていた。

ところが、夫がお母さんのところを出て家に戻り謝ってきたときに、その膜がなくなっているのに気がついたのだ。

驚きだった。卵の薄皮がつるんとむけたように消えていて、夫と直接話ができている感じがした。このとき夫と知り合ってちょうど10年だったけれど、本当に出会って初めての感覚だった。

そのあとも波はあるものの、きちんと私の言葉が届いていてそれに反応している感覚はなくならなかった。まだまだ完全に信頼することはできなかったけれども、なにかが確実に変わっていることは実感していた。

そんな中で、夫が私の料理に対してやたらと「おいしかった、ありがとう」と言うようになった。これはいったい、なんなのだろうと思った。

離れて暮らしてから、三か月。帰宅した夫は、大きくなっていた。

友人のところに泊まっていたときは、毎日テイクアウトの外食だったそうだ。お母さんのところでは、Chips(フライドポテト)が主食の生活だったはずだ。なにを食べていたのか聞いてみると、冷凍食品や、レンジやオーブンで温めるだけのフィッシュ・アンド・チップス、パスタや芋だったらしい。イギリスでは定番の食事だ。

夫は突然、「姉さん夫婦だって、なにも言わないけれど問題があるはずだ」と言いはじめた。

最初は年末の「大騒動の襲来」のことを言っているのかと思ったけれど、そうではないようだった。

夫のお姉さんの家は、夫婦と息子二人の四人家族なのだけれど、巨漢揃いだった。義理のお兄さんは足腰にきていて、年末に会ったときはとうとう一人でソファから立ち上がることもできなくなっていて、息子たちに引っ張ってもらっていた。あれなら相当な健康の問題があるはずだし、お母さんだって心配していた、なのに自分たちの前ではいつもなんの問題もない顔をしている。おかしい、と。

びっくりした。夫がこんな現実的なことを言うとは、それまで思いもしなかった。

夫は若いころに無一文になり、しばらくお姉さんの家に世話になったりしていた。「姉さんがいなかったら今の自分はいない」と言う。でも、「家族」ならば当然のことでは?

もちろん、「世話になって当然」と思わなくていい。でも誰にだって失敗をしたり、病気になることだってある。そのときに家族と助け合うくらい、そんなにも申し訳なく思う必要はないのではないだろうか。歳の若い弟が、少しばかり姉の世話になって、そこまで恐縮する必要があるだろうか。

だから今まで、お姉さんに言いたいことを言えなかったり、お姉さんの有り様に疑問を持ったりしたことがなかったのではないだろうか。お姉さんが言うなら「そうなのだ」と思ってきたのではないだろうか。毒親育ちの「Authority(権威)が苦手」という特徴だ。

もちろんお姉さんも毒親育ちだし、安心できない親のもとで弟と生きてきて、苦労をしたのだろう。自分がしっかりしなければいけないと思い込んで、なにに対しても上から目線になってしまうのはしかたがなかっただろう。

夫はきっとカウンセリングで、「お姉さんにだって問題があるはずでは」とでも言われたのだろう。どんな夫婦でも、問題の一つや二つあるはずだよと。姉を「Authority」ではなく、自分と同じ人間として見れるようになるような、そんな気づきの一歩となることを言ってもらったのでは。

だからこそ、「自分のためにヘルシーなご飯(一般的なイギリス人からすれば、普段私が作って食べているすべてのものがヘルシーだ)を作ってくれる妻」に感謝の気持ちが出てきたのではないだろうか。食事にうるさいけれど、薬局の無料健康診断のお知らせを持って帰ってきてくれる「自分の健康を気遣ってくれる妻」に、感謝の気持ちが出てきたのではないだろうか。

すぐ問題を追求する面倒な妻かもしれないけれど、問題を無視して生きているお姉さんとは違うではないですか、あなたのことを大事にしてくれるいい奥さんではないですかとでも、カウンセラーに言われたのでは。

夫のお父さんは、心臓の病気で亡くなっている。それで夫は若いころから、自分も同じ病気になるのではないかと不安に思っていた。そんな自分の健康をケアしてくれると思うと、私のガミガミも「大事にされている!」と思えるようになったのかもしれない。

不安症でガミガミ言ってしまう私にも、もちろん問題はあった。けれどもそれを避けるだけではなく、いい面も見て受け入れていく。たくさん世話になった姉にも、問題だってある。夫も私も現実的にものごとを見られるようになっていくきっかけとなった。

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2件のコメント

  1. 初めてコメントします。
    とっても、読みやすく、心に届く文章ですね。
    心に届く ということは、私もやはり、毒親もちだったのだな、と再認識しています。

    パートナー間のやりとり、とても、腑に落ちていきます。

    あぁ、単独でいることって必要で良いんだー。と、軽くなりました。

    からっぽの家族も、まさしくそのとおり!で、仕事や、お金の話、噂話、テレビの話等々
    しょうもない会話だけが、上擦っていった からっぽさ でした。

    カウンセリングを受けること等、勇敢な私 という表現が、おぉ!そうですよね!なんて
    これまた、腑に落ちています。

    カウンセリング、私も3年あまり受けているのですが、今後も有効活用していこう と、思いました。

    カウンセラーさんとの相性も、一朝一夕ではなく、何年かかけて、信頼感を、育めているように思います。
    信頼。 健全で、適切な距離感ですね。 共依存から、つい、他者にすがったり、依存したくなりますから。

    こちらを、読んでいく中で、私は、 一個人として ひとり(単独) であったとしても、
     心は決して ひとりぼっち(孤独) ではない。
    そんな風に感じました。  (インナーチャイルドは、いつも自分の中にいる) 

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    1. > みんさん

      ありがとうございます。今のからっぽな日本の政治や人間関係を見ると、からっぽな家族が多いのだろうなと思います。でもそれに気づいた人たちがどんどん増えてきて、どんどん変わってきていると感じます。依存したくなるお気持ちわかります。私もカウンセラーとのつき合いを通して、適切な人付き合いを学び始めたのだなと思いました。一歩ずつ、ですね。

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