怒りという感情のメカニズム

年始に「Authenticに生きた」ことから、「勇敢な私」を発見した。

このときの夫についてカウンセラーは、なかなかカウンセリングを予約しなかったこと、そして私がキレたときに自分もキレたこと、そこには「恐れ」があったのだろうと言った。

いったい「恐れ」とは。

このとき夫は私の誤解を解くために、お母さんとお姉さんのところへ話をしに行かなければならなかった。その話とは、両者の反感を買い、反論を受けるであろう話だ。自分と自分の妻が問題を抱えている、その原因は自分の生い立ちにある、となれば、お母さんの育てかたを批判することになる。

それを言わなくてはならない。なことだ。できれば逃げたい。カウンセリングに行ったら、これを話し合わなければならない。話したくなどない。だからなかなか予約をしなかったのだろうと。

その上、予約しなかった夫を私が責めた。口では謝ったけれど、それは通じなかった。嫌だけれど、やらなければならない。Kelokoからのプレッシャーが嫌だ。自分にこんな嫌なことをさせようとするKelokoが嫌だ。なんでそんなことをさせようとするのだ。嫌だ!!怒る!ということだろうと。

そこで「怒る」ことは、私にも理解できる。でもなぜそれが「恐れ」なのだろう。

カウンセラーいわく、「怒り」というのは二次的な感情なのだと。他の感情が膨れ上がりすぎてどうしようもなくなったときに、それを怒りに変換して破裂するのを逃れるためにあるのだということだった。

たとえば、「悲しみ」。悲しすぎてどうしようもなくなったとき、それ以上悲しみを味わうと破裂してしまうから怒りに変える。親にひどいことをされたとき、怒ることによって「実の親にひどいことをされた」という悲しみが極限を超えるのを逃れる。

「怒り」というのはいわば、人間が生きていくためのサバイバルテクニックのひとつだった。

「怒り」を解決するには、その下に隠れている感情がなんであるかを見る必要がある。夫はこのとき、「不安」だった。嫌なことをしなくてはならない、それはやったこともないことだったし、極度の不安を抱えていた。それが大きく膨れ上がり限界を超えかけたので、怒りに変換して生き延びたのだった。

私にとっては至極理不尽な理由ではあるけれど、このわけのわからない夫の爆発は解明できた。

というのも、私は夫がどれだけこれをやりたくないかということがもちろんわかっていたのだ。だからお母さんのところへ行っても、高い確率でなんの話もせずに帰ってくるだろうと思っていた。仕事の話だとか、家を買う話だとか、これからの世の中これがはやるだろうとか、そういうどうでもいい話だけをしてくるだろうと。

このころ夫はまだ、前進し始めたところだ。自分たちが取り組んでいることがどういうことなのかを、あまり理解できていない状態だった。だから今中途半端に話をしに行ってもまた反論されまくり、最終的に向こうの意見を鵜呑みにして帰ってくるだろう。それよりも、もっとしっかりしてから行ったほうがいいのではと思っていた。

だがカウンセラーは、何度もやればいいのだと言った。びっくりした。たぶんこういう壁は一度で壊せるものではないだろうと。今やって、たとえ逆流してしまったように思えても、何度かやって少しずつ進んでいけばいいだろうと言った。

はっとした。確かにそうだった。一度でなくてもいいのだ。今回少しでも話をすることで、「おや?」と相手に思わせることが重要なのかもしれない。「今までになかったことが起こっている」と気づかせることが。

夫の一家には、「メンタル的なことを話さない」という闇の掟のようなものがあった。どの家族にも「暗黙の了解」というものはある。この一家は仕事やお金の話はよくするのだけれど、「メンタル的な問題は自分の中にしまっておかなければならない」という暗黙の了解があった。

その中で育った夫。大学生のときにバイト先に刃物を持った強盗が入ってきたことがあったけれど、そのことも誰にも話していなかった。小さいころにいじめにあっていたらしいけれど、それも親に話さなかったらしい。私もこのときカウンセラーから初めて聞いた。

夫はそれほど、自分のことを見つめたり話したりしないようになっていた。

お姉さんもそうだった。「大騒動の襲来」の通り、「いつでも話しにおいでね」などと言っておいて、いざ私が問題を持ち上げたら叩いてきた。夫いわく、お姉さんだっていろいろと問題があるはずなのに、そういう話は一切したことがないと。集まれば毎回楽しくお食事をして終わりだった。

考えてみたら、このお姉さんもよっぽどおかしいと思い始めた。

大騒動の前夜」で私がSNSに書き込んだところにコメントをしてきたのだけれど、そこには「ママが面倒をみてくれるわよ」と書いてあった。私はてっきりこれを「まあひどい旦那ね、かわいそうに、ママが面倒をみてくれるわよ!」だと思っていた。お姉さんはわかってくれたのだと。でも実際は「ママが面倒みてくれるのだから黙っておけ」ということだったのだ。

確かに、お母さんが面倒をみてくれるだろう。でもポイントは、誰かが面倒をみてくれるかどうかではない。「自分の夫」が、その「」である自分が床に倒れているときに「無視をする」という状況に対し、これでいいのかというところだ。

お姉さんは自分が倒れたときに、旦那さんがそれを無視してもいいということだろうか。旦那さんは倒れたお姉さんをスルーして普通に生活していて、お母さんがやってきて面倒をみてくれるということでいいのだろうか。そんなわけはないだろう。

そう思ったら、耐えられない怒りがわいてきた。まさに、「慕っていた義理の家族にないがしろにされて悲しい」という気持ちが限界まで膨れ上がったものだった。携帯のメッセージでとっさにあんなに平謝りしてしまったことが、死ぬほど後悔された。

夫もきっと、お姉さんからこういう目にあわされて生きてきたのだ。私が毒親に会いに行くのと同じように、今回気づきがあった上でお母さんのところに行くのは嫌だろう。その気持ちはよくわかった

カウンセラーいわく、夫はそういう「嫌だ」という気持ちを出していいのだということさえわかっていないのだろうとのことだった。「行ったあとでカウンセリングで話したいと思っていた」と言いわけするのも同様。「嫌だと思っている」ということを私とシェアしない、自分の頭の中だけで思っている。

「一緒に生きている感じがしない」「夫は一人で生きている」と私が感じるのも当然だった。私の気持ちだけでなく、夫は自分の気持ちも出さなかったのだ。

では、どうしたらいいか。

カウンセラーは、「How do you feel about visiting your mum?(お母さんのところに行くことについてどう感じる?)」と聞いてみろとアドバイスをくれた。そうやって、夫の気持ちを出してやるのだと。出していいのだと思わせていくのだと。そして帰ってきたら「How did you feel?(どう感じた?)」と聞いてやるのだと。

この「Feel(感じる)」という単語が決め手だった。「How was it ?(どうだった?なにがあった?)」ではなく、「How did you feel?(どう感じたか)」。これを意識的に使うといいと。

私はいつも夫がカウンセリングから帰ってきたときは「どうだった?」「なにを話したの?」と聞いていたのだけれど、夫はいつも「忘れた」「たくさんありすぎて思い出せない」だった。そういうメンタル的なことを人とシェアすることに慣れていないのだと。「そういうことは出してはいけない」という暗黙の了解の中で育ったからだ。

だから、その植え付けられた暗黙の了解を破ってやらなければならない。「嫌だ」「やりたくない」という気持ちを出していいのだということ、そうすることは別に悪いことでも弱いことでもなんでもないのだということを、理解させなければならなかった。

そもそも夫は、自分は強い人間だと勘違いしていた。夫の家族がそうだったのだ。メンタル的な話をするのは「弱い人間」のすること。

It’s alright(大丈夫)
It’ll be fine(放っておけばいい)
Time heals all wounds(時が解決する)

男気で放置することが、「強い人間」だと思い込んでいる。きっとこれは多くのイギリス人の根っこにあるものだと思う。

でも実際はそれこそが「弱い」ということなのだ。現実を見つめられない、対峙できない。それをするだけの勇気がない。なのだ。

きっと、たとえば仕事の面接などであったら、夫も準備をして勇敢に出陣できるのだろう。でも「メンタルなことは持ち出さない」という家庭で育った夫が、その家庭に「メンタルなことを持ち出さなければならない」となったとき、そのプレッシャー恐れはいかほどだろう。確かに思った。

でも、少しずつでいいのだ。千里の道も一歩から。

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8件のコメント

  1. はじめまして、ここまでの記事を最初から三日ほどかけて読ませていただきました。
    私も毒親の娘として育ち、子を産んで育てる中で、いかに自分が不当な扱いを受け、また
    親として自然に湧いてくるはずの子への愛情というものを受けずに育ったか
    実感する日々を過ごしています。とにかく親への怒りがものすごく、
    持て余してしまい、ブログに書きなぐり始めたところで、kelokoさんのこちらのブログを発見した次第です。
    こちらのブログを拝見し、なんと様々なことに取り組み、前向きで素晴らしい方かと感銘を受けました。
    そして、いくつかの記事では我がことのようにその怒りや絶望に共感いたしました。カウンセリングの内容も非常に興味深かったです。
    また、日本の社会やしくみそのものが毒親を育てるというか、人間としての自由や幸福よりも集団としての秩序を重んじるため、個人が幸せになりにくいシステムになっているのだな、と思いました。
    これからも読ませていただきたく存じますので、更新をお待ちしております。

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    1. > トリさん

      はじめまして。読んでくださってありがとうございます。最近なかなか時間がとれないのですが、書きたいという気持ちがわいてきました。ありがとうございます。私もカウンセラーに言われましたが、書くことはすごくいいと思います。こちらのワークブックでも、親にされたことを書き出すワークがあります。

      「アダルト・チルドレン癒しのワークブック」
      https://gedokunosusume.wordpress.com/2015/08/06/ac-workbook/

      私も日本は社会そのものが毒親だと感じます。たぶん戦後の環境の変化などで、今の社会を作った世代に毒親的な考えに育ってしまった人が多いのだと思います。これからどんどん解毒する人を増やして、人がラクに生きられる社会にしていきたいと思っています。

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  2. 初めまして。
    だいぶ愛着障害から回復しつつあると感じている、30代前半の女性です。
    血の繋がらない毒母に育てられました。
    怒りの下にある感情、と言う視点は、すごく役に立ちました。

    私は普段の生活ではあまり愛着障害を感じることがなくなってきたのですが、人間関係でトラブルになったとき、これでもかと言うくらい憎々しげに相手を攻撃することが止められません。
    纏った毒針の下には、きっと小さな子供が肩を震わせて泣いているのでしょう。ちゃんと正当に扱ってほしい、我が儘を言っても嫌わないでほしい、自分を受け入れてほしいと。相手に毒針を突き刺して、それでも逃げていかない人を求めてしまうのだと思います。
    私は職場でもある程度まではとても穏やかで、我慢強いのですが、一旦限界以上の理不尽なストレスがかかると、相手を際限なく攻撃してしまいます。難しいです。

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    1. > kotoさん
      初めまして。難しいですよね。限界を超えたストレスがかかると相手を攻撃してしまうのだと気づいていらっしゃるのはとても重要だと思います。主なトリガーはあるのでしょうか。私の場合は自分がきちんと聞いてもらえていない、扱われていないと感じたときに、勝手に縁を切ってしまったりしていました。回復が進むにつれて、相手の意図を確認したり自分はこうされるとこう感じて嫌なのだと言えるようになり、問題は減りました。kotoさんにも、毒針を突き刺さなくても大丈夫なのだと思えるようになるときがやってくるのだと思います。

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      1. 初めてコメントします。
        自分を見つめることは進んでいましたが、夫の心の中にある事の気づきは進んでいなく、kelokoさんの記述は、目から鱗でした。
        夫の心の中は、避けたい一心で、その行為で自分を守ってきたのだから、心を開くなどとんでもないことです。超安心型の父と典型的な毒親の母の間の子供である私は、父の気質も持っているため、夫はそこに惹かれたのでしょう。でも、望みが大きすぎて、持ちこたえられない私は、結局、良いところを潰されてしまい、母が作った気質が前に出てきて、ダメな自分になっています。

        周りのどの人もが偏屈と言う夫の気質。もう、別れて暮らすしかないような気分になっています。
        夫の安全基地になる重役。それを引き受けられる自分を、母との記憶をひきづっている不安型の自分が、自力だけで作っていく困難さ。

        自分の道は、少しづつできているのですが、子供が離れ、仕事を無くそうおしている夫は、益々、悪化する状態です。悩むと、頭が作動停止になって、空白の時間に驚く自分。
        迷いの中です。

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      2. > Rokoさん

        人の安全基地になるのは大変だと思います。よっぽど安定型の人なら可能かもしれませんが、専門家にやってもらうのが一番だと私は思います。うちは今ではお互いで安全基地になり合うことができるところまできましたが、カウンセラー抜きにはここまで来ることはできませんでした。専門家を頼る、もしくは誰かと役目を分け合えるといいですね。

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  3. このところ、日本でも、何か問題があると
    カウンセラーや専門家を頼れ、という風潮がありますが、日本のカウンセラーは、そのレベルでは全くありません。イギリスとは全く違うなぁ、と感じます。日本全体が毒親的であり、カウンセラーも、たいした教育は受けておらず、医師免許を持ってる人が、自分の
    独断と偏見でやってる、上っ面だけの教科書を読んでやってる感じで、大人ならまだしも、ちゃんとした人間関係が必要な若者には、良くない人間関係になりますし、正直、時間の無駄でした。カウンセラージプシーで疲弊してる人もいるでしょうね。私は正直
    気持ちの問題以上に、経済的なことや、世の中のシステムの方がしんどいです。部屋を借りたり、税金や申請など、なんでも血縁頼みのシステム。縁を切ってやろうとすると、かなりの労力で疲弊します。ちゃんと切りたいですが、あまりに疲れるので、着手しにくいです。生きるには、新しいことをするエネルギーも必要ですから。でも、切らないと安心して楽しく新しく取り組みにくい。なのに、お金のことだけは個人背負いなのです。お金のことで独立した人にだけ人権があるようです。アベコベです。毒親がいても、世の中のシステムがもう少ししっかりしていれば、助かる人がたくさんいると感じます。

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    1. > naさん

      私も一番お世話になったカウンセラーに出会うまで5人ほど別の人にかかっていますし、こちらではいい人を見つけられなくて帰国するたびに日本でカウンセリングを受けている人もいましたので、その都度の環境次第なのかもしれませんね。私もそうですが、今まで話を聞いたことがある人で自分に合ったカウンセラーを見つけた人は、友人や会社に紹介してもらった人ばかりでした。カウンセラー探しの上で、naさんのようにご自分で判断できることは大切だと思います。日本のシステムは毒親育ちにとってはしんどいですよね。人それぞれかもしれませんが、私の場合はイギリスに住んでいるほうが遥かにトリガーされることが少ないです。だから日本で解毒に進んでいらっしゃる人たちを本当に尊敬しています。でもこれからどんどん環境は変わっていくと思っています。

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