夢が教えてくれたこと

年始に「悪夢にまた変化」があったけれど、それにまたかなり大きな変化が現れてきた。

武道館のような大きな講堂で、真ん中に教壇があり、私は後ろのほうに座っている。壁は白くて、屋内なのにかなり明るい。それとは対照的に、教壇から四方に伸びている階段は暗い。授業が終わって、その階段をみんなが上って講堂を出て行く。

在英の友人に「年始どうしてた?」と話しかけるも、「うん…」と繰り返すだけで話してくれない。もしかしたらさっきも同じことを聞いたのに、忘れてしまってまた同じことを聞いているのかもしれない。嫌われてしまったかと思う。

講堂を出て普通の教室に戻ると、中学校の同級生が隣の席に来てなにかを言ってくる。でも面倒で相手にしない。別の隣には、実家の隣の家の男の子が座っている。みんながガヤガヤ話していて、さっき話をしてくれなかった友人が保健室に行ったとのことだった。嫌われたわけではなく、具合が悪かったのかとほっとする。

次の授業を待っていると、母親と妹が教室に入ってきた。母親はとても上等な赤い着物を着ている。その母親が、悲しそうな表情を作り、いかにも「私はいい親です」といった空気を全身から演出しつつ、みんなが見ている前で「今まで本当にごめんね」と私に謝りながらお詫びの包みを差し出してくる。

私はめちゃくちゃ頭にきて、母親を追い出す。以前の自分だったら、「周りで人が見ているところで追い出したりしたら自分が悪者に見えてしまう」などと考えて、そんなことはできなかった。でもここでは「周りが見ているからこそこいつらをやっつけてやろう」と思い、大声を出して追い返した。二人はすごすごと出て行った。でもカウンセリングで学んだことを考えてみたら、きちんと私の意見を言ってやらなければならないのではないかと思っていた。

そこに今度は母親の弟、私の叔父に当たる人がガリガリに痩せて入ってきて、謝りながら10万円の包みを差し出してきた。もう一人別の叔父からも、包みを預かっているらしい。「またカネで解決か」と思い、怒り心頭になる。これを突き返さなければ、やはり母親に言うことをいってやらねば。

教室から追い出した母親と妹を追いかける。でもちょうどガラス張りのエレベーターで上に上がって行ってしまったところが見えた。私が追いかけてきているのを見て、ほらほらやっぱり許してくれるのねと思ったのか、エレベーターで降りてくる。

もうやつらの都合もなにもない、今ここで全部ぶちまけてやると思い、エレベーターのドアが開いたところで母親の胸ぐらをつかんで壁にぶち当てた。そして「お前がいつも私の気持ちを存在を無視してきたからこんなことになって苦しめられてきたんだ」というようなことを、大声で叫びまくった。

そこできっとまたすっとぼけて人の話を無視するだろうと思ったので、とにかく相手がどう出てくるかは考えず、とにかくひたすらこちらの言うことを言い続けた。黒板があったのでこれを使おうと思い、ピンクのチョークしかなかったのだけれどそれでもいいと思って、とにかく殴り書きに書いて叫び続けた。「父親」「母親」と書いて、「父親」にバツをして、「父親がだめでも母親がちゃんとしていたら大丈夫なんだよ!!」というようなことを叫んだ。

でも黒板にはいろいろな絵が描いてあって、私が書き込むスペースがほとんどなかった。その上にスペースが見つかっても、きちんと字が書けなくなってきた。そのうちまただんだんと口が動かなくなってきて、それでも必死に動かして叫び続けた。そこで目が覚めた。

それまでとこの夢が決定的に違うのは、「世界から切り離されていく恐怖」がなかったことだった。いつも通りに口は動かなくなってきて、そこで母親がこちらを見ずに左側の顔を向けていたのだけれど、自分の存在がなくなるような恐怖はまったくなかった。それよりも、とにかく言いたいことを言ってやらなければと必死に頑張った。大きな変化をまた感じた。

そしてまた、友人が出てきた部分も大きな意味があると思った。

友人の素っ気ない態度に、なにかしてしまったのではないかと思って怖くなってしまう自分。でもそうではない、友人は具合が悪かったのだ。

なにか悪いことがあると、自分の中に悪いところを探して自分を責めてしまうのは、自己肯定感のない毒親育ちが抱える典型的な問題だ。でも、それは現実的ではない。人が素っ気ない態度をとる理由はいくつも考えられる。自分がなにかしてしまったことが原因とは限らない。それを夢が教えてくれたのでは。

それにまず自分を責めるのではなく、友人の具合に気づけていたら、「なにかあった?」と言葉をかけてあげることすらできたかもしれない。自分を責めるよりも、有意義なことができたかもしれない。

そういうことを、夢、つまり自分の潜在意識が教えてくれたのだと思った。

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2件のコメント

  1. こんばんは。

    夢って潜在意識の現われってよく言いますけど、やっぱり変わってくるんですね・・・私も過去のトラウマのことをよく悪夢で見ます。
    でも夢でも言いたいことを良し悪しにかかわらず時には言うってのはAC・愛着障害の人には一番必要なのかもしれませんね。なかなか相互関係ってところに頭が今でも回らないです。

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    1. > マーゴットさん

      コメントありがとうございます。私の場合は本当におもしろいように変わっていきました。印象深い夢を見たときはメモっておいて、カウンセリングで話してカウンセラーと分析したり。夢で言いたいことを言う練習なのか、言えるようになったことの象徴なのか、または言いたいことをもっと言ったほうがいいよというアドバイスなのか、その辺も考えてみるとおもしろいです。

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