冷え性が改善

次のヨガでは、ストレッチのようなポーズを主にやった。

セッションの最初に、下半身の冷えのことを相談してみた。私は上半身の血の巡りがすごくよくて、暑いとすぐ汗をかいてベタベタになる。でも下半身は、お風呂に入ってもサウナに入っても汗ひとつかかずにカラカラ。ひどいと、サウナに入っても脚だけは冷たいままだったりする。

この脚の血流の悪さが腰痛になり、さらには肩こりや首のこりに出ているというのは、前にも「再び指圧へ」で鍼灸の先生に言われていた。

これをヨガで先生に言ったところ、かなり下半身に集中したセッションになった。ふくらはぎを伸ばすようなものだったり、腰を伸ばすようなものだったり、体全体をねじるようなものなど、かなりのストレッチを行った。

すると翌日、なんと靴下をはいているだけで足があたたかいことに気づいた。家にいるときはモコモコの靴下をはいていてもそれだけでは寒く、これに毛布を巻いて過ごしていた。それが靴下だけで大丈夫になった。びっくりした。

これをSNSに書いたら、「どこのヨガ行ってるの?」「私もヨガやる!」とたくさんコメントがきて、またびっくりした。それまで私がヨガでいろいろな変化がありメンタルの上で回復してきていることにはまったく興味がなかったのに、「冷え性改善」という物理的な現象が出てきたとたんに急にたくさんの人が飛びついてきたことに驚いたのだ。

私にとっては、どちらも等しく発生したことだった。でもみんなには物理現象しか見えていない。人というのは現実の半分しか見ないで生きているのだ、ということにあらためて気づいた。

人間は、の二つでできている。どちらかだけでは生きられないし、体と心が相互に関係しあって、一人の人間が成り立っている。体だけが具合が悪かったり、心だけが具合が悪いということはありえない。体の具合が悪ければそれは心にも影響するし、心の具合が悪ければ体にも影響する。

私の冷え性が改善したのも、それまでにカウンセリングやヨガでメンタルが回復してきていたからこそだ。それがなかったら、単にこのストレッチをやっただけでは冷え性はよくなかっただろう。

でも誰もそんなことは知らない。当たり前だ。私も以前は知らなかった。

私と同時期に同じく日本で育っている人たちは、多かれ少なかれ私と似たような問題をメンタルに抱えている。だから同じく冷え性という問題がに出ているのだろう。でもメンタルの回復は彼らには見えない。これではきちんと回復していけない。

誰しも歯が痛くなったら、歯医者に行って治療をしてもらう。鎮痛剤を飲んで終わりにする人はいない。鎮痛剤でその場はしのげたとしても、根本的な解決にはなっておらず、また痛みが出てくることを知っているからだ。

冷え性も、あたためればその場はしのげる。ストレッチである程度改善できることもあるだろう。でも根本的な問題は解決されない。本当に一時的な運動不足だけが理由の人であれば、ストレッチでよくなるかもしれない。でもなにが原因かを総合的に見て分析して、そこを解決していくことが大事だ。

どうにかして伝えたい。その気持ちが、のちのちこのブログを書き始める原動力にもなっていった。

日本的な会社が苦手な理由」でも書いたように、日本では欠勤の連絡をすると「病院行った?」などと言われることがある。イギリスでは、風邪を引いても医者に行く人はいない。仕事を休んで家で寝込む。医者に行って薬をもらっても症状が止まるだけで、風邪自体は治らないからだ。

でも私も以前はそうしていた。風邪を引いたらすぐ医者に行って、大量の薬をもらって飲み、症状を抑えて仕事へ行っていた。熱も下がるし、咳も鼻水も止まるし、一見治ったように見える。でも治ってはいない。当たり前のことだ。そんなことも知らずに生きていた。

そもそもどうしてそんな非現実的なことをし始めたのか。がそうしていたからだ。

高度経済成長期を過ごした親の世代は、世の中がどんどん便利になる時代を生きてきた。冷蔵庫ができて、洗濯機ができて。それと同様に、以前なら寝込まなければならなかった風邪も、薬を飲めば症状がすぐ治まって働けるような便利な世の中になったと勘違いした。

そうして目先の利便性だけ追求して、現実に生きるということを忘れてしまった世代なのでは。人が生き物であるということを忘れて、薬を入れて修理するだけの入れ物になって。子供は親の持ち物で、社員は会社の持ち物で。

そうして、世の中がおかしな方向へ暴走してしまったのではないか。

そのほころびが徐々に出てきているのが、なのではないか。心身ともに病気になる人たちが出てきて、生きられない人たちが出てきて。その人たちが問題を見つめ解決していくことで、暴走から次々に抜けて、本来の現実に生きる生きかたを取り戻していく。

現実に生きるには、一人一人がどうどういう人間なのか、一つ一つがどういう状況なのかを見つめ、考えなければならない。面倒だ。みんな同じにして、周りと同じことをやっていればいいのだと思えば、考えなくていい。誰でもいい大学を出ればいい暮らしができて、それが誰にとっても幸せなのだと思い込んでいれば、ラクでいい。

でも実際それでは生きていけなかった。なぜなら、いい大学を出ることと幸せになることは、実は本来まったく別の話だったからだ。現実に生きるということは、一人一人にとって今この状況でなにがベストなのか、それをいちいち考えて生きていかなければならない。面倒だ。でもそれが実は人間本来の生きかたで、唯一の生きかたなのだ。

そこに気づく人たちが多くなることで、世の中が本来の方向へ戻っていく。今はそういう時期なのだと思った。

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