勇敢な私

Authenticに生きた」ことを、さっそくカウンセリングで話した。

カウンセラーは、私が自分の感情を尊重したことを「その通り」とほめてくれて、よくやったと言ってくれた。私の怒りは、現実だった。別に私が心配症だからとか、そんなこととは一切関係がない。この怒りの元は、私ときちんとコミュニケーションしなかった夫にある。

カウンセラーと話していて、このときなぜそんなにも夫にカウンセリングを受けてほしかったのか、その本当の理由に気づいた。

もちろん、夫の仕事が忙しくなる前に受けられるだけ受けてほしいということもあった。でもこの「大騒動から見えてきたもの」で、もしかしたらもう夫は大丈夫なのかもしれないとさえ思い始めていた。もちろんそんなわけはなかったのだけれど。

それならば、なぜそんなにも夫にカウンセリングを受けてほしかったのか。

夫はこのとき、またお母さんのところへ行くことになっていた。電話ではまったく伝わらず誤解のままだったから、実際に行ってなにがあったのかきちんと話をしてこいという約束を実行しようとしていた。だから私は、行く前にカウンセラーと話をして対策を練ることが必要だと思っていたのだ。

というのも、自分だったらそうするからだ。日本に行く、毒親に会うかもしれない。そういうときは絶対にカウンセリングに行って「出くわしてしまったらどうしたらいいか」という対策を練る。「毒親対策」で書いた通りだ。できるなら、日本へ飛び立つまで毎日でもカウンセリングをしたいくらいだ。夫だって、今回は一度電話で失敗しているし、自信だってないだろうから、カウンセラーに相談するのが一番だと思っていた。

カウンセラーは、「それは人によるだろう」と言い出した。

びっくりした。みんなそうは思わないのだろうか。

そして、「それはあなたがすごく勇敢だからそう考えるのだ」と言った。

いよいよなにを言われているかわからなくなった。

確かに「I am here!」で、ヨガの先生にも同じことを言われていた。でも私は日本に行くとなったら不安になって、カウンセリングを何回もして準備しないと無理だから、このときの夫のように事前になんの作戦も練らずに行こうとしているほうが、勇敢なのではと思った。

でもそれはなのだと。

私は勇敢で、とにかく「行くぞ」と気持ちを固め、カウンセリングで作戦を練り、あれもこれもと武器防具を調達して出陣する。でも夫は武器どころか戦そのものの話をすることもできず、自分たちのために戦わなければならないことはわかっているけれど、あわよくば逃げ出したいくらいだろうと。

そこが、私と夫の違いだった。

そうか、私は勇敢なのか。

不安だから、心配だから。それだけではないのだ。対峙する勇気、そのための準備。私は勇敢だった。これは誇っていいことだ。

こうしてまた自己肯定へひとつ進んだ。そしてそれがまた大きな変化をもたらした。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中