手紙を書く宿題

カウンセリングではたびたび、「なんでも叶うとしたらなにをしたい?」という質問をされることがあった。

初めてこのカウンセラーに会ったときも、これを聞かれた。でもそのときになんと答えたのかはもう覚えていない。でもカウンセリングが始まって二〜三か月くらいたったこのころに聞かれたときは、「ひ孫を産んで祖母に会わせてやりたい」と答えていた。

なんとなく「それは素晴らしい」と言われるだろうところ、カウンセラーはいつも通り答えに対してなにも言わなかった。たまに聞かれるから、きっとなにかの指針にしてるのだろうとは思ったけれど、いったいどういう答えが正しいのかはわからなかった。

今ならよくわかる。自分のためではなく祖母のために子供を産みたいなどと言っていた私は、明らかに「祖母」という外的要因に依存している。自分がしたいことではなく、人がなにを求めているかを考え、それを埋めることで自分を満たそうとしていた。「人と人との境界線」がなかった。

このころはまた、「アダルト・チルドレン癒しのワークブック」も出てきた「親に手紙を書く」という宿題にとりかかろうとするもできない、という困難にぶつかっていた。

カウンセラーからは、別のクライアントが書いた見本を送ってもらっていた。それを読んでみて書こうと思ったのだけれど、なかなか一歩が出ない。

カウンセラーが言うには、書き始めたときと書き終わるときでは、文章のタッチも違ってくるかもしれないと。最初は子供時代の感覚に戻ってしまっていることが多いけれど、手紙の最後のほうには一人の大人として親と向き合う姿勢が見えてくるようになると言っていた。

ワークブックにもこの課題は載っていて、各段階で何度か書くようになっていた。例を見てみると、初めのほうでは怒りの爆発のような文章になっていて、最後のほうになると割りと落ち着いて自分について語り、親に対する感謝も述べられるような、長い文章になっていた。

このころはまだ、怒りでそんな例文をきちんと読んでみることもできなかった。でも嫌なら(まだ)やらなくていい、そう思うことができた。今後どうなるかはわからない、でも今は嫌なのだから、無理せず嫌でいい。かなり学習できてきたと自分でも思った。

カウンセラーにもらった見本と、白紙のWord文書と、にらめっこが続いた。

でもやはりできなかった。実際に出すわけでもないし、親のもとにこれが届くわけでもないのだけれど、もうその「親に言葉をかける」という行為そのものがだめだった。

きっと解毒の段階というのは、以下のようなものだろうと考えていた。

①まず、親が「毒親」であると認識する
②親からされたことに対して怒りを持ち、ぶつけるorぶつけられる
③怒りがぶつけられない、またはぶつけても通じないことこから拒絶に入る
解毒(ここにどういう段階が入るのか当時は不明)
⑤なんの特別な感情もなくなり、一般的な対応ができるようになる

身体的な虐待のように物理的な毒を受けてきた人と、精神的な虐待のように真綿で首を絞めるような毒を受けてきた人とでは、認識のステップと解毒の方法が変わってくるのかもしれないけれど。当時の私はたぶん、にいると思われた。

年末に「相変わらずの毒一族」に会ったとき、母親は従妹に「Kelokoはなにを怒ってるんだろうね、私はなんとも思ってないのにさ」などと言っていたらしい。「私はKelokoに連絡したりしないから、(祖母の危篤を)伝えてくれてありがとうね」と言われたと言っていた。

こうしてこの女がまるでそこになにも問題がないかのように振る舞うたびに、私は怒りで全身が震えた。ハンマーで頭をかち割って、その存在を粉々にしてやりたいという怒りに駆られた。

こうして常に私の気持ちを、存在そのものを、ずっと無視し続けてこられた。真面目に殺してやりたかった。捕まらないならもう何千回も殺していただろう。夜中に家に火をつけて逃げようと思ったことも何千回もある。親を殺す人のメカニズムはよくわかるし、日本はきっとこんな殺人予備軍であふれている。

だから、③の拒絶の段階が強く長くなる。怒りをぶつけたとして、それを無視されてもっとひどい目にあうことがわかっているからだ。今度こそ殺人罪になる。それがわかっているから、離れて距離を保っていることしかできないのだ。

カウンセラーは、この課題の主旨はまさに「相手がどう思おうと自分の意思を表明する」というところにあるのだと言っていた。でも私にとっては、まさにそれがもっともできないことだったのだ。境界線がなかったから、相手の返答にすべてが依存されていた。相手が聞けば自分の存在が確認できて、相手が無視すれば自分はいないことになっていた。これでは生きていけるはずがなかった。

カウンセラーは、母親が「なんとも思っていない」というのはだと言っていた。そんなことは私もわかっていた。本当に「なんとも思っていない」人は、祖母の危篤を「連絡したりしない」わけがない。思いっきり矛盾していることを言っているのはよくわかっている。

問題は、なぜそれを認めたくないかということだった。なぜ娘が自分を嫌っているということを認めないか。「早く死んで」と面と向かって言ったことだってある。「Kelokoは私が嫌いなんだよ、私はわかってる」と従妹に言っていたことさえあるのにだ。

カウンセラーが言うには、それを認めてしまうと自分が「悪い親」になってしまうから認められないのだとのことだった。娘に嫌われている「悪い親」である事実を認めたくない、だから親子関係に問題があることを否定する。否定して、なにも問題がないように振る舞う。私が勝手に理由もなく怒っているのだと思い込むことで、なにもないのに怒っている「悪い娘」に問題をすり替えるのだと。

これが毒母の無視のメカニズムだった。本当に早く死んでくれないかと思った。手紙なんて書けるわけがなかった。頭の中に思い浮かべたくすらなかった。

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4件のコメント

  1. こんばんは。似たようなの?に死の五段階ってのがあって私はまずそれを思いつきました。

    そこまで行って初めて寛解みたいにはなるんでしょうね~。前言った森田療法の感情の法則もそうなんですが「自分の中で通して初めて受け入れることになる」って言うか。私もkerokoさんと同じではじめに毒親の指摘を受けたときはそうでした。自分の中でそうして自分を守っていたって言うのはやっと今になってわかるんですね・・・。どうやって感情のプログラムや仕組みを復活させていくのかにかかってると思いました。

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    1. > マーゴットさん

      コメントありがとうございます。そうですね、もともとの感情を取り戻すのは時間がかかると思います。私もカウンセラーから少しずつ自分の考えや感情にツッコミを入れてもらって、だんだんと毒が抜けていったという感じでした。でもカウンセリング以外でも、日常のふとした意外なところで毒が抜けたりもするのでそれもおもしろいです。いろんな経験をするというのはいいことなのだなと思います。

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  2. 2週間ほどかけて、読み続けて、ここまでたどり着きました。

    まだ、記事を書いていらっしゃる途中だという、現在進行中の出来事だということに衝撃をうけなから、

    目次を、予定分書いてくださっているのが、とても優しくて。
    あぁ、バッドエンドではないんだなあ、と、わかるのがとても安心して。
    ありがとうございます。

    この記事を読んで、高校生のとき、親に宛てた手紙を、書くことが出来なくて、
    自虐的に笑いを取りに行ったことを思い出しました。

    わたしも、毒親育ちでした。
    まだまだ、解毒、出来ていなかったようです。

    わたしにも、気づきをくださって、本当にありがとうございました。

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    1. > maakoさん

      コメントありがとうございます。今書いているところは約二年前のところなのですが、このころが一番苦しかったように思います。自虐的な言動、私も多かったです。maakoさんも大変だったのでしょうね。気づかれたところからもう、ラクに生きられるようになる道は始まっていると思います。こちらこそ読んでくださってありがとうございます。

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