人間としてつき合う

一連の騒動があって、いろいろと思うことがあった。

私の人生は、生まれてからずっと「家族」と呼ばれる人たちとの戦いだった。生まれた家族と戦って、一緒になった夫と戦って、新しくできた義理の家族と戦って。常に、その関係からの脱却と、そこから自分の人生を取り戻すことをくり返している。いったいなんなのだろうと思った。

普通の人にとってはもっとも身近で、もっとも頼りになり、もっとも自分のことを思い助けてくれるだろう、家族。

それが私にとっては、もっとも身近から、もっとも辛辣に、もっとも裏切られ傷つけられるものだった。

「裏切られる」という言葉が、一番正しいと思った。自分のことを思ってくれて、自分を助けてくれるだろうとなんの疑いもなく思っていた人たちから、ひどい目にあう。このは、言葉では表現しきれない。

さらにひどいのは、「家族」というカテゴリーの人からされることというのは、どんな目にあわされていても「家族なんだからそんなわけない」「私のためを思ってやってくれてるのだ」とまずは思ってしまうこと。それがさらに傷を切り裂いて広げていく。これが赤の他人だったら、一度なにかあればすぐにでも気づくのに。

そしてそれよりももっと恐ろしいのが、それが「周りからまったく見えない」ということだった。家族本人たちも私につらく当たっているなど思ってもいないし、周りから見たら私のことをすごく愛情を持って接しているいい「家族」にしか見えない。

そうすると余計に「ひどいことをされている」という認識を妨げ、たとえ認識できたとしても周りにまったくわかってもらえず、ひどいときには周りから自分が責められたりする。

世界から切り離されて転落していく、この恐怖。

声を上げてもわかってもらえない、信じてもらえない、この恐怖。

私にとってこれが、生きている上でもっとも恐ろしいことだった。この悪夢を何度も見た。さらには「悪夢に夫が追加」されたりもした。家族でなく会社でもどこでも、これと同じ状況に陥ったときに、たとえどれだけ小さいことでも、恐怖のどん底に陥った。

でもその中で、ちゃんとわかってくれる人たちがいた。私のことを気にかけ、応援してくれる人たちがたくさんいたことに気づいた。今までもいたし、今もいるし、きっと今後もいてくれると思った。

血のつながりでも、親類としてのつながりでも、なんでもない。ということは、親類でも利害関係でもなんでもないということは、きっと純粋に私自身を気に入ってくれている人たちなんだということに気づいた。

自分、やるじゃん!!!と思った。

私が素敵だと思う人たちが私の友達でいてくれているということは、私もその人たちに少なからず素敵だと思われているということだった。これはすごい自信になることに気づいた。

もしかしたら自分はこの人生で、本当の「つながり」や「思いやり」「愛情」を学ぶように生まれたのかもしれないと思った。血縁でも親類でも、お金でもない。それはそれで悲しいことだったけれども、純粋に人と人として、お互いを思いやってつながっていけるのだということ。

そういうことを学ぶために、この人生があったのかもしれない。そんなことを考えるようになった。

まだまだ平均寿命までは何十年もあるから、この先どうなるかわからないとは思った。でもこのとき、私は私の周りにいてくれる人たちによってそれに気づくことができた。そして私も同じく、他の人にそれを気づかせてあげられるようになるかもしれない。そういうこともあるかもしれないと思った。

人生、親兄弟でも親戚でもないのだ。そんなことは当たり前のことだけれど、このときまでそこに強く固執しすぎていたように思った。

親戚だって嫌なやつは嫌だし、いいやつはいい。家族だから信用できるわけではなく、信頼できる人だから信頼できる。それが現実をそのまま把握するということだ。信頼できる人とはそういう信頼し合ったつき合いを、信頼できない人とはそれなりのつき合いをすればいいわけだ。

家族もなにも関係ない。「人間」としてのつき合いをすればいいのだ。そう思った。

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4件のコメント

  1. はじめまして。私も毒親、国際結婚、海外在住、夫の母が毒親という環境です。このブログを発見して驚きました。今もずっと重く引きずったまま、日本の母と義母に挟まれてムンクの叫び。それにしてもどの項目も充実した内容に本当に感心しています。これからも拝読させて頂きますね。一人じゃないって思えて嬉しかったです。ありがとうございます。

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    1. > aozorarinさん

      コメントありがとうございます。海外にいる日本人の毒親育ちの多さには私も驚いています。「小さいころからなんとなく海外に憧れがあって」というのはもう私の中ではお決まりフレーズです。聞いてみると必ず親に問題があって。同じ思いをしている人がどれだけいるのだろうと思います。

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  2. > mimiさん

    お久しぶりです。コメントありがとうございます。「自分を好きになる」は私も課題で、この「不完全な自分を受け入れる」というのが難しくて嫌になるんですが、でも人生かけて学ぶつもりでゆっくりやっていけばいいんですよね。すぐ片付けないと気が済まない、親の呪いがまだまだあります。

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  3. > mimiさん

    私も同じことを思ったことがあります!素敵なお年寄りいますよね。きっと穏やかな気持ちで人生を送ってきたから、あんなきれいな顔なんだろうなって思いました。ああいう風になっていきましょうね。

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