もう一人の祖母

祖母のところへ何度も行く中で、父方の祖母にも会いに行った。

帰国前、父方の祖母のところへも行こうかどうか迷っていた。というのも父方の祖母は丈夫で、老人ホームへ入っても周りとよくやって元気に過ごしていたのだ。このとき私は従妹の家に泊まらせてもらっていて、そこから従妹と車で移動することにしていたから、母方の親類である従妹にとって、まったくの他人になる私の父方の祖母のところへ一緒に行ってもらうのは、どうかなと思っていた。

でも従妹が「行こうよ!」と押してくれた。なのでそれに乗っかることにした。

虫の知らせだったのかもしれない。父方の祖母は私と会った数日後に突然具合が悪くなり、その数か月後に亡くなった。あのとき従妹が「行こうよ」と言ってくれなかったら、ものすごく後悔しただろう。このときに会えて本当によかった。

というのも、前回「父方の祖母のところへ」行ったときが最悪だったからだ。あれが最後になっていたら、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。

この日はになるとのことだったのですごく迷ったのだけれど、行く決心をした。夜に雪になったけれど、その後に雨が降ったので、足止めをくらわずに済んだ。

祖母は寝たところを起こしてしまったからか、最初ずっとわけのわからない話をしていた。一年会わない間にこんなにもぼけてしまったのかと、ショックを受けた。でもその後は普通に話ができた。夢の話でもしていたのだろうかと思った。

近くで面倒を見ていた伯父が言うには、祖母は私のようにいつもは会わない人がやって来ると、緊張するからか普通に話せるらしい。普段は少しぼけてしまっていて、一人で生活させているのが心配だから、施設に入れたとのことだった。もしかしたら、このときもそのぼけている状態が出ていたのかもしれない。

それにしても、このとき祖母が話していた内容はどうも先祖の話らしかった。まったくなにを言っているかがわからず、ところどころ単語が拾えるだけだったけれど、こういう先祖がいて、こういう息子たちができて、それで幸せだとかそういう内容だった。祖母は涙ぐんでいた。あれはなんだったのだろう。不思議な体験だった。

祖母は二人部屋だったのだけれど、相部屋のおばあさんがすごくかわいらしくて、みんなでめちゃくちゃ笑った。このおばあさんは耳が全然聞こえなくなってしまったのだけれど、それでもいろいろしゃべってくれるのだ。それがゲームの中に出てくるロボットのように、高い声で「q32[+0p0%eah\3?2%pa&w323o*?」という感じで、すごくかわいかった。たまに「〜な!」と言ってきたり、祖母に「な!おばあさん!おばあさん!」と言うのだけれど、祖母が「自分もおばあさんなのにね」と言う。それが本当におもしろくて、みんなで笑っていた。

そのおばあさんも、自分の言ってることが通じないと知っているのだけれど、それにイライラするのではなく、それを楽しんで笑っていた。この二人はお互い言うことがわかっていないのに、ゼスチャーやなにやらを使って適当に楽しく暮らしている。こういう余裕のある楽しい生きかたができたらいいなと心から思った。

祖母におばあさんの名前を聞いたところ、「知らない」と言ってびっくりした。いつも「おばあさん」って呼び合っているのだそうだ。それにもうけた。

部屋の名札から、おばあさんは「はるえ」さんだということがわかった。紙に「なんさいですか?」と書くと、88歳だと教えてくれた。私たちが部屋に入って来たときから「写真、写真」としきりに言いつつ、祖母のベッドの下を指していたので見てみると、大量の家族写真が出てきた。きっと見舞いの人たちが来るたびに、こうして写真を見るように言ってくれているのだろう。

祖母が若いころの写真を初めて見た。私の子供のころの写真、祖父の卒寿のお祝いの写真、私がイギリスから出した年賀状まで、たくさんあった。私が小学生のころの写真には、母親も写っていた。その写真の母親と、今の自分が同じ歳くらいだと思った。このころ母親がどんなだったか、小学生だった私にはすでに記憶がある。その幼さに改めて呆れた。

私が前回置いていった結婚のアルバムもあったので、それをはるえさんに見せながら「これ私」と伝えると、「いいね!いいね!」と言ってくれた。夫の写真を見て、「アメリカか!アメリカか!」と言うので、「イギリス」と書いて見せると、「あーイギリスか!」と。私のことを「おばあさん、(この孫は)初めて見たよ!」と言っていた。

はるえさん自身について聞いてみると、部屋の位牌を指さして「おじいさん、おじいさん」と言っていた。旦那さんと妹がもう亡くなっているらしい。

こんなに歳をとっても、これだけ明るく楽しくすごせていて素晴らしいと思った。こういう歳のとりかたをしたいと思った。母方の祖母は子供の問題だらけであんなに馬鹿馬鹿しいことになっているのに、こちらはこんなにもあっけらかんと、こうして笑って暮らしていて。

本当に素敵だなと思った。この差はいったいなんなのだろう。

母方の祖母は、厳しい曾祖母のいるアル中気味の祖父へ嫁ぎ、仕事をしない祖父の代わりに馬車馬のように働いて働いて生きてきた。祖父がやりたいことを実行し、祖父の尻拭いをし、子供を七人育て、本家を訪ねてくる人たちの世話をし、商売をこなしてきた。考えてみれば、スーパーウーマンだ。

そんな祖母のもとで育った子供たちは、なぜか全員おかしくなった。彼らは、いったいどうしてしまったのだろう。

そんなお互いいい歳になっても喧嘩をしたりとどうしようもない子供たちに囲まれて、祖母は自分の気持ちも口にすることができず、面倒を見てくれる周りに罪悪感を持ち、建前の感謝だけして生きている。あんなに頑張って働いて生きてきたのに、まだ頑張らなければならない。これからずっとこうして頑張らなければならないのだろう。

父方の祖母は、末っ子の私の父親が18歳のときに他界した実の母親のあとに、祖父が再婚した人だった。子供たちが成人してみな家を出たあと、一回りも違う頑固な祖父にずっと連れ添った人だ。すごく賢くて、この歳になっても「メール」を理解し、親戚一同のことに詳しかった。老人ホームで他の人たちと楽しくできない祖父と違い、誰とでも仲良くやっていける人だった。

確かにこの祖母は子育てをしていないから、この人が父親を始めとする伯父伯母を作り上げたわけではない。でも祖父の面倒をみ、一家を回し、それこそ周りのために生きてきた人だし、周りに感謝して謙虚に生きてきた人だ。それでもこうして笑い、みんなから適度に面倒をみてもらって、いい施設で最後を過ごせた。

今なら、この違いがどこから来ているのかよくわかる。でもこのときは謎だらけだった。

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