お金に関するトラウマ

興味のあることをやってみる」ことで少しずつ解消してはいたけれど、カウンセリングで「お金」に関する考えかたの問題を掘り下げてみた。

私は渡英後に就職した会社を辞めてから突然が悪くなったけれど、これはヨガでいう「ルートチャクラ」のバランスが悪いとも言えるとのことだった。ルートチャクラはその名の通り「根源的(Root)なもの」を指し、生きていくに必要な衣食住お金などを意味している。なので腰が悪いということは、それを失うことに対する恐怖を表している。私の場合、「お金を失うこと」に対する恐怖感が必要以上に大きいのではないかとのことだった。

結婚と自分の気持ち」でも書いたように、結婚を決めたときも「お金」がキーワードだった。当時働いていた会社が傾いてきて、「この仕事を失ったら実家に戻らなければいけない」と不安でたまらなかったときに、夫が「お金が足りなかったらあげるよ」と言ったのだ。それで、「親でなくても私を助けてくれる人がいる」と思って、この人になら頼ってもいいのだ、結婚してもいいのかもしれないと思った。

それまでの私は、ほぼ一年ごとにステップアップを図って転職するような生活をしていた。もちろん落ち着いて仕事ができる環境があればよかったのだけれど、派遣だったり環境のよくない会社だったりしたので、なかなか落ち着けなかった。それでも仕事を辞めてもそこまで不安にはならず、最長でも二か月もせずにきちんと次の仕事が見つかっていた。

カウンセラーは、大学を出て「ここからが自分の人生のスタートだ」と自立し、どんどんステップアップをしていたような女性が、なぜここで突然にも会社が傾いてきたというだけで心細くなってしまったのかと聞いてきた。なぜそこでも「また次の仕事」と思えなかったのだろうか。その自信にあふれた女性はいったいどこに行ってしまったのか、と。

そんな風に見てみたことがなかったけれど、確かにそう考えてみたらおかしいのかもしれない。

社会人になりたてのころは、社会のことがあまりよくわかっていなかっただろうし、日本は年齢主義だから、20代のうちは仕事の心配を感じなかったこともあるとは思う。でも日本で最後の職場にいたころは30代目前になっており、やっと正社員でいい仕事に就けて安心していたところだったので、それがガラガラと崩れてしまって突然不安になったのだろうと思った。

でもその前も特に自信があったかと言われると、そうでもない。実家もなにも関係のない友人ができて、仕事で初めて自分を認めてもらえて尊重してもらえ、充実した毎日を送ってはいた。それでもなにか埋められないものを抱えていた。今思えばこれは、好むと好まざるとにかかわらずほぼ共依存だった実家の関係から脱したところで、隙間が空いてしまっていたのだろう。そこを夫で埋めようとして結婚したのだろう。

共依存だったのもあるけれど、嫌いだったのに実家に対していらない安心感を抱えていたのは、やはり「お金」が理由だった。衣食住があり、そこに関してはなんの心配もいらないのが実家だった。自立して、実家から離れてとても幸せだったけれど、常に家賃を稼ぎ続けなければならないプレッシャーと不安を抱えていた。そこに夫がお金に関する安心感をくれて、これで大丈夫だと飛び乗ってしまったのだ。

だから夫が仕事を見つけようとしなかったり、考えなくビジネスをしようと簡単に言ったりと、お金に関して馬鹿な発言をするたびに「こいつはだめだ」と必要以上に思ってしまうのだろうというのが、カウンセラーの意見だった。

イギリス人のカウンセラーはお金に関する感覚が私たちとは違うけれど、確かに日本人はお金に関して過剰なところがある。貯めこむばかりでまったく使わずに亡くなる人がたくさんいるし、特に親の世代はお金を持っていて、そうやって働いてお金を貯めたことが偉いと勘違いしているところがある。戦後に育った人たちだから、お金や物理的なもののありがたみを異常に刷り込まれているのは不思議ではない。医療が無料の国で育つイギリス人とは違い、日本人は「いざというとき」のための貯金を持とうとするし、それはしかたのないことだとは思う。でもやはり何千万も貯めて使わず死んでいくのはおかしい。「貯金が趣味」という人は、やはり安心感に問題がある。

妹が親とうまくいっているのはなぜかと聞かれたので、改めて考えてみた。彼女の趣味はまさに「貯金」で、できるだけお金を使わずに生きることを生きがいとしているから、親と意見が合う。大学の教科書代から出かけた際のバス代まで必要経費は一円単位で親に請求、就職活動で必要になるからと、化粧品代まで親に請求したような人だった。親といれば自分のお金を使わなくて済むから、どうしても親のコントロール下から逃れられない。

子供のころから彼女のお金好きは異常で、お年玉を一銭も使わずにすべて貯金していた。結婚式のためということをあとから聞いた。クリスチャンでもないのに、素敵な教会で式を挙げることを夢にしていたらしい。「結婚式」そのものが夢だったということは、確実に親のバーチャル性を受け継いでしまっている。だから自分とは別に育ち別の考えを持った別の人間である旦那さんと一緒に暮らしていくことができず、離婚することになったのだろう。

普通の親なら「他人と暮らすのだからお互い話し合って妥協し合ってうまくやれ」と言うだろう。うちの親はそんな妹のことを「しっかりした子」と言い、彼女の意見を後押し、助長させてしていた。終わっている。

私はというと、たとえば語学学校に60万円使ったりと、お金は使うところで使う。これが親からすると「お金をたくさん使う子」という認識で、「だらしがない子」ということになる。「Kelokoはカネをあるだけ使っちまう」という口癖は、ここから来ている。

普通に考えれば、なんだかんだと親にべったりでお金を出してもらって生きている妹より、自立してから一度も実家に戻ったことのない私のほうが、よほど「しっかりしている」のは明白だ。それなのに、私はこのときまでずっとモヤモヤした気持ちを抱えて生きていたことに気づいた。それはこの親からのお金に関する「洗脳」が解けていなかったからだった。

「お金を持っていることが偉い」
「お金を少しでも貯められることが偉い」
「お金を使わないことが偉い」…

だから「親よりお金を持っていない自分はだめだ」「お金を使ってしまう自分はだめだ」「お金を貯めない自分はだめだ」…と無意識の中に抱えてしまっていたのだ。

夫がだめな人間だと思うこと、結婚を決めたときのこと、妹と親とのつながり…いろいろなことを話していて、そこにすべて「お金」というキーワードがあった。

カウンセラーは、私も夫もお金に対する感覚が「Inaccurate(正確でない)」と言った。私は必要以上にお金に依存してしまっているし、夫は夫で「お金がなくなったら親のところに世話になればいい」くらいの感覚でいた。自立して結婚しているわけだから、これではいけないと。二人とも、二人にとってちょうどいい感覚を見つけなければいけないとのことだった。

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