別れても大丈夫

心が開いた」せいかはわからないけれど、大きな変化が出てきた。

このころ夫と喧嘩をした。喧嘩と言うと聞こえがいいけれど、このころの喧嘩は本当に生きるか死ぬかだった。でもそこに変化がやってきたのだ。

夫はまだ実家に泊まっていて、週に一度ロンドンまで出てきて友人の家に泊まり、フリーランスの仕事を1日して、また実家に戻るという生活を続けていた。夫が前職を辞めたときは設計者の仕事がたくさんあったのだけれど、夫が仕事を探し始めてからは募集案件がガクンと減り、応募しようにもまったくできないという状態が何か月も続いていた。

そこにやっとよさそうな仕事の募集が出たので応募すると言っていたのだけれど、見ていればまったく応募する気配がなかかった。履歴書をもっとスタイリッシュにしたいなどと言いつつ、手をつけようとしない。どうにかやり始めたと思えば、完成しても送ろうとせず、休憩と言ってテレビを見たり、そのころハマっていた投資シミュレーションの話ばかりしていた。なんでやらないのだと言えば、「忙しい」とか「もっと下調べをしてからいいものを出したい」などと言っている。頭にきて、本当に応募する気があるのかと言えば、「それで逃してしまうような仕事ならしかたがない」と言ってきた。

「自分が仕事を見つけるから、Kelokoはしばらくカウンセリングに集中すればいいよ」などと自分で言っておいて、言うだけでなにも起こらない。あきれすぎて言葉が出なかった。

週のほとんどを実家で過ごすようになったら、田舎で交通量が少ないから運転教習を始められると言っていたけれどけっきょくなにも始まらず、向こうでジョギングをすると言ってランニングシューズを持って行ったけれど一度も使わず。

いつも言うだけ。この人は今までずっとそうだった。

私は言ったことは必ずやるから、仕事を見つけると言えばバンバン応募して、ちゃんと仕事を見つけてくる。マニュアル車を運転できるようにならなきゃと言えば、すぐレッスンを探してきて運転できるようになるまでやる。やると言ったらやる。やらないことは最初から「やる」と言わない。

もちろんそんなのは日本人だけで、イギリス人がそんなことはなく適当なのは知っていた。集まりに当日現れないことなんてざらだし、時間だって適当だし、それでいちいち怒る人はいない。これは日本語には未来形がなく、先のことでも現在形を使って話すため、日本人は先のことでもすでに決定しているかのように話すのだという、言語的な問題も感じてはいた。

それでも、一人で暮しているわけではない。二人で暮しているのだ。飲み会くらいならまだしも、不安症で医者にかかった妻がいるのにこれではなにを考えているのか。

言葉をなくして別の部屋で黙り込んでいると、入ってきて「ごめん、Rude(悪い態度)にするつもりはなかったんだ」と言ってきた。私が言っているのは、対応の話ではない。夫が言ってることの内容だ。それもわからない。それともわかろうとしないのだろうか。このときはまだ夫がまったく理解できなかった。

いつもそうだった。「夫について」でも言われた通り、夫の言うことを信用していられないから、私が二人分のことを考えて、指示を出し、行動しなければならなかった。「なにもできない夫」だった。「カウンセリング事前ミーティング」で「わからないと二度と言うな」と約束させ、「夫の変化」として出てきてはいたけれど、まだまだだった。

自分のことならまだしも、人の行動は私にはコントロールできないから、私は不安な状態が一生続く。集まりに来ると言っていても来ないかもしれないから、来ない場合はどうするのか、それでも来た場合はどうするのかを考えて、それぞれに対応した準備をしておく。それが毎日の生活でもうネズミ講式にどんどん増えていくばかりで、私は気の休まる暇がまったくなかった。

それなのに、「Kelokoは心配しすぎだ、カウンセリングに専念していていいんだよ」と、上から目線で言ってくる。その心配をさせているのはどこのどいつなのだ。反吐が出る。

以前だったらここで死ぬほど傷ついていた。自分の夫が自分のことをまったく考えていない、それで生きていけなかった。でも絶望して自分から「別れる」と言ったとしても、そのあとに不安で死にそうになっていた。自分から夫に歩み寄り、どうにかしてきた。

でもこのときは違った。「It doesn’t matter(もうそんなこと関係ない)」と言った。「私がよくなったら、自信を持てるようになって自立できるようになるから、そしたらあんたとくっついてなきゃいけない理由もなくなるのだ」と。

このときは以前の私とはまったく違っていた。こんな人はまったく魅力がないし、一緒にいても私が大変な思いをするだけで、いいこともなにもない、ただのお荷物だと思った。本当に、心底、身体中でそう感じた。不安などカケラも感じなかった。自分で自分に驚いた。

特に、このころの夫は本当に馬鹿だった。この辺りは日本食屋がないから、バンを買って弁当を売りに出たらいいビジネスになるんじゃないかなどと言い始めていた。知り合いに投資したいか聞いてみようかなどと言い始めたので、「(バンを買うくらい)投資を募るまでもないだろう」と言えば、「Kelokoはリスクをとらずにこのまま貧乏で一生を過ごしていいのか」とかなどと上から目線で言っていた。

「リスクをとる=かっこいい」「リスクをとらない人=臆病者の貧乏人」という、子供の認識だった。成功した人たちはみんなリスクをとっていて、奥さんや彼女に反対されながらもお金を注ぎ込んで成功した、という話ばかりしていた。成功した人たちは、リスクをとったから成功したわけではない。そんなこともわかっていなかった。

自分の夫の言うことを鵜呑みにできない、ということが本当にしんどくて嫌だった。「夫」ではなく、「子供」がひとりいるようだった。だからその上で子供を持とうなどと思えなかった。夫ならせめて自分と同じレベルの人間、できれば自分よりレベルの高い人がよかった。でも私の分まで考えてくれる人とは言わない、私が二人分の心配をしなくてよくて、せめて自分の心配だけしてればいい程度なら十分だった。そんなに難しいことではないはずだ。

それでもう、本当にこいつは無理だと思った。捨てようと思った。心底そう思えた。自己肯定感がついてきたのと、共依存から抜け出てきていた証だった。

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