I am here!

ヨガ開始」からちょうど二か月。ものすごいことが起こった。

いつもは最初にあぐらで座って、心を落ち着けるところから始まるのだけれど、この日はいつもと違い、仰向けの体勢から始まった。先生は毎回内容を少し変えてやるのだけれど、このときはちょっと大きく変わったなと思った。飽きないためにはそれもいいなと思っていたのだけれど、実際先生はそのときの私の気持ちや必要なことを考えて、毎回それに沿ったプログラムを組んでくれていただけだった。

最後のほうに、いつもの通りに「三日月のポーズ」をやった。

Anjaneyasana from Wiki

Anjaneyasana from Wiki

私はいつも前に体重をかけて、前足がかなり踏み込んだ形になるのだけれど、このときは先生に、そこまで踏み込まずに膝が直角になるようにと言われた。それも意味があったのかはわからないけれど、いつもとは少し違った感覚になった。

先生はいつもの通りに「Open your chest(胸を大きく開いて)」と言った。このときはさらに「胸からが出て、Shine through the sky(空を突き抜けて照らすように)」というようなことを言った。そしたら突如、太陽が雲から出てくるように、左胸から右胸にかけてパーっと覆いがなくなるように光が姿を現して、宇宙に向かって光を放ち始める様をはっきりと感じたのだ。

日食の終わりのように光が出てくる

日食の終わりのように光が出てくる

目の前に鏡があるように、左の絵のようなものを目の前に感じて、左からサーッとカバーが取れていくのが見えた。同時に自分の胸からも、左からサーッとカバーが取れて、レーザー光線のように光が出て遠くまで照らすのを感じた。

すると、えっと思う間もなく、があふれて止まらなくなった。びっくりした。

びっくりして涙は一度止まったのだけれど、自分はなんでこんなストレッチをしながら泣いているのだろうと、もうだらけだった。なにが起こっているのかまったくわからなかった。すぐあとに「Bee Breath(蜜蜂呼吸)」をやったのだけれど、そのときにもう胸の辺りの振動がすごくて、それでまた涙がバーッと出てきて止まらなくなってしまった。

最後の瞑想に入る予定だったのだけれど、もう涙をこらえきれなくて、先生に「涙が…」とやっと言った。すると「Focus on the feeling(その感覚を見つめましょう)」と言われた。

なぜ涙が出たのか、その感覚に集中してみたところ、どうもものすごく「うれしい」気持ちなのだと感じた。嬉し涙だったのだ。

「私もここに存在している」
「今ここにいる」
「ここに確かにいる」
「私はちゃんとここにいるんだ」

そう感じた。自分の存在を実感した。生まれて初めての感覚だった。

うまく表現できないけれど、自分の存在を発見して、見つけてもらったその「自分」がうれしくて、涙が出たという感じだった。自分を探してずっといろいろなところをうろうろしていたのだけれど、自分の中にそれを見つけた、そういう感じもした。

これはもう衝撃のできごとだった。

不安症の個人セッション2回目」でCBTのセラピストにヨガを勧められ、二か月やってはみたものの、それほど顕著な変化というものはなかった。そこに突然この現象がきた。ただただ圧倒された。

CBTのセッションでも勉強した通り、心は体に影響し、体も心に影響することは知っていた。たしかにうつうつとしているときでも、ジョギングをして運動すると体がすっきりして心もすっきりするから、体が心に影響しているというのはわかる。でもこんなにもはっきりと、こんなただのストレッチのようなことでだ、涙が出るほどの変化がもたらされるなど、とても信じられるものではなかった。

慣れた今でも不思議だ。でもそれが実際に起こったのだ。

先生いわく、私には毎回「心を開く」作業をやっていて、しかもかなり強いものをやっているから、なにかそういう変化は出てきてもおかしくないとのことだった。このとき先生は普通で、特に驚いている様子もないと思っていたけれど、実際はこのセッションのあと、先生はヨガの師匠である私のカウンセラーにこのことについて問合せをしていたことが発覚する。先生もびっくりしていたらしい。

セッションを中断して、先生と少し話をした。先生は「あなたは今いろいろと大変なところを通過していて、でもそこでこうしてヨガをやったりカウンセリングへ行ったりと問題に立ち向かっているのは、とてもBrave(勇敢)なことよ」と言ってくれた。

勇敢」か。考えたこともなかった。

別の友人に「Kelokoは運命を切り開く力がすごい」と言われたのを思い出した。そんなこと考えたこともなかったし、私はいつも不安で不満で、どうにかしなければならないとうだうだしていて。でもたしかに世の中には夫のように、そういうところを見ないようにして、ただただやり過ごしている人はたくさんいる。うちの親のように、そういうことがあることさえ見ないようにしている人もいる。

自分はそういう人たちとは違うのだ。それはほこりに思っていいことだ。

「勇敢だ」と言ってくれた先生に、感謝した。生まれて初めて自分で自分を認められた。

「立ち向かう」なんて、なんでそんな面倒なことをわざわざしているのかと言われれば、すべては自分のためだった。自分がよくなりたい、ラクになりたかったからだ。服の着心地が悪かったら、もっと他にいい服を探すのと同じだ。もちろん自分の嫌な面を認めるのは苦痛だったし、「私の気づき」も「離婚したくない(=実家に戻りたくない)」という自分勝手な理由によるものだった。

気づきがあってからも、自分の問題を見つめるのは嫌なことだった。でもそのままでいるほうがもっと嫌だった。これはまた毒親育ちからくるOCD(強迫性障害)の問題でもあったとは思う。「問題は特定してきれいにしていかなければならない」という強迫観念だ。常に悪いところを探して、永遠に修正し続けている。それが自分自身の問題にも当てはまったということだ。

でもそれでなくとも、きっと問題を見ないようにできる人たちは、私などよりよっぽど現状が心地いいのだと思う。うちの親だってそうだ。いい家があって、長女は「親不孝」だけれど、次女は近くにいて孫もいて、お金だって心配ないようにきちんと稼いできたし、ラクだ。だったらわざわざ「なんで長女とうまくいかないのだろう」などとは考えないし、「こんなに自分たちはしっかりした親なのに、あいつはなんという駄目な娘なのだ」と思っていればいい。

私は居心地がよくなかった。稼ぎもないし、死んでも実家には戻りたくないし、あの一族から逃してくれた夫と別れることは嫌だった。その一心でどうにかしようとすることになった。でもそれも結果的には自分の成長につながったから、今なら本当にやってよかったと思える。私の解毒にはいろいろな要素が複雑に絡み合っている。あとから思えば、すべてが解毒のために準備されていたとしか思えない。きっと解毒に向けて歩き出すすべての人がそうだと思う。

このヨガのできごとでその後の自分にどういう影響が出てくるのかはわからなかったけれど、ものすごく大きな一歩が出た気がした。あきらめずにいろいろやってきてよかったと思ったし、自分は確実に進んでいるのだと実感できた。

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