就職活動を中止

このころ就職活動を中断して、しばらくカウンセリングに集中することに決めた。

いくつか面接は受けていたものの、いつも最終面接までいって落ちることばかりだった。どの面接でもだいたいそつなくこなせるものの、自分でもなにか足りないような気がしていた。それを証明するかのように、私の経験にどう考えてもぴったりの仕事がひとつも受からなかった。

どれもこれも物理的には可能だったし、できそうなことだからやりたいと思っていたけれど、なぜだかしっくりきていなかった。答えは合っているんだけれど中身のない小論文、のような感じだった。スペックとしてはぴたりとハマるのに、中に人がいない感じだった。

自分がなかったからだ。色がなかった。だから採用されなかったのだ。

不安症の個人セッション3回目」でも言われた通り、「面接」という作業自体も精神的に負担となるものだった。夫の週一の収入でやっと家賃がまかなえる程度だったけれど、とにかく今目の前にある問題を解決しない限り、一生就職できないばかりか、生きていくことすら危うい。

でもこれを解決しさえすれば、就職活動なんていくらでもできるようになる。

お金がまったくないわけではない。貯金を崩せば数年は暮らしていける。どれだけ貯金があったとしても、今ここでこのお金を使わなければ死んでしまうかもしれないのだ。生きていけるようになりさえすれば、いくらでも仕事してお金を稼ぐことはできる。何年かかるかはわからないけれど、よくなってきたらカウンセリングをしながら仕事ができるようにもなってくるかもしれない。でもそれもこれも、すべて自分の回復次第だ。

お金のことはが助かってから考えよう。とにかくよくなることが先決だ。夫とそう話し合って、ものすごいやりたい仕事が出てこない限りは、就職活動をストップすることを決断した。

こんなこと、以前の自分だったら到底できなかっただろう。収入があったとしてもカウンセリングという目に見えないものにお金を払うことは抵抗があっただろうに、きちんとした収入もないのにそれをやろうとするなど考えられない。ましてや私一人のカウンセリングだけではない。夫のカウンセリング、二人のカウンセリング、そして私はヨガもある。交通費もかかる。そんなことをほぼ無収入の状態でやるなんて、狂気の沙汰だ。

でもこれをやらないと死ぬのだ。先がないのだ。お金をケチっている場合ではない。なにはなくとも、自分自身がいなければなんにもならない。

そんなことは当たり前なのだけれど、私たちはすっかり忘れてしまっている。

このころすでに、私は徐々にお金に関する洗脳が解けてきていた。お金をケチってなんになるのか。そんな当たり前の感覚で動けるようになってきていた。日本人の根底にあるのは、「万が一」の恐怖だと思う。その上で、すべての価値を物理的にしか測れなくなっている。だから普段から少しでも安いもの、安いものとなり、それがしっかりしていていいことのように思われているのだ。

でも「メンタルヘルスへ紹介」でも書いた通り、イギリスでは医療が無料だ。もちろん順番待ちがあったりと不便なところはあるけれど、万が一のためにお金を山のように積んでおく必要はない。

この安心感は絶大だ。イギリスの医療制度にもいろいろな問題はあるが、日本やアメリカの自己責任主義と比べると、やはりお金に囚われた人生を送らずに済むだろうと思う。イギリスだけでなく、ヨーロッパには他にも医療が無料の国がいくつもある。今まで不便だ不便だと思っていたイギリスの医療だったけれど、基本的人権の「生存権」の大切さを身をもって知った。

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