親がおかしいと気づいたとき

そこで、どういうときに親がおかしいと思ったかについて話した。

小さいころからずっと親がおかしいとは思ってきたし、実家を出てからもずっと頭のおかしい親に悩まされてきたけれど、確かにそもそもどうしてそう思い始めたかについて考えてみたことはなかった。

このとき思い出したのは、トイレの話だった。

私は小学校の低学年くらいまで、異常なまでに神経質な子だった。算数の「+」や「−」を定規で書き、学校ではお腹を机に、背中を椅子にぴったりとつけて座っていた。子供なのに幼稚園のお道具箱の中身はいつも同じようにきれいに並んでいないと嫌だったし、なにかをなくすことは一度もなかった。ひらがなの練習では、きちんと見本の真ん中を鉛筆でなぞらないと何度もやり直した。とにかく几帳面で神経質だった。

汚いところや少しでも臭うところ、暗くて水のあるじめじめしたところがとても苦手だった。学校のトイレや、プールの更衣室、海や川で海藻や苔のあるところも嫌いだった。

今でもトイレは苦手だ。家のトイレでも、きれいに掃除されていて洗剤のにおいがしていないと好きではない。人間のにおいがだめで、無機物的なにおいがしていないと安心できない。

そんな調子だから、子供のころはとにかくトイレが耐えられなかった。みんなどうしてあんなトイレに行けるんだろうと思っていた。

遊んでいてトイレに行きたくなっても、行きたくないからぎりぎりまで我慢する。「早くトイレに行きなさい」と言われても、別に行きたくないのだと言い張る。でもトイレは止められない。だがトイレには行きたくない。そして最終的には服を着たままその場でジャーとやってしまう。そういうことが一度ではなく、何度かあった。

小学校一年生のときは校舎がとても古くて、日陰の暗くてじめじめしたトイレが本当にだめだった。それであるとき一日中トイレを我慢して急いで帰宅し、間に合わなくて服を着たままトイレでジャーとやってしまった。でも学校のトイレに行かずに済んだから本当によかった。またこうしようと思った。そして二日続けてやったところで、「学校でちゃんとトイレに行きなさい」と親に言われた。確か先生にも連絡されて、学校でトイレに行くよう言われた。先生に付き添ってもらって行った。

そんなにも異常に神経質だったのだけれど、カウンセラーは子供にはよくあることだと言った。びっくりした。だって他にそんな子はいなかったからだ。でもトイレが気持ち悪いという子はよくいるらしい。普通だと言われた。もちろんそれで大人になってもトイレに間に合わず、その辺でジャーとやってしまうようだったら大問題だけれどと笑っていた。考えてみたら、そうかもしれない。子供にはいろいろな苦手なものがあって、それに慣れながら大人になっていくものかもしれない。小さいころに食べられなかったものが、大人になって食べられるようになることはよくある。

だが、それを母親は「下の子(妹)が生まれたことによるやきもち」なのだと言っていた。長女として注目を一身に浴びて生きてきたところに妹が生まれて注目をさらわれたので、それを取り戻そうとわざとトイレに行かないでその場でやり、注目を浴びようとしているのだと。

どこをどう見たらそうなるのか、まったくわからなかった。

なんでトイレに行かないのかと言われるたびに、私は「気持ち悪いから」と伝えていた。母親は私が几帳面で神経質なのも知っていたし、彼女自身が「お前は本当に神経質だ」としょっちゅう言っていたのだ。だったら「トイレが気持ち悪いから行きたくない」という理由だって、当然わかりそうなものだ。でもなぜか彼女はそこでかたくなに「妹に対するやきもち」と決めつけていた。私がどれだけ「気持ち悪い」と言ってもなぜかスルーだった。祖母に「やきもちだ」と言い聞かせているのを聞いて、自分の親が誰か他人のことを話しているようで、いつも不思議な気持ちになった。

2〜3歳の子ならまだしも、小学校に上がる子がやきもちでトイレに行かないとしたらちょっとおかしくはないだろうか。そこまで大きければ恥の概念も出てきそうだし、やきもちを焼くにしてももっと別の方法で表出しそうな気もする。そもそも、私の説明を完全に無視する意味がわからない。

当時、私自身は「親はこう言ってはいるけれど、気持ち悪いからトイレに行けないのだ」ということはわかっていた。というか、それが真実だからだ。でも「大人が、しかも私をよく知っている(と思われる)親がそう言っているのだから、もしかしたらやきもちなのかもしれない」と思わされてしまっていた。大人になってからも、親の言う通りである可能性もあるのかもしれないと10%くらいは思っていた。たぶんこのカウンセラーに「それはよくあることだ」と言ってもらうまで、親の言うことの可能性を引きずっていただろう。

でもやはりあのときの私はトイレが嫌いだから行かなかっただけで、やきもちでもなんでもなかった。私が思っていたことは正しく、それが真実だった。

だって、今でもトイレが苦手なのだ。外出先ではなるべくトイレに行きたくない。でも私はものすごく水分をとるので、どうしても外でも何度も行かなければならない。だからこれだけは、トイレのきれいな日本に住みたいと今でも思う。大人になってもそれだけ苦手なのだから、子供のころに気持ちが悪くてトイレに行けなかったというのは当然だ。

そういうことがあったので、「親がおかしい」というよりは、「親は本当のこととは違うことを言う」という認識が子供のころからあった。でもこのトイレの話は祖母と暮らし始めるよりも前のことなので、祖母のおかげで親のおかしさに気づいたというのはやはり違うかもしれないと思った。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.