見えてきた希望

このころ、人に言われた言葉がある。

「じゃあもう、あと最後の一皮だね」

確かに、もう頭でできることはやり尽くした感はあった。あとは、解毒にとりかかるだけ。そうは思ったけれど、それでもまだ夫婦カウンセリングは始まらないし、それが終わってもさらに私のカウンセリングもある。先は永遠に感じられた。

さらには、夫の仕事が契約終了後に延長なく終わりになることがわかって、もうすぐ二人とも無職になる。こんな状況で、カウンセリングにもまたお金がかかって、どうなるのだろう。考えるだけで真っ暗だった。歩いてても食べてても寝てても、不安が消えない。だめだと思っていた。

でも、私の人生にずっとあった問題が、これが終わったらなくなるかもしれないのだ。

3歳のころから歯軋りをしていて、足の指をずっと丸めていて、首や口に常に力が入っていて、鳩がバサバサと飛び立ったくらいでいちいちビクッとするほど常に緊張していて。人の言うことにいちいち傷ついていて、空っぽで、親にいじめられて対抗できず体がどんどん動かなくなっていく悪夢を定期的に見ていて。夫からも存在を無視されて、死ななければならないと思うほど苦しんでいて。

そういうことが、ぜんっっっぶなくなるかもしれないのだ。これが終わったら。

どんな世界なのか、想像もできない。生きている実感があって、自分があって、楽しいことが楽しめて、おいしいものがおいしくて、満足感があって。心身ともにリラックスしていて、人になにを言われても大丈夫で、夫とちゃんと一緒に生きていける。そんな世界が本当に来るかもしれないのだ。

まったくの新世界。そこに行けるかもしれないのだ。私の本当の人生に。

そう考えると、が見えたような気がした。もしかして、本当に最後の一歩なのかもしれないと思った。

親から逃れ、新しい家族と新しい人生をスタートしたのに、全然うまく回らなく、原因もわからず、長い長いトンネルに迷い込んで、どっちに行ったらいいのかもどうしたらいいのかもわからなかった。

でももしかしたら、今はもう出口にすごく近いところまで来ているのかもしれない。光が見えてきてるのかもしれない。

突然、本当に唐突に、そう思った。

そうしたらフワァっと、なんだかが一枚剥がれ落ちた感じがして、急に少しだけが湧いてきた。すべてが終わるのが待ち遠しくてしかたがなくなった。自分に仕事がないのも、夫の仕事がなくなるのも、この最後の大作業に集中して取り組めるようにするためなのかもしれない。夫の短期の仕事でお金が少し入ったのも、この資金だったのかもしれない。

これだけなにもかもがだめになっていったのも、「仕事とかもうどうでもいい、これを治さないと生きていけない」と思えるようになるためだったのかもしれない。「最優先でこれに取り組まないと死ぬ」と思えるようになるためだったのかもしれない。そう思った。

確かにお金時間もかかる。普通の生活をしていたら、たとえなにかあっても「カウンセリングに行こう」なんて思わなかったはずだ。以前行ったカウンセリングも、チャリティで安く行けたものだったから行った。確かに発見はたくさんあったけれど、その程度だった。

でも、もう違う。「これをやらなければ生きていけない」、そこまで落ちた。それでやっと解毒の重要性に気づけた。「とにかくなんでもやろう」と思えるようになった。きっと私にとってベストなタイミングがこのときにやってきたのだと思う。

子供のころ、カウンセリングに行きたかった。または裁判をやりたかった。ちゃんとした人に見てもらったら、親が頭がおかしいことがわかってもらえると思っていたからだ。でもどこにも行けなかった。子供じゃ親を裁判にかけることも、親をカウンセリングに連れて行くこともできない。

でも今は違う。私には裁判を起こす自由もあり、夫をカウンセリングに連れて行って、専門家に手伝ってもらい問題を解決しようとすることもできる。

ついに人生が変わる。そう感じた。

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