自己発見

避難生活開始」から二週間ほどして、やっとどうにか落ち着いてきた。

少しずつ家事をやるようになった。それまではもうなにもやる気が起こらなかったし、夫と一緒に住んでいたときも、私のほうが家にいたのに、夫のほうが家事をやっていた。相当やばかった。

不安症のアンケートにも、「仕事や家事、人と会ったり出かけたりということが、どれだけできなくなっているか」という項目があった。私の場合、仕事に行けなくなることはなかったけれど、家事や人と会うことはできなかった。

たまっていた洗濯物を片づけて、料理もするようになった。そして掃除を始めたときに、カードが出てきた。一年契約満了の最終日に、会社でもらったカードだった。同僚全員のメッセージが書かれてある、日本の色紙のようなものだ。

不安症の個人セッション2回目」のすぐあとに、ちょうど契約終了がきていた。

当時は仕事も最後のぎりぎりまで忙しく、「日本の会社」の嫌なところが刺さっていて、さらには「自分の問題と夫の問題」で爆発し、体調も悪かったときだった。だからもらったカードも置きっぱなしになっていたのだけれど、改めて手にとってよく眺めてみると、しんみりした。

仕事自体はわりと好きなことだったし、楽しかったことやおもしろかったこともたくさんあった。私にもっとちゃんと境界線があってしっかりしていたら、なにも刺さることもなく普通に楽しく過ごせたと思うし、条件さえ合えば延長させてもらっていたと思う。

カードにはいいことがたくさん書いてあった。私の仕事が早くて正確で助かったとか、私がいたから乗り切れたとか、またいつでも戻ってきて、など。

ありがたかったけれど、私が在籍している間に出しておいてほしかったとこのときは思った。「師匠と弟子」のような、厳しく言ってはいたけどそれもお前のため、本当は温かい目で見守ってたんだよと。そういうのはやだなあ、と思った。毒親の自己正当手段を思わせるからだ。

でもきっと、境界線があったら人が言うことに左右されないから、こんなことも気にならないのだと思う。でも当時はしかたがなかった。境界線のなかった私は「辞めて正解」だった。馬鹿にされていると感じたり、給料も低くて虫ケラのような扱いだと感じていて、それが苦しかった。そんな状況では続けていても悪化するだけだっただろう。

それでもびっくりしたのが、「ムードメーカーがいなくなると寂しくなる」ということが書いてあったこと。「ムードメーカー」というこのキーワード、これは実は私が今までで最大のパフォーマンスを出せたときの上司に言われたこととまったく同じだった。

その上司も、私をチームの「ムードメーカー」というポジションに捉えていた。もちろん私にはそんな認識はなかった。「積極的に盛り上げよう」などと思ったことは一度もなかったのだ。

そのときの会社とこのときの会社ではまったく社風も業種も異なるし、上司もまったく違うタイプの人であったにもかかわらず、まったく同じことを言われて驚いた。

これも、ひとつの自分発見かもしれないと思った。

どんな場所でどういうことをしていても、「私」という存在は変わらず在り続けているということ。少し「自分」という存在に気づく一歩になった気がする。人から言われることではなくて、自分から気づけるようになるともっといいとは思ったけれども。

空っぽすぎた「私」という入れ物に、とりあえず薄っすらとなにかが入った感じがした。

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