久しぶりの友人との再会

来英した友人と、イギリスの北からやってくる友人と、三人で久しぶりの再会。

ほとんど寝ていなかったし、こんな状況ではあったけれど、この三人での再会は楽しみだった。飲みに行ってもいつも話が長くなってしまうから、宿を取ってゆっくり話そうということで、お泊り会になった。

ここで、イベントが二つあった。

一つは、一人が遅れてきたことだった。私と彼女の二人で待ち合わせをして、先に宿に行っているということだったのだけれど、私も20分ほど遅れたのだけれど、彼女はけっきょくもっともっと遅れてきた。しかも連絡が取れなかった。

時間通りに来たことが一度もない人だったけれど、このときはもうそれを許せる余裕がなかった。

私は寝れるだけ寝ておきたかった。遅れてくるならその通り連絡をくれれば、あとからゆっくり来てもらうことにして、寝てしまえる。でも連絡もつかず、どこでなにをしているのかもわからなかった。

私はついに、人に合わせて自分の行動を決めることを放棄した。

「こういうことがあって、このところほとんど寝ていないので、今から寝ます。もう一人と一緒に後から来てください。」とメッセージを入れて、返事も待たずに寝た。

私は寝たい。寝たいから寝る。彼女だって、遅れた上に連絡もつかなかった。その程度の待ち合わせだ。だったら私だって自分の都合で行動していいはずだ。私ばかりが時間を気にして、寝不足でもう回らない頭で起きて待ってる必要はない。そうしなければならないと思い込んでいるから、つらい。それを取ってしまえば、つらくもない上に、寝れる。

これがたぶん、人のことを考えずに、自分の都合のいいように行動した一歩だったと思う。

再会の最初がそんなだったので、三人で落ち合ってからは私の状況の話になった。親のことや今までのことを聞いてもらって、少しは気持ちが落ち着いてきたところだった。

そんな中で、一人がこう言った。

  「でも、親がいない人なんていくらでもいるでしょ。」

私はこのとき、なにも言い返せなかった。彼女の言っていることは事実だ。でも絶対に違う。生まれたときから親がいない人はたくさんいる。でもそれと私の問題はまったく違う。

今ならなんとでも説明できる。でもこのとき私はまったく無力だった。これが二つめだ。

毒親育ちの人なら、きっとこういう経験を山ほどしていると思う。というか、こういう経験しかしていないと言ってもいいかもしれない。私もそうだったし、たぶんこれからもそうだと思う。だからこういうときにきちんと説明できるようになりたい。そう思ったできごとだった。

また、解毒すればするほどこういう発言が刺さらなくなってくるし、相手がわからないところを補う説明が的確にできるようになってくる。こういう発言に「理解がない」と怒りを覚える場合は、まだ毒が体の中に残っているということなので、解毒のバロメーターにもなると思う。

久しぶりの再会だったのに、私の話ばかりになってしまった。申し訳ないと思ったけれど、二人とも暖かく受け入れて、親身になって聞いてくれた。「出してもいいのだ」と思った。自分を抑えてその場のための話をするのではなくて、自分のことも出していいのだと。

それが「友人」ということだ。考えてみれば当たり前のことだった。

あんなことがあったのに、こうして二人と話していると、なんだか現実感がなくなってきた。あれが夢だったのか、今こうして二人と飲んでいる自分が夢なのか。フワフワした感覚のまま、夜が更けていった。

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