避難生活開始

不安症の個人セッション3回目」で言われた通り、夫と離れていなければならない日々が始まった。

セッションのあとに私は面接に出かけ、帰宅すると同時に泊まり用の荷物を持って家を出た。仕事に行った夫が帰宅して来る前に、出なければならなかった。そこから数日友人の家にお世話になり、そこから来英した友人のお泊り会に行き、そのあとはどうするのかまだわからなかった。

友人の家で、話をたくさん聞いてもらった。自分の妻が「飛び降りようとした」とか言ったら、すぐ1階の家に引っ越そうとか普通はするだろう、と言われた。確かにそうだなと思った。やはり夫は周りの世界が見えていなかった。

こんなにも「人間」ではない人とは、これ以上一緒にいてはだめだ。でないと自分の生命が危ない。これからどうなるんだろうと思った。途方もない不安に襲われていた。

夜に、夫から電話がかかってきた。それくらいはできるのだなと思った。

でもそれは間違いだった。最初は神妙に話していたのに、少し話したらまた調子づいて冗談を言って笑ったりし始めた。信じられなかった。

自分の妻が自殺しようとして、公的機関から「あなたと一緒にいたら奥さんが自殺するかもしれないから離れているように」と言われて、人の家にも泊めてもらって迷惑をかけている。そこで、なぜ冗談が言えるのか。なぜ笑えるのか。なぜそんな普通の心理状況でいられるのか。

夫はまるでテレビでも見ているかのようだった。なにが起こっているのかはわかっている、でもそれが自分の現実の人生に起こっているのではなく、電源を消したら終わるものかのようだった。夫はこの世界に生きていなかった。

夫にそれを言うと、また怒り始めた。

大変なことになっているのはわかっていると。だから心配しで電話をかけたのだと。でもわかっているわけがなかった。今思えば、夫はどうもこの事態から逃げようとしているようだった。積極的に、人の「感情」から逃げている。まるで自分のいるこの世界から逃げてしまいたいように。

お世話になった友人のところを出て、お泊り会に行く前に、一度家に戻って着替えを取ってくることになった。家に入ることになるから、その間だけに出ていてくれるよう、夫に連絡を入れた。

でも返事がなかった。それで心配になった。

もしかしたら、この状況に絶望して自殺でもしたのでは。

電話をかけてメッセージも入れたけど、まったく返事がなかった。電車に乗って家に向かう間も怖くなって、共通の友人に連絡をとってもらうよう頼んだり、夫のお姉さんに連絡をして、夫に連絡してくれるよう頼んだりした。

義姉に直接連絡をしたのは、初めてだった。詳しい状況は話している時間はないけど、とにかく夫に連絡をとってくれと頼んだ。義姉は「私は弟をよくわかってる、彼はきっとヘッドフォンでもしてゲームをしてるから携帯の音が聞こえないのよ」と言っていた。でも連絡をとろうとしてくれた。

駅に着いて、心臓がばくばくした。血みどろで真っ赤になっている部屋が頭に浮かんだ。

震える手で鍵を開けて家の中に入ると、夫が普通にパソコンの前に座っていた。私が突然帰ってきたので、びっくりしたようだった。

がどっと吹き出した。しばらくその場から動けなかった。

私は自分が極度の不安症であることをはっきりと認識した。「大丈夫だろう」と思いつつも、「まさか」「もしかして今回こそ」と思う気持ちのほうが強かった。9割は夫の自殺を考えていた。異常だった。

夫と二人きりになってはいけなかったけれど、とりあえず荷物を持って出るだけだったので、別の部屋にいてもらって支度をした。週明けからは、夫は唯一の友達のところに泊めてもらうことになったとのことだった。私が連絡をとってくれるように頼んだ人だ。

こうして私はお泊り会へ行き、翌日から夫は友人のところに泊めてもらい、私は家で暮らすという、避難生活が始まった。でもこのときはまだ、私は一人になってはいけないと言われていたので、今後どうなるのかまったくわからなかった。

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