不安症の個人セッション2回目

不安症の個人セッション1回目」で立てた計画通り、一週間後の2回目では私の「行動・活動」についてセラピストと見ていった。

ここで登場したのが、「Activity Diary」という以下のワークシート。これは一週間の日々の中で、なにをしているか、そしてそれぞれの活動について、

S値(Satisfaction=満足度)
A値(Achievement=達成感)

を10段階で評価してみる、というものだった。
activity diary
①まずは一週間書き込んでみて、バランスがどうなっているか見てみる。②そして次に、どういう値が足りないか、そしてその足りない部分を、夜や週末など自分の自由に使える時間でどうやって補っていくか考える。

たとえば上の例のように、「仕事」のA値が「5」だったとすると、残りの「5」をどうするか考える。では土曜日に家の掃除をして、疲れはするけれどここで達成感をとれるようにしましょう、その分日曜日はゆっくり休みましょう、というようにだ。

試しにその週にあったできごとを書き込んで、値をつけてみるように言われた。ここでさっそく問題が出た。私は値をつけられなかったのだ。月曜日から金曜日まで午前と午後は仕事をしていたのだけれど、日々どうだったかと聞かれると考えこんでしまい、値をつけられなかった。

では仕事そのものについて、好きかどうか、どう思うかと聞かれても、明確な答えが出てこなかった。どうしてか説明してみるように言われたので、やっと以下のようなことを言った。

「仕事自体は、大半の作業は好きなことだし、やりがいも感じる。でも給料が激安なのと、周りから正当に評価されていないと感じている。それでも周りからよくできたと感心されたときは満足だけれど、なにか馬鹿にされたように感じたときはもう嫌になってしまう。」

お気づきだろうか。ここでセラピストに言われたことだけれど、私は「周りの評価」によって自分の満足度と達成感が決まっていた。周りからどう思われるかが、自分の気持ちの基準になっていたのだ。

満足度や達成感は、自分の気持ちのことだ。それが人によって決まっている。「自分の気持ちの把握」でも出てきた問題だったけれど、またこうして出てきてびっくりした。当時の会社で日本的なところがどうのこうのと思っていたけれど、もしかしたら自分がちゃんとした人間だったらなんの問題もなく続けていられたのかもしれないと、ここで初めて思った。

日本では、それでも問題がなかった。日本では自分の気持ちを言わなければいけない場面がなかなかない。でもイギリスでは常日ごろから自分の気持ちを伝える場面があり、そのたびに私は回答がわからずまってしまっていた。

たとえば、どこかにお邪魔した際に「なにか飲みますか?」と聞かれたとき。日本だったら考えなくても「お構いなく」で済む。でもこちらでは、なにが飲みたいか答えてあげないほうが不親切になってしまう。なのでみんなすぐに回答を出せるものだから、最初は本当に驚いた。水がいい、お茶がいい、コーヒーに砂糖二つミルクはなし、紅茶にミルクだけで砂糖なし、など。

普通の人なら、それでも慣れれば回答を出せるようになるのかもしれない。けれど私の場合は、とにかく自分の気持ちがわからない、ほしいものがわからなかった。食べたいものならなんとなくわかるけれど、でもレストランで注文するときは「この場でしか食べられないもの」「値段の安いもの」を頼もうとすることが多くて、考えてみたら本当に食べたいものを頼んでいなかった。

たとえば、ステーキが食べたいけれど、値段が高いからやっぱり他のものを食べなければならない。でもそんなに食べたいものはない、だからどうしたらいいのかわからない。じゃあやっぱりステーキかなと思っても、でも高いなと一度思うとなんだか食べたくなくなってきたりもして、全然決まらずに延々メニューとにらめっこすることになる。

要するに、私は「気持ち」と「」がつながっていないようだった。

これをつなげるにはどうしたらいいと思うかと聞かれたけれど、そんなのまったくわからなかった。「もっと自分の気持ちにフォーカスするべきなのかな」と答えれば、「フォーカス」というのは頭でやることで、「気持ち」は自然にわき起こるものだから、フォーカスして感じるものではないと言われた。

私は、本当に自分の気持ちがわからないのだった。

セラピストは、気持ちと頭をつなげるには「ヨガ」がいいかもしれないと言ってきた。最初なにを言ってるのかわからなくて固まった。こんな西洋の病院の白人イギリス人のセラピストから、「ヨガ」の二文字が出てくるなんて思いもよらなかった。正確には「Yoga」の四文字だけれど。まさに青天の霹靂だった。

これが、私とヨガの出会いだった。

セラピストいわく、ヨガは体の「運動」でもあるけれど、頭と心をつなぐ「メディテーション(瞑想)」でもあるのだということだった。またこの「瞑想」という単語に驚いた。こんな西洋の(以下同文)。

理由はよくわからなかったけれど、とにかくなんでもやってみようと思った。もう自分の知っている範囲内のことではできることがない。だったら新しいことをやっていかなければならないのは自明だ。そこにせっかく専門家が勧めてくれたものがあるのだから、やってみなければと思った。

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