スピリチュアルカウンセリング4回目

このころもう心身ともに限界だったので、またスピリチュアルカウンセリングに行ってみた。

ぼろぼろの体」だったのと、「友人の来英」後にまた起き上がれなくなって、これはもう絶対なにかがおかしいと思った。これで血液検査を三回もして異常がないなんて、そんなことあるわけがないと思った。だからリーディングで異常がないか観てほしかったのもあった。

「これって本当なんだろうか?」「こういうこともあるんだろうか?」という感じがある。

最初にそう言われたときにまったくピンとこなかったけれど、これはまさにその「体にまったく異常がないのに起き上がれない現象」について、私が不思議に思い、怖いと思っていたことそのものだった。

寝る暇もないほど忙しいというわけではないけれど、疲れている。朝から15時間とか働いていて寝れなければ理由がわかるけれど、そうではないのにとにかく力が出なくて、疲れてしまう。「いつもの自分はこうではないのに」と思っている。

びっくりした。そのままだった。

でも、エネルギー的にはそういう時期があって逆に「人間」。機械だってときどき使い古されて疲れて壊れ、修理したりする。人間はもっと自然なので、気候の変化によるホルモン状態の変化など、肉体にはなにかしらの影響がある。病気やストレスなどの理由もなしに、単に「疲れやすい」という時期だってある。人体にはバイオリズムがあって、いつも一定なわけではない。

確かに、人間は「生き物」であるわけだから、いつも同じように一定でいることは絶対にない。

できることは、「疲れたときには休む」ということ。私のように、疲れたときに体が必要に応じて止めてくれるということは、体が正直だということ。もしその疲れを押して無理に進めようとしていたら、もっと休む時間が必要になってしまう。無理やりなので事故もしやすくなるし、ミスも多くなる。倒れたり、入院しなくてはいけなくなってしまったりする。

できればそこまでいかずに「自己管理」をしたい。だから、ちゃんと体が「休みなさい」と信号を送ってくれたということは、とても健全だということ。体の「健康でいたい」という思いがとても強いということ。

「休まなきゃいけないときにきちんと休む」ことは、確かにとても健全だし、これこそが自己管理。日本では体調を崩して仕事を休む人に対して「自己管理がなってない」と言うけれど、あの「絶対に体調を崩さないこと=自己管理」という考えかたはそもそもおかしい。

こうして体が異常に疲れてしまうと、「おかしくなっちゃったのかな?」と疑問に思ってしまう。うつ病なんじゃないかと思ったり、「なんでこんなになっちゃったんだろう?」と心配になる。そうすると頭も休めなくなってしまうし、また「休んだらいけない」と思い始めると、気持ちの上でも休めなくなってしまう。

感情というのは目に見えないけれど、「エネルギー」として存在している。「こんなに体が疲れるなんておかしい」と心配したり、それでも無理をして仕事をしたり、または罪悪感を抱えながら休んだりすると、内側に「見えるエネルギー」を作ってしまったりする。心配しすぎて検査に行けない人もいるし、そのほうがもっと回復に時間がかかったりもする。

この「内側」に作ってしまう「見えるエネルギー」というのは、病気のことなのかなと思った。間違えて癌の診断をされた人が、心配のあまりに本当に癌になってしまったというのは、何度も聞いたことのある話だ。

子供の場合、心配になるとそれだけで頭が痛くなったりお腹が痛くなったりして、学校を休んでしまったりする。これは、それだけ自分の中で心配を消化しようとしているということらしい。大人になると、消化よりも溜めようとしてしまうため、病気を作ってしまうのだとか。クヨクヨする気持ちが拡大すると、特に腎臓や肝臓は機能が疲れてしまうそうだ。

だから、今回「ダメだこれはいけない」と私の中で止められたことは、本当によかった。ふり返って4月かもう少し前くらいからの流れを追ってみると、そのときはわからなかったから葛藤したけれど、でもできないと思ったから止めたのだなというのが見える。自分の中でそれくらい「健康でいたい」という力が強いのだということ。

確かに、やろうとすればできたかもしれない。倒れたわけではなかったし、仕事も、来英した友人と会うことも、頑張ったらできたかもしれなかった。でもよくわからないけど、なぜかできなかった。目の前がホワイトアウトする感覚と、「ここでやってしまったら倒れる」という予感があった。体の信号を真摯に受け止めることができたのだ。

今までにも何度か、頭や心が体を止めたことはあったと思う。今年だけでなく、そうやってマネージされてきたのが見える。「頭」と「心」と「体」の三人がもう寄り添ってきているので、あとは最後にその「仕組み」の理解が必要だということで、今回のことがあったのかもしれない。

肉体があるということは、ちゃんと休めてあげないといけないんだということ。この時期に、頭と体と心の三者と上手につき合ってあげて、ケアしてあげることを練習する。するとこれからも疲れることがあったら「あ、あれが来たんだな」と休んであげられるようになって、それほど長くかからずに回復できるようになる。

これが今回ここで学べたことだった。多くの人と同じように、私はだけで生きすぎていた。頭だけで生きていると、人間は必要なストップがかけられない。

きっとこの経験をしたことで、周りを見ていて「別に大したことじゃないのになんでそんなに疲れるの?」と思うことがあっても、「そういうことって確かにあるんだな」と思えるようにもなる。「疲れてるときは休んだほうがいいですよね」という言葉をかけてあげるだけでも、実際休めなかったとしても安らぎになることができる。

この世には理屈じゃないこともあるんだと思った。地球上のすべてが理由をつけられることばかりではないし、それがバーチャルではない「現実」だということだった。

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