ミラーマン

このころ会社から、1年の産休カバー契約のあとに、正社員として残るつもりがあるかどうかを聞かれた。産休中の人が戻ってくるかどうかはわからないらしいけれど、それを聞かれたということは、そのオプションがまったくないわけではないということだった。

友人たちは、私の頑張りが認められたのだと「おめでとう!」「よかったね!」と言ってくれた。それを聞いて私はびっくりした。なぜかというと、私はその話があったときに激しく落ち込んだからだ。

なぜ落ち込んだのかというと、傷つく場所に「残る」という選択肢ができてしまったからだった。夫の仕事がない今、私に正社員の仕事ができたら助かる。残ればいいことは誰にでもわかる。でも残りたくない、これ以上傷つきたくない。いっそのこと、そんなオプションを提示なんてしないでほしい。そこまで思っていた。

でもその気持ちは誰にも理解してもらえなかった。物理的なものが見えないバーチャルな人もいたし、説明してもわかってくれずに私が謙遜してるだけなのだとただひたすら思い込んでいる人もいた。ますます世の中が恐ろしくなった。

私に残ってほしい理由が、私の仕事ぶりを評価してくれたのだと思えたり、産休中の人が戻るまでのつなぎなのだと思ったりして、気持ちがアップダウンの連続だった。「人前で話す」業務もしなくてよくなり、そこまで契約延長を拒む理由もなくなってしまった。偉そうな同僚を見ては嫌になったり、できる同僚を見ては一緒に仕事をしたい気持ちが出たりした。とにかく心が落ち着く暇がなく、きつかった。

今これを読んだらすぐにわかることだけれど、このときの私には「自分」がまるでなかった。親から「自分」を育ててもらえなかったからだ。いつも親や周りを考えて、それに合わせて行動するように訓練されてきたため、「自分」がどうしたいのかを考えることをしなくなり、ついには「自分」を失った。

だから、会社が私の仕事ぶりを評価してくれたら気持ちが上がるし、そうでないと自分の価値がないような気がして気持ちが下がった。優越感を味わうために私を見下してくるような同僚がいると凹まされたり、びっくりするほど仕事ができる同僚がいると「この人に認めてもらわなければ」と思ったりした。

自分に対する評価が、すべて「外的要因」で作られてしまっていたのだ。

以前のカウンセリングで仕事について聞かれたとき、好きか嫌いかすぐ答えられなかったことがあった。人からほめられたら楽しいし、誤解されたりミスを指摘されたら楽しくなかったから、一様にどうであるか答えることはできなかったからだ。

「仕事そのもの」ではなく「人からどう思われているか」で、仕事が楽しいか楽しくないかが決まってしまっていた。自分がその仕事をどう思うか、好きなことなのか苦手なことなのか、やっていて楽しいのかつまらないのか、どういう作業はすきだけどどういうことは嫌いなのか、まったくわからなかったのだ。

自分がまったくなかった。空っぽだった。でも当時はなにが起こっているのかわからなかったし、なんでこんなにもつらいのか、なぜこんなにも少しのことでアップダウンしてしまうのか、なにもかもがわからなかった。

会社がどう言おうと「自分がどうしたいのか」があればいいことだった。残るオプションを提示されても、自分がどうしたいのかに合わなければ辞める、合わせてもらえるなら続ける、どこまで合わせてもらえるのか、どこは無理なのか。そうして決めればいいことだった。会社がどうかということで、いちいち凹む必要はないのだ。

今までは、そうやって自分の思うことを言えない人のことを「なんでちゃんと言わないの」と責めていた。でも言えない人には言えない原因がある。自分がわからない人、わかっていても口にできない人、みんなそれぞれ違うブロックがある。そこを紐解かずに「言わないとだめだよ」と言うだけでは問題は解決しない。このときそこだけは学ぶことができた。

ダイエットも同じだ。人間、食べなければ痩せる。運動をすれば痩せる。でもただ「食べるな」「運動しろ」と言ってもできない。それは食べてしまうメンタルな原因、心理的ブロックがあるからだ。これを解かないことにはダイエットできない。一時的にはできても元に戻る。だからダイエットはなにも物理的な体の話ではなく、むしろメンタルの問題なのだ。

夫は短期フリーランスの仕事が順調ではあったものの、他にもいくつか面接を受けていた。できれば私に正社員になってほしいけれど、無理なら辞めてもいいし、新しい仕事だって見つかるよと言ってくれていた。でも本当にそう思っているなんて信じられないし、そんなにも都合よく見つかるなど思えなかった。

誰になにを言われても信じられず、本当にしんどかった。ミラーマンのように、私という「箱」だけがただそこにあるだけで、中身は空っぽでなにもなく、外側は鏡になっていて誰からも見えないし誰からの言葉も反射してしまうようだった。箱がそこにあるだけで「本当の私はどこにいるのだろう」と感じていた。本当に怖かった。

mirror man

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2件のコメント

  1. 共感できる事ばかりです。
    自分も自分がどうしたいかを後回しにして、
    どう周りに見られるかと言う、
    外的要因の評価で生きてました。
    まだその途中で苦しんでますが、、、
    ブログ読んでると勉強になります。

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    1. > tomjuly2017さん

      読んでくださってありがとうございます。日本人はこういう人多いですよね。お互い自分がどうしたいかを出していけるといいですね。

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