わけもわからず傷つく毎日

毒親がだめだった私にとって、古い日本的な考えかたがだめなのは当然だった。今のこの日本社会を作ったのは、そのまま毒親の世代だからだ。

別に、なにも「古い」ことが悪いわけではない。悪いのは、実情に合わなくなってきているからだ。孝行するに値しない人物なのに「親孝行」を子供に押し付ける毒親たちは、海外に出ても日本の考えかたのまま仕事をしている人たちそのままだ。どちらも実情に合わず、バーチャルだ。だから現実とのギャップでひずみが出る。

そのひずみに気づけない人が「毒親」になる。そしてひずみの原因を、自分の子供や若い世代のせいにする。家族での毒親、社会での毒親。そういう人たちのなんと多いことだろう。

今、社会のひずみの原因がこの旧世代にあることに気づく人が増えている。今までは旧世代から言われたことを鵜呑みにしてきた謙虚な若い世代が、「それは違う」と気づき始めている。多くの人が気づくことによって、実情に則した暮らしやすい社会を作っていけるようになると私は思っている。

そこに行き着くまでは、旧世代のやりかたや考えかたをスルーし、押しつけられそうになった場合のみ意見を言って、変えられるところから変えていけばいい。会社で会う人がどうであれ、「自分は自分」としていればなんの問題もない。

でもそれができない。毒親育ちで旧世代のやりかたや考えかたがトラウマになってしまっているから、それに直面したときにどうしてもかわせず刺さってしまう。自分がないから「人と人との境界線」がなく、相手のやりかたや意見がそのまま自分の中に入ってきてしまう。

普通なら「自分はこう思うけど、相手はこう思っているみたいだ、じゃあこうしよう」と、自分の考えと相手の考えの二つを目の前に置いてみて、どうするか考える。どちらか一方を採用してもいいし、それぞれをどれくらいずつ混ぜたらいいか考えてもいい。
kangae futsuu
でも私の場合は「自分はこう思う」の部分がないため、「相手はこう思っているみたいだ、じゃあそうしよう」と相手の考えを自動的にそのまま取り入れることになる。
kangae watashi
でもそれにだんだんと違和感を覚え、傷つくようになってきた。「自分はこう思う」の部分が存在を主張し、見えるようになってきたからだ。なんだかわからないけれど、なんだか傷つく。なにかがそこにある。

そこでその違和感を無視せず見つめてみると、「自分はこう思う」を認識できるようになってくる。そうすると、「自分はこう思うのに相手の思う通りにやってしまっているから傷つくのだ」とわかるようになってくる。

すると当然「相手の思う通りにしたくない」と思うようになる。自分の思いを察してくれない相手を責めたり、イライラしたりするかもしれない。でもどうやって「自分はこう思うので」を相手に伝えたらいいのかわからない。最初はとにかく相手の考えを打ち消し自分の考えだけを残すことしかできなかったりして、相手をびっくりさせたり失礼になってしまうかもしれない。

でもそこであきらめてはいけない。自分の気持ちを見つめ続けていくことで、もっと早い段階から自分の気持ちに気づくことができるようになり、しだいに相手に失礼にもならずいいタイミングで自分の考えを上手に伝えることができるようになってくるはずだ。

でもこのときの私は、まだそんなところまで到達できていなかった。会社で自分の考えを伝えることもできず、日本的な考えかたをスルーすることもできずに、ただひたすら傷ついていた。なんでこんなにもただ会社で仕事をするだけのことができず、苦しいのかわからなかった。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中