「不幸にする親」抜粋:原則

「不幸にする親」より、特に勇気づけられた部分を抜粋してみた。原文そのままではないが、当時の私が本から抜き出してまとめ、よく読んでいたものになる。

私は「独立した、欠けるところのない一人の人間」である。
他人から侵略されたり蹂躙されることのない、
自分と他人を分ける健全な境界線を引いていい。
感じたことを述べ、本当の気持ちを表現する自由を持っていい。
苦しみから癒える権利がある。

私がおかしいのではない。
私が言っていることは、私の作り話ではない。
不健康で有害な親のコントロールは実際にあった。
それは苦痛に満ちた、破壊的な作用をもたらした。
親の声が心の中に内面化することは、私には止められなかった。

子供は、単に親の子供だからという理由で親に借りがあるわけではない。
子育てには大変な苦労や困難が伴うが、同時にあり余るほどの報いがある。
子供を愛するというのは、親にとってそれ自体が報われることである。

感謝とは、子供から「されるかもしれない」ものであって、
子供が「しなくてはならない」ものではない。
子供からの愛や尊敬や感謝は、親が子育てで努力することによって、自分の力で得るものである。
子供を支配することによって、当然のことのように相手に要求するものではない。

①親の不健康なコントロールは実際にあった。
②親のコントロールは私を傷つけ、私は代償を払わされた。
③私はそのことに関する全ての気持ちを声に出して述べる権利がある
④私が子供の時に親からされたことには、私には責任はない。その責任は親にある。
⑤大人としての現在の人生においては、私がすることには私に責任がある。その責任は親にはない。

今まで毒親自身や周りの人からいろいろ言われてきたと思うけれど、自分のつらい気持ちを肯定し、「親に問題があった」ということを強く認識する。たぶん、まずここが最初だと思う。

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