「毒になる親」五章抜粋

この本は大きく分けて二部に分かれており、第一部が毒親についての説明、そして第二部が毒親からの回復の方法だ。第一部にたくさんの毒親の種類について書かれているが、その中の第五章「残酷な言葉で傷つける親」が参考になった。第三章の「コントロールばかりする親」も参考になるかもしれない。

第五章の中から、特に私にとって参考になった部分を抜粋する。

第五章 残酷な言葉で傷つける親

 肉体的な暴力でなければ暴力ではないと考える人は多いが、それは正しくない。言葉による暴力はそれと同じくらい、時にはそれ以上に人を傷つける力を持っている。特に、親による侮辱的なののしり、はずかしめ、バカにした言葉などは、子供の心を著しく傷つけ、将来の心の発育に劇的な悪影響を及ぼす。ある時、私にこう言った人がいた。

 「ひどい言葉で傷つけられるのよりは、ぶたれるほうがまだましですよ。ぶたれた痕が残っていれば、少なくともみなが同情してくれる。言葉で傷つけられた場合には外から傷が見えないでしょう。体の傷は心の傷よりずっと早く治りますよ」

 従来、子供のしつけというのはプライベートなことと考えられ、各家庭の、特に父親の自由裁量で行われてきた。近年ではひどい親による子供の虐待の問題が社会的に真剣に取り扱われるようになってはきたが、それでも言葉による虐待についてはまったく何もなされていないのが実状だ。

 残酷な言葉の持つ力

子供というのは、親の言葉はすべて額面通りに受け取り、自分のなかで「内面化」(後述)してしまうものである。傷つきやすい子供をターゲットにして冗談をくり返し言う親は、加虐的で有毒である。

 この男性の場合は、いつもこき下ろされ、笑いものにされていたが、それに抵抗して争おうとすると、今度は「冗談がわからないやつだ」と責められ、「ダメなやつだ」とやはり自分が悪いことにされた。子供はそういう状態に置かれた時、感情の持っていき場がない。彼は子供時代の体験を私に話している間じゅう落ち着かず、もう何十年も前の出来事なのにもかかわらず、いまだに思い出すたびに居心地の悪い思いをしているのがよくわかった。

 彼はカウンセリングを始めたばかりのころ、自分が極度に神経質であることと子供時代の父親の“あざけり”とが関連していることにはまったく気づいていなかった。当時は、父親からひどいことを言われても、それがひどい行為だとだれも認めてくれず、だれも助けてはくれなかった。典型的な「絶対に勝ち目のない」状況に置かれていた彼は、「自分は弱虫だ」と感じていた。

 大人になって家から独立し、社会人になったが、それで基本的な性格が変わるわけではない。父親のいじめによって身についた、人に対するネガティブな反応のパターンは、対人関係で同じようにくり返された。それが人の言動に対する過敏な反応や不信感、非常に内気な性格、などとなって固定した。それは彼にとって避けることができなかったこととはいえ、そうなったところで傷つくことから身を守るにはまったく効果のないことだった。

 「お前のために言ってるんだ」という口実

 残酷で侮辱的な口汚い言葉で子供を傷つけながら、「お前をもっとましな人間にするためだ」とか「世の中は厳しいんだ。それに耐えられる人間になるよう教えているんだ」などといって正当化する親は多い。こういう親は、実際には虐待しているのに、表向き「教えているのだ」という仮面をかぶっているため、被害者の子供は大人になってもその有害性がなかなかわからない。

 なかには、とにかく子供をけなしてばかりいる親がいる。子供は「怒られている自分が悪いのだろう」とは感じても、やはりすっきりした気分にはなれない。後ろめたい気持ちに反発が混ざり合い、自分が何かをちゃんとやれていると思えることがなく、これでは自信など生まれるわけがない。何かがうまくできたと思った時でも、ひとことのけなしでその気持ちはしぼんでしまう。自信を育てなければならない大切な時期に、励まされるのではなくけなされるのでは、自信の芽は摘まれてしまうのである。だが親は、「わからせてやるため」という理由をつける。

 こういう親は、実は自分に能力がないことに対してフラストレーションを抱えている。なかには子供をけなすことで自分の優越性を示そうとする親もいるが、そういう親は、そのような行動をすることによって自信のない自分を隠しているのである。彼らは子供をクラスメートの前でこき下ろして恥ずかしい思いをさせるようなことも平気で行う。思春期の少年少女にとって、それはもっとも恐ろしいことである。だが「毒になる親」は、そんな子供の気持ちより自分の気持ちのほうが常に大事である。

 完全でないと許さない親

 子供をひどい言葉でののしるもうひとつのタイプに、すべてに完璧であるようにと子供に実現不可能な期待や要求をする親がある。そのような親の多くは、往々にして自分自身が何事につけ完全でないと満足できないタイプの人間であることが多いが、とかく子供を仕事などのストレスからくるフラストレーションをぶちまけるためのはけ口にしてしまうのである。

 このタイプの親は、まるで「子供さえ完璧であれば自分たちは完璧な一家になれる」という幻想を信じていなくては生きていけないかのようだ。彼らは自分たちが精神的に安定した家庭を築くことができない事実から逃れるため、その重荷を子供に背負わせているのである。だが子供は当然親の期待通り完全であることはあり得ず、するとそれを理由に一家の問題がそこにあるかのように扱われ、子供はスケープゴートにされてしまうのである。

 間違えたり失敗したりすることは、子供の心が健康に成長するためには必要なプロセスである。子供はそういう体験をすることによって、多少の失敗をしてもそれがこの世の終わりではないことを学び、その結果、経験したことのない新しいことにもチャレンジできる自信を身につけていく。だが、子供が自分の思う通りに完全でないと満足しない親は、過剰な期待や要求ばかり押しつけ、子供がその通りにできなかったり失敗したりすると、なぐさめるどころか落胆してみせたりなじったりする。また、そういう親は子供が守らなくてはいけないルールを作るのが大好きだが、それは自分の都合でいつも変わってばかりいる。

 子供が親から与えられることを必要としているのは、「自分は愛され守ってもらっている」という「安心感」なのに、これでは逆である。子供はいつも何かに追いかけられているような気分と不安感から逃れることができない。

 親の言葉は「内面化」する

 友人や教師や兄弟姉妹その他からけなされても傷つくことに違いはないが、子供がもっとも傷つくのは親の言葉だ。つまるところ、小さい子供にとって親というのは世界の中心なのである。全能のはずの親が自分のことを悪いと言っているのなら、「自分は悪いのに違いない」と潜在意識は感じる。もし母親がいつも「お前はバカだ」と言い続けているなら、私はバカなのだろう。もし父親がいつも「お前は無能だ」と言っているのなら、私は能のない人間なのに違いない、等々。小さな子供には、親によるそのような評価に疑いを投げかけるようなことはできない。

 人間の脳は、人から言われた言葉をそのまま受け入れ、それをそっくり無意識のなかに埋め込んでしまう性質がある。これを「内面化」といい、ポジティブな概念もネガティブな言葉や評価も同じように無意識のなかに収納される。するとつぎに、人から言われた「お前は○○だ」という言葉が、自分の内部で「私は○○だ」という自分の言葉に変換されるのである。これは子供においては特に顕著で、親のけなしやののしりの言葉は心の奥に埋め込まれ、それが自分の言葉となって、低い自己評価や人間としての自信のなさのもとを形作ってしまう。

 このように、親の言葉による虐待は、子供がポジティブな自己像(自分には愛情があり、人からも愛され、人間として価値があり、能力もあるというイメージ)を持つ能力をはなはだしく損なうばかりではなく、将来どのようにして世の中とうまくつき合っていけるかということについてもネガティブな像を作り上げてしまうのである。

 このようにして内面化され、自分で自分を苦しめるもとになっているネガティブな自己像を、再び表面に引き出すことによって打ち破っていく方法については、第二部で細かく述べたいと思う。

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