将来の子供にできること

スピリチュアルカウンセリングの最後。

私が夫にできること」で、自分が親にされたことが嫌だったにもかかわらず、同じことを夫にしていることをまた発見して、涙が出てきた。

さっきお母さんとの姿が見えたので、それについて話そうと思っていた。自分が同じことをしていると気づくことで、「あーお母さんこんな風に思っていたんだな」という理解につながる。でも自分はそのまま同じように生きずに、自分のところで変えていくことができる。

それはけして母親を拒否するということではなく、母親も葛藤しながらいろいろ考えていたのだろうと思うことができる。母親は100%私のことが心配で大事であるから言っていた言葉ではあるけれど、でも本当の意味で私を大事にするということを考えると、言葉や態度を変えなければならなかった。

母親は途中までしかできなかったけれど、自分は母親の分まで自分のところで変えてみようかなと思うこともできる。これからやってくる子供のために、先を見越して。そうしたらなんの無駄もない。

そうは言っても、これを100%受け入れることはまだできない。でも、それでいいのだと思う。受け入れられるときが来たら受け入れられるわけで、なにも「受け入れることが一番」だからといって、今すぐ受け入れられなきゃいけないわけではない。「はい、じゃあ受け入れます」とできたら、それは人間ではない。そこに行き着くまでの過程で学べることが重要だ。

子供に対して「もうちょっと早く歩けない?」よりは、「ずいぶん早く歩けるようになったね」と言ったほうが、もっと早く歩けるようになる。「いつまで経ってもできないね」「いつになったら歩けるの?」と言っていると、そこで肉体は止まっていないけれど精神が止まってしまう。

電車やバスで周りを見回してみると、「リフトされる言葉」と「ぐわーっとなってしまう言葉」があることに気づくと思う。その中で、「あーこういう言葉か」と学ぶことで、夫や将来の子供の役に立つようになる。

ためらいもなく「将来やってくる子供」という話をするけれど、本当にそんな日がやってくるのかは疑問。今でもやはり自分に安心感がないし、夫にも安心感がないし、家族としての安心感もないから、これ以上安心感のない存在を増やすことはできない。

でも将来子供を持つことにならなかったとしても、これはどんなところでも役に立つことだと思うし、学んでいて損はない。夫との間でも、職場でも、友達との間でも、人がいるところならどこでも使える。「自分がわからない」で書いたような、挙動不審で人とうまくコミュニケーションがとれない自分から脱却できる。

すべてが簡単でなんでも片付いていってしまったら、なにもやることがなくなってしまって、それはもう「人生」ではなくなる。だからいつもなにかしらチャレンジがあって、それを乗り越えることで「自信」になっていったりする。

確かに、これは真理だ。「いつになったらすべて片付いた状態になるのだろう」と思っていたけど、生きている限りなにかしらがあるわけで、そんななんにもないまっさらな状態の日は永遠にやってこない。だからそんな完璧な日を目指し続けるのではなくて、なにかがあることを日常だと思って、ひとつひとつを落ち着いて片づけ乗り越えていけるようになりたい。

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