夫が今やること

スピリチュアルカウンセリングの続き。

夫には「どちらかというと人をフォローしていきたい」という人たちを上手に合わせてくると、夫の個性とユニーク性がとても生きてくる。夫は「とりあえず進んでみよう」という人だから、「進んではみたいけど自分から進んでいくことなんてできない」という人がいたらお互いにとっていい。

それには、夫が自分の「個性」を知ること。自分のことだからある程度はわかっているものの、「こういうのが得意な人がいてくれるとお互いにとってとてもいいな」と具体的にわかるといい。夫はアイディアはたくさんあるけれど、それを形にしていくことが不得意。でも「アイディアはないけれど具体的に形にすることは得意」という人はいる。それは「性質」が違うだけで、どちらがいい悪いではない。そういうことができる人が、周りに何人かはいる。

夫はアイディアばかりで地に足が着いていないと思っていたけれど、確かにそれを具体的に形にするということは別の能力であって、それができる人がいれば解決する問題なのかもしれない。人には得意不得意がある。当たり前のことだ。

夫が自分でプロジェクトをやるには、自分は設計だから、他にデザインプログラマーの二人が最低でも必要になってくる。いろいろな集まりに顔を出してはいたものの、みんな自分のやりたいことを抱えていて、なかなか一緒にやりたいという人が見つからなかった。

たとえばお店を出すとして、オーナー、売り子、経理の三人をそろえる必要があるとする。でも既にそれを専門にしている人を探すというよりは、夫のことをとても信頼している人で、「そんな仕事はしたことはないけれど経験してみたいな」「したことはないけれど勉強すればできそう」という人がいたら、そのほうが盛り上がるし、夫にとっても相手にとってもプラスになる。

立派な売り子と経理の専門家が集まっても、まったく進んでいかないことがあったりする。「売り子と経理募集」というやりかたではなくて、「やりたい人」や「向いている人」といったような、「実際の味」で探していったほうがいい。直感力を持っているから、ピッタリおさまる人が見つかってくる。

たしかに、そういう探しかたもあるのかもしれない。それまでずっと役目にこだわって探していたけれど、特性個性で探すこともできるのかもしれない。

このころ夫は自分のプロジェクトをやりつつも、いくつか面接にも行き始めていた。面接で知らない人と話をして、自分のことをわかってもらえなかったり、誤解されたりすることがすごく嫌で、自分のことをわかっている人や知ってる人と仕事をしたいと言うようになっていた。

ところが、面接で知らない人と会って話をするけれど、まったく知らない人とでも妙に話が弾んでしまうこともある。初めて会い、「これも違う」「これも違う」という中ででも、「ここで仕事をしたいとは思っていなかったけれど、話しててなんだか妙にリラックスしていたな」というような。こういうことが今とても必要。

こういう機会があったことで、こういう作業をしなければならなくなって、必要なことに取り組めている。仕事を見つけるかどうか、仕事につながるかどうかはわからなくても、この作業は前の会社を辞めていなければできなかったこと。そうでないと出会わなかった人たちに会えるチャンスを作られているのだと思う。

いろいろなところに行ったり、人に会って話をしているうちに、だんだんと自分のことがつかめてくる。「こういうのが苦手」「こういうのがいい」「あそこのあんな感じがよかった」など。だからまったく無駄ではなく、むしろ「前進」するために歩いている。夫が向かう道にきちんと向いているということ、そして誰かに会って気づくことがあり、そのために行動できていることが重要。

これは本当にそうで、実際のこのあとの流れを見ると、ここでいろいろなところへ行っていろいろな人と会って話をしたことが本当に必要だった。だから人生になにごとも無駄はないのだと思う。そう考えることができたら、前へ進める気がする。

私もそうで、このときの産休カバーの仕事がまさにそうだった。まったく経験のない業界でまったく経験のない仕事だったけれど、そういうところへも行けるのだということがわかったのと、ここでの経験から自分の中にある問題にたくさん気づいたし、どういうことが自分にいいのかということにも気づけた。

夫の中では「こうでありたい」というイメージができあがっていて、意識的にかはわからないけれど、天にそのイメージがちゃんと送られている。周りを見渡してみて「ああなりたい」というサンプルを見つけ、「こういう自分がいい」というイメージを持つことは重要。夫は、宇宙や天からの「協力」をとても純粋に受けている。だから仕事を辞めたことも、むしろ天からの後押しだったのかもしれない。

というのは、それがなかったら今こうしていることがなかったからだ。すべきことだったからしていて、経験する必要があったから今している。そういうときに塞ぎこんでしまって家に閉じこもってしまう人もいる中で、夫は「こうしてはいられない」と動いている。その「生きる力」はすごい。

たしかに夫は、やりたいことや欲しいものが具体的だ。常にノートを持ち歩いていて、電車に乗るといつもなにかを書いている。もう何冊も何冊もたまっていて、置き場に困る。いつもアイディアがあって、ああでもないこうでもないとやっている。

私からすると、それはなんだか反省がなくて、いつも「次へ次へ」となってしまっているような気がしていた。でも思うに、「反省」とはなんだろう。引きこもって、ネガティブな空気を醸し出し、「だめだーーーー!!」と叫ぶことだろうか。

夫が「次へ次へ」となっているのは、「こうじゃなかった、じゃあこうしよう」と、前のアイディアから引き出された結果を見て改良しているのだ。だとしたら、引きこもらずすぐ改良して次につなげられているということは、立派なことなのかもしれない。

そうすると、人生に「失敗」も「反省」も必要ないのかもしれない。それは「経験」であり「改良」なのかもしれない。

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