人に頼れない

イギリスに帰国して一週間が経っても、まだまだ回復にはほど遠かった。

毎日身も心もしんどく、とにかくずっと眠かった。「つらい日々」で書いた通り、「ああもできたのに」「こうもできたのに」とずっと考え続けていて、あとからあとから発見することが出てきて、そのたびにまた「沈んで」「怒って」「のたうち回って」というのを繰り返し続けていた。

ひとつはっきりと認識したことは、「自分が人の好意を安心して受け取れない」ことの理由だ。

当時の1〜2年前から気づいてきたことだったけれど、私は人の好意を素直に受け取れなかった。ほめられることも居心地が悪かったし、けなされていじられることが好きだった。そのほうが安心していられたからだ。

これは、人になにかをしてもらうと「それ以上のものを返さなければならない」と思っているからだ。人になにかを頼むと、

1)ちゃんとやってもらえるか心配で安心していられない
2)やってもらった以上のお礼をしなきゃいけない

と思って、よけいに大変なことを抱えることになるから、なるべく人に頼んだりせず、どれだけ大変でも面倒でも自分でやってしまうことが多かった。そのほうが、気がラクだったからだ。

しかもその内容は、特に大変なことばかりでなく、ごく日常の小さなことだったりする。

たとえば、隣に座っている上司や同僚にいつまで経っても話しかけることができない。「今だめなタイミングなんじゃないか」「今なら大丈夫かな」「いやなにか別のこと始めたからだめだ」と、とにかく完全に話しかけられる状態が明らかに見えるまで、話しかけられない。なので、聞きたかったことを先延ばしにしたり、聞かずに自分でやってしまう。

道や電車でも、ちょっとどいてほしいとお願いしたり、ちょっと人になにかを聞いたりができない。なにかのついでに人にやってもらうとか、さらには明らかにそうしたほうがお互いのためになるようなことでも、言い出せなくて終わってしまったり、相手から言ってくるのを待つしかない。

なにかをしてもらったら、相手に対して「本当に助かりました」と思っていることを示すため、過剰にお礼を言ったり、ときには卑屈なほど相手を持ち上げてしまったりする。

これも、親からそう「訓練」されてきたからだということに、このとき気づいた。

たとえば「化粧水」で書いたように、なにかを頼んでも本当にちゃんと届けてもらえるのかがわからない。余計なことを言うと臍を曲げて意地悪をされて送ってもらえなくなるから、心配な気持ちを押し込めてペコペコご機嫌を伺いながらお願いし、ハラハラしながら待つことになる。

心配が現実となり、届かなかったとしても、手厚いお礼とお返しを期待される。万が一文句を言おうものなら、「全部送り返せ」などということを言われる。

実家へ行ったときのこと(「予期すらしていなかった大災害」参照)だって、そうだ。娘が遠くから祖母に会いに来るとなったら、通常の自分の予定を変更してでも、「娘が祖母と過ごせるようにしてやろう」と思うのが、普通の親だ。娘が、2か月も前から心配してご両親様のご予定を伺い、何度も連絡を取って予定を確認しつつ、ご機嫌を損なわないようにペコペコして持ち上げて、万全を期して出かけて行く必要はまったくない。

毒親はそこを真逆に、祖母を施設に入れてしまう。どう考えても異常だ。しかも「お前が(祖母の)世話をしたいなら呼び戻してやったっていいんだ」と上から目線で言ってくるなど、頭がおかしいとしか言いようがない。さらにはそれを「娘のために(予定を変更して)呼び戻してやったんです」と記憶をすり替えて言い回るのも、完全に狂っている。そして祖母を呼び戻したことに対してお礼を言わない私を、「感謝がない」と怒る。救いようがない。

「お葬式に出るから黒い服がほしい」と言って、「よしわかった」と言われていたのに、前日に突然「赤い服」をもらうのと同じだ。それで「え、黒って言ってたじゃん!お葬式に赤なんか着ていけないよ!」と言えば、「赤くても服は服だ!感謝しろ!」と言われる。「化粧水ふたたび」でも書いた通り、ヤクザと同じだ。

こんな環境に何十年もいたから、人になにかを頼むと、

1)「きちんと実行されないのではないか」「悪い結果になるのではないか」と心配になってしまい
2)「結果がどうなってもそれ以上のお礼をしなきゃいけない」「してあげたことについて相手に満足してもらわなきゃいけない」と思い込んでいるから

「だったら自分でやったほうがましだ」となって、人に頼ることがまったくできなくなってしまったのだ。

同様に、人を助けることも下手だ。自分だったら人に頼らずやってしまうから、「人がどれくらい助けを必要としているか」がわからない。はっきりと「これをしてください」と言われない限り、相手が自分にやってほしいと思っているのか、自分でやろうとしてるのかがわからない。なので、「やりましょうか」とスムーズに手を差し伸べることができない。

人間は、一人では生きていけない。生きてる限り、誰かになにかをお願いし、助け合わなければならないことなど必ずある。だから、安心して人になにかをお願いし、助け合いができるようになりたい。「変わりたい」と痛切に思うようになった。

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2件のコメント

  1. ここに書いてある事、正に私です。私はアイルランド在住の主婦ですが、今まさに日本の家族の事で葛藤しています。まだ全て読んではいませんがkelokoさんの言ってる事、痛いほど分かります。
    まだまだ解決の糸口は掴めていなですが、これを読みながら私も変われそうな気がしてきました。

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    1. > 愛さん

      コメントありがとうございます。やはり海外在住で同じ経験をしている人って多いですね。まったくそのままとはいかないかもしれませんが、私の経験でなにか参考になることがあればいいなと思います。

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