つらい日々

実家での苦行を経て、イギリスへ帰国した。

いろいろな発見と確信を得て、たくさんのことを学んだのは、「大きな一歩」で書いた通りだ。でも、仕事をしてても家にいても、毒親にされたことが頭から離れず、「ああすればよかったのかもしれない」「こう言ってやればわかったかもしれない」と永遠に考え続けていた。

毒親のまとう黒く濁った空気と、ヒキガエルのようにつぶれた顔に、死んだ魚のような濁った目が、頭から離れなかった。怖くて、気持ち悪くて、たまらなかった。

やっと寝つけても、夜中の2時に目が覚めては、また眠れなくなった。完全に取り憑かれていた

毒親が後悔するだろうと思うと、「死んでやろう」と思うことも多かった。もう自分には、「自分の存在」を毒親に証明することはそれしかなかった。あんなやつらのために自分を犠牲にするなんてと思うこともあったけれど、ときどき波がやってきてどうにもコントロールできなくなりそうなことがあった。

私も、人間だった。感情のある、立派な一人の人間だった。

よくもそれを無視して、今まで好き放題にしてくれたものだと思った。しかも、自分の子供にだ。あり得ない。どうにか痛い目にあわせて、後悔で死ぬほど苦しめてやりたいと思った。私はこんなにもつらいのに、やつらはそれをなんとも思わないばかりか、「俺たちに嫌な思いをさせやがって」と思っているわけだ。あり得ない。

こんな目に私があわなきゃいけない理由は、いったいなんだろう。

もう、「時間が解決する」とかそういう問題ではないように思えてきた。早くどうにかしないと、自分がつぶれてしまうと思った。一度の「不幸なアクシデント」ではない。何十年もの苦しみが積み重なって、あふれ出しているものだった。どうしたらいいかわからず、お祓いでもすればいいのだろうかと思った。

それでも、「自分はつらいのだ」ということを認め、外に出せるということは、大きな進歩だった。

実家にいたころは、学校や外では楽しいキャラクターで、家では無言で死んだような、二重人生を送っていた。そういうところを外の人に見せたら、頭のおかしいやつだと思われると思っていたし、周りには理解してもらえないだろうと思っていたので、隠していた。

親は、「Kelokoは外面がいいから」といつも言っていた。外面がいいから、外の人には私がどれだけ「大変な子」かということがわからないのだと言っていた。

今思えば、それが洗脳だったのだ。毒親にそう言われていたせいで、「外の人にはわからない」と思い込まされていたのだ。私は「大変な子」ではなかったし、「大変」なのは毒親のほうだった。

自分でもそうは思っていたし、違うと思うことは違うと言ってきたつもりだったけれど、生まれたときから何十年も「自分の親」にそういい続けらると、こんなにも刷り込まれてしまうのだ。自分でも気づかないうちに、あのヒキガエルたちが放つ毒素が、空気を通して少しずつ少しずつ私の体の中のほうまで染み込んでいっていた。おぞましかった。

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