同窓会

帰国の前、SNSでつながっていた同級生女子二人が「集まろう」と言ってくれていた。

最初は、「呼べそうな人を呼んでランチをしよう」という話だった。それがどんどん大きくなっていって、「お世話になった先生も呼ぼう」という話が出た。なにも知らずに「いいね」と言ってしまったことを、後悔することになる。

よさそうな店に聞いてみたところ、コースが4,500円と言われた。私ともう一人は、「ランチでそれは高すぎるから、席だけ予約にしてそれぞれ頼みたいものを頼もう」ということで一致した。

でももう一人が、「同窓会なんだから、先生は車代を出すか会費半額、経費は3〜8,000円が妥当、それプラス経費の倍を足したものを会費として回収してトントンだ」と言い始めた。

それにびっくりして、「私たちはカジュアルランチのつもりだったし、声かけている人たちにもそういうつもりで連絡しているから、8,000円などと言われたら来れない人も出てくると思う」と言ったら、なぜか激怒された。

理由はよくわからないけれど、「『金額』で来る来ないが変わる」のが非常識だとのことだった。

けっきょく彼女が「もういい、私が幹事をやる」と言い、店も会費(5,000円)も決めた。声をかけていた人たちに、場所と会費の連絡をしたのだけれど、それでも彼女は「会費の提示はしたくない」と最後まで言っていた。

彼女はお堅い仕事なので、きっと周りに年上の人が多く、そういう日本古来の「常識」をたくさん知っているのだろう。きっと、同窓会というのは金額提示なしで、先生は会費半額か車代、というのが常識なのだろう。

でも、常識がどうであれ、現状として「カジュアルランチ」ということで誘ってしまっているから、行ってみて突然「じゃあ会費8,000円」と結婚式の二次会レベルの金額を言われたらびっくりする。

半年前に出欠のはがきが届いて始まるような正式な同窓会だというのなら、この金額でもまあわからないでもない。でも今回は、私の帰国に合わせて集まろうというところから始まった個人的な集まりなのだから、先生にもそう言って、適当に来てもらうようにすることだってできるはず。

そう言ったけれど、彼女にとってそれは「あり得ない」らしかった。

現状としてそんな会費だと来れない人も多いと思うから、みんなが来れるように会費だけでも安く済ませようとも言ってみたけれど、それも「あり得ない」らしかった。夫と二人で10,000円も取られてしまうようなら参加できないと言ったのだけれど、会費は5,000円に決定。なので、「来なくていい」ということだ思っていたのに、わざわざ参加の有無を聞かれた。「言った通り参加できない」と答えたら、それもまた「あり得ない」と言われてしまった。

いったい、どうしろと言うのだろう。

「5,000円じゃ参加できません」と言っているのに、会費を5,000円に設定した。なのに、参加しないと「あり得ない」とは。

世の中の全員が自分と同じように生きているわけではないし、いろいろな人がいて、いろいろな事情がある。だから、より多くの人が参加できるように、柔軟に対応すればいいだけの話だと思う。同じ学校を出ていても、そこから歩む人生はバラバラだ。当時の私たち夫婦のように無収入のド貧乏だっているかもしれないし、玉の輿で左うちわみたいなのだっているかもしれない。

「これはこうするのが常識だから、みんなこれに合わせるように」と言っても、それが特にお金のことなら、合わせられない人が出てきて当然だ。しかも、今回はそんなにかしこまった機会でもない。

そんな中で「ただひたすら常識を通すこと」で得られるものは、いったいなんだろう。

私たちは、「常識を守る」ために集まるのだろうか。なぜ、「より多くの人が集まれる」ことを目指してはいけないのか。そもそも「常識」というのは、みんながよりよく過ごせるためにある共通認識のことだから、参加できない人が出てまでも常識を死守するというのは、本末転倒ではないか。

「形式」ばかりで、「真実」がない。彼女のそういうバーチャルなところは、毒親を思わせた。

けっきょく、最終的には参加者は当初の1/3に激減、それでも彼女は「参加と言っておいて1か月前にキャンセルとかあり得ない」と憤慨していた。どうしてそんなに大勢の人がキャンセルすることになったのかは、彼女にとってまったく関係がないようだった。

みなそれぞれ育ちかたが違い、それぞれの考えかたを持って生きている。考えかたが合う人がいるなら、もちろん合わない人もいる。そんな中で、自分の考えだけが正しいと思い込み、自分のやりかたを100%相手に受け入れさせようとする人がいる。そしてそれが受け入れられないことを相手のせいにし、批判する。

まさに毒親と同じだ、と怖くなった。こういう人の全員が毒親になることはないけれど、これは確かに毒親の要素のひとつ、他人と自分の区別がついていない「境界線を無視して入ってくる人」だと思う。

私にはっきりとした「人と人との境界線」があれば大丈夫だけれど、私はまだその状態にない。怖くなったので、彼女とはそれっきり連絡を取らなくなってしまった。

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2件のコメント

  1. 女性性で検索していてこちらのサイトにたどり着きました

    まったく同じ境遇ではないですが
    共通することがたくさんでうんうんうなずきながら読んでいました。

    同窓会を計画した彼女の話で
    ふと女性の多い職場で働いていたときのやりにくさを
    思い出しました。

    自分自身、ちゃんと境界が引けていないため
    女性の多い職場だとそういう境界のひけていない人に
    巻き込まれやすかったのかなと思いました
    (男性だともともと別の生命体と割り切りやすい)

    kelokoさんが一つ一つ文章にしていただいて
    発見することがたくさんあります
    ありがとうございます

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  2. > ななみさん

    コメントありがとうございます。そういえば、私も男性だとわりと巻き込まれずに済みますね。
    この同窓会も、昔だったらその幹事に対していろいろと働きかけたりして、大変な思いをしていたかもしれませんが、このときもう「距離をとる」という手段を取れていたということだけでも、成長していたのだろうと思います。ここからさらに進んで、距離をとらなくても大丈夫になったらいいなと思います。

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