退行催眠

リクライニングチェアに座り、セラピストの導入を聞きながらリラックスするように努めた。部屋の時計の音が気になってしかたがなかったけれど、次第に落ち着いてきた。合計で4つの場面を見た。

<場面1>

まず、「小さいころに住んでいた家を想像してください」と言われた。家を思い浮かべて、ドアから入るところを想像する。台所があって、その奥に部屋。

セラピスト「小さいKelokoちゃんはどこにいますか?」
私「うーん…ベランダ…部屋の奥…」

それは実際にあった記憶の一場面で、外で父親と近所の子たちが遊んでいるのを、私はカーテンの隙間からのぞいていた。なにかで喧嘩をした私は、その遊びに参加せず、部屋の窓(2階)から寂しく下を眺めていて、母親に「Kelokoも行って遊んでくればいいじゃない」と言われたけれど、出て行かなかった。

でもここで見えてきたのは、カーテンを締め切った暗い部屋にひとり、外で母親を含むみんなが遊んでるのを眺めている小さい私だったのだ。びっくりした。

セ「小さいKelokoちゃんは、どう思っていますか?」
私「うーん…よくわかりません…」
セ「じゃあ、同化してみましょう。小さいKelokoちゃんの中に入ってみてください。目線がぐーっと低くなります…どうですか?」

言われた通りにしてみたけれど、あまりよくわからなかった。なにをしてあげたいかと聞かれたときに、「カーテンを開けて小さい自分と遊んであげたい」と言ったけれど、誘ってみたものの小さい私が動かず、けっきょくなにもできなかった

セ「じゃあ、一度深呼吸をしてください…この原因となったところへ行ってみましょう」

<場面2>

見えてきたのは、当時の家から出たところの通り。屋内のテニスクラブがあって、母親がそこでコート清掃のパートをしていたのだ。

セ「Kelokoさんはどこにいますか?何歳くらいですか?」

最初はよくわからず、1〜2歳かなと思っていたけれど、集中すると、幼稚園の制服がぽこっと浮かび上がってきた。それが小さい私に重なり、どうやら幼稚園の帰りらしいということがわかった。

セラピストが言うには、見えたものが記憶と違っていてもまったくかまわないのだとのこと。年齢に整合性がなくても、場所が変でも、見えたものを優先するようにといつも言われた。それが、質問に対して潜在意識が出している答えだかららしい。

見えないときは「見えない」と言うように言われ、見えなくてもプレッシャーに思わず正直に言ってほしいとのことだった。落ち着いてリラックスするように努め、見えたものを正直に言うようにした。このことからも、「最長で4時間」とセッション時間に余裕があるというのはとても重要だと思った。

このとき見えたものは、私が幼稚園から帰ってきたところで、早く家に帰りたかった。でも、母親が同僚と楽しそうにおしゃべりしていて、それを邪魔したくないと思ってるのと、コートに入らないように言われていたため、入り口から母親を見ているだけだった。母親はそれに気づかず、楽しそうにおしゃべりをしている。

小さい私を母親のとこに連れていってあげるよう言われてそうしたものの、なんだか浮かない感じだった。そこでまた、この原因の場面へと行ってみた。

<場面2.5>

古い木造の家が出てきた。どうやらこれは、昔の母親の実家らしかった。曾祖母と祖母と母親がいて、母親が家を出たところのようだった。

母親は実際、「自分は男みたいだし結婚もしないから家業を継ぐ」と言っていたのだけれど、父親に出会って突如乙女になってしまい、結婚してさっさと実家を出て行ってしまって、叔母が呼び戻されて家業をやることになったのだ。叔母は今でもこれを根に持っている。

その話を、たぶん小さい私はわかっていたのだと思う。こうして実家を出てアパートで父親と住んで、子供をもうけて、制服のかわいい幼稚園に入れて、初めてパートなどをして外で働いて、そこで友達もできて楽しく過ごしている母親を、小さい私はそうさせてやりたいと思っていた。セラピストにも言われたけれど、私の方が親みたいだった。

これは置いておいて、とりあえず次の場面に行くことになった。

<場面3>

見えてきたのは、お腹の大きい母親と病院へ歩いて行くところと、肺炎で入院したベッドの上だった。妹が生まれるころ、私はちょうど入院していた。2〜3歳くらいだろうか。

また小さい私に同化して、どう思っているか見てみた。「お姉ちゃんになるんだよ」と言われていて、周りに合わせて口では「楽しみ!」などと言っているんだけれど、本当なにが起こるのかわからなくて、「どうなるんだろう」と不安に思っていた。

セ「じゃあ、入院してるところへ行ってみましょう。どう思っていますか?」

ここで集中してみて、恐怖に陥った。実際に入院していた部屋は、大部屋でベッドがいくつもあり、子供もたくさんいた。にもかかわらず、見えた場面では、私の以外のベッドがひとつもなくがらんとした薄暗い部屋で、そこにぽつんと小さい私がひとりでいたのだ。

セラピストいわく、子供はみんな病院が嫌いだし、心理的にはこんなに他の子もなにもかもが見えないくらい怖がっているのだそうだ。これはひどくショックだった。

ここでもまたどうしてあげたいかを聞かれ、カーテン開けて明るくして、ケーキでも買ってきてあげたいと言ったんだけど、明るくしたら少しは安心そうだったものの、ケーキをあげても小さい私は遠慮して手をつけなかった

そこで、またその原因となる場面へ行くよう集中してみた。

<場面4>

今度は、の場面だった。4〜5歳だろうか。近所の家族と行ったときのことで、私より少し年上のお姉さんみたいな子が一緒だった。親には「沖の方へ行ったら危ない」と言われていたけれど、私もその子も行きたくてしょうがなかった。けっきょくその子たちは楽しそうに行ってしまったのだけれど、私だけは言いつけを守って残っていた

すると、その子は波にのまれ、目に大量の砂が入り、お母さんに海水で目を洗い流されてて、泣いて痛がっていた。悲惨な目にあったその子を見て、私は言いつけを守っていて良かったなと思う反面、「でも私も行っちゃいたかったな」とも思っていた。

セ「どうですか?どう思いますか?」
私「うーん…やっちゃってもいいと思います。別に後で痛い目に合ったっていいと思うし、第一痛い目に合わないかもしれないし」

そこで、やりたいことをやらせてあげることにした。

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2件のコメント

  1. kuroroです。こんにちは。ヒプノセラピー受けてきました。このブログであの方の存在を教えてもらってからずっと受けたかったのを。とてもよかったです。教えて頂きありがとうございます。泣きすぎて、目がとんでもなく腫れて、帰りはサングラスが必要なほど涙がでました。
    帰宅してから、kelokoさんのヒプノの項を読み直しました。。『リクライニングチェアに座り』とかkelokoさんの記述がセラピーを受けていた場面を思い出すのにすごく効果的で、私もkelokoさんのまねをして場面ごとにかきだしてみたら、思った以上にすらすら書けました。

    退行催眠を受ける前に遠隔でメンタルクリーニングをしてもらっていて、その際「インナーチャイルドのセッションは外さないほうがよいと思う」とのことでした。場面を私もいくつもみたのですが、kelokoさんと同様、あんなに小さい子供なのに母親を気遣ってあんなにやりたいことを我慢したり、言えなかったり、遠慮してたり。ずーっと寂しくて、でも寂しいって言えなくて甘えたいのにかまってほしいのに我慢してて。『自分の気持ちを押し込めることに慣らされてきた』とか、以前この項を読んだ時、どれほど私は理解できていたのだろう、いや、セラピーを受けた今思うと、ほとんどなんにもわかってなかったのだろう、わかったつもりで読んでいたけれど、と思いました。

    私は見られない場面が多くて、見たいのに!知りたいのに!とみられないのが悔しいのか泣きながら本気で見よう見たいと願ったのに、それでも原因となる場面が見られなくて、そしてメッセージももらえませんでした。セラピストさんが「まだ、自分を許せなくてまだ、お母さんに期待しているから」と。
    最後のコミットメントで「私は受け取ります」のあと「私は受け取るのにふさわしい人間です」が言えなくて、涙がどんどんあふれてのどのあたりがぐーーっと苦しくなって、でも、頑張って言いました。言えたのは、kelokoさんのおかげでもあると思います。セラピーを受ける前からこのセラピーで私は良くなれるって信じることができていましたし、kelokoさんもいろいろ試しながら毒が薄まったのだろうなって信じていましたから。私は無宗教ですが私にとってこのブログは聖書のような道しるべです。信じて実行していればいつかはー。

    kelokoさん、今はお母様のこと、どう思っていらっしゃるのでしょうか。
    私は「母親の価値観の中で生きてきた。だからつらい」とセラピストさんがおっしゃっててなるほどと理解しましたが、まだその刷り込みが解けずにいます。でもいつか、こうやってセラピーを受けたり、カウンセリングやヨガや、この福音(ブログ)を読んで実行していればいつかは、と信じることができます。
    そして、8月に書けずにいた「子供の自分への手紙」を書きたい、と思えました。今が書いてみる時期なんだと思います。

    kelokoさんのおかげで解毒が進んでいるおります。感謝しております。

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    1. > 黒田さん

      こんにちは。体験談をありがとうございます。すごかったですね。いろいろなものが出たみたいですね。読んでわかることとやってみてわかることって違いますよね。頭での理解と自分全体での理解ということなのだと思います。でも最初に頭で理解するからそれをやってみることができるんですよね。本当に問題というのはいくつもの層でできていて、玉ねぎの皮のように一つ一つむいていくしかないんですよね。一気にむけたらと思うこともありますが、その段階段階でベストなところまでむけるようにできているのだと思います。手紙を書きたいと思えたこと、本当によかったですね。人の経験をいろいろ読んでみてそのときにピンときたものをやってみるというのは本当にお勧めです。私もまたピンときたものをやってみようと思います。読んでくださってありがとうございます。

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