予期すらしていなかった大災害

実家へ」で書いた通り、祖母に会いに実家に行ったのに、祖母を施設へ預けられてしまった。

毒親の典型だ。こういうことがないように、どれだけ慎重にものごとを進めても、予想だにできないことをやる。私をコントロールするためであり、自分のを確認するためである。子供は安心感が身につかず、常になにかどんでん返しがあるのではないかとびくびくすることになる。

当時、祖母は月に一週間ほど施設へ預けられているとのことだった。一緒に暮らしていたころのように、祖母と実家で過ごしたかった私は、その施設へ行く一週間を外して旅程を立て、飛行機のチケットを取った。Skypeでも祖母と従妹と三人で一緒に寝ようと話していたし、母親からのメールにも、「祖母の在宅に合わせて予定を組んである」と返していた。

たぶん「祖母に会いに行く」という私にやきもちを焼いたのだ。従妹もそう言っていた。「片思い中の中学生のような稚拙さ」と書いたけれど、本当にそのままだった。自分に会いに来るとは言わない私に、意地悪をしたくなったのだろう。でも、時と場合を考えられないのだろうか。毎日会う「近所の友達」とはわけが違う。

車中での父親の言いわけは、「お前が来たらお母さんが忙しくなるからばあさんはみれない、だから預けた」とのことだった。

私は「娘」であり、「お客様」ではない。私がいたほうが、祖母の世話をする人間が一人増えるわけで、よりいっそう忙しくなることはあり得ない。「忙しくなる」と考えているような人間は、私が来たら一緒に出かけたい人間だ。祖母がいたら、両親そろって私と一緒に出かけることはできなくなる。だから、自分たちが出かけたいがために祖母を預けてしまったわけだ。

「じゃあ私はなんのために日本に来たの?」と聞けば、漫画のように無言になった。自分が「悪いことをした」ということは、わかっているようだった。でも、「私が自分たちに会いに来たわけではない」という現実を、受け止められないようだった。

「別にお前を(祖母に)会わせたくないとかそういうことじゃない」「そう思うならそれはお前の勘違いだな」と、聞いてもいないことを偉そうに言ってきた。自分のしたことが「娘を祖母に会わせたくないように見える」ということは理解しているようだった。それでも、「自分は娘に悪いことをした」ということは認めることができないようだった。ありんこのような小さい男だった。

さらに、「施設はすぐそこだし、お前が(祖母の)世話をしたいんだったら別に呼び戻したっていいんだ」とまたどこまでも偉そうに言ってきた。

私が実家に来たって、特別なことはなにもいらない。いつも通り家族が祖母と一緒に暮らしているところへ、私と夫が泊まりに来るだけ。私たちは自分でご飯も洗濯もできるし、場所を借りるだけでなんのお世話もいらない。両親はいつも通り祖母の世話をして生活をしていればいいし、なんなら私も手伝える。「いつも以上の祖母の世話」は、確実に必要ない。

日本語がわからない夫は、なにが起こったかわからないようだったが、突然車内の空気が一変し、私が激しく怒っていることはわかったようだった。どうしたのかと心配そうに聞いてきたので、祖母が家にいない旨を伝えると、びっくりしていた。

あり得ない空気で車が実家に着いた。母親は、祖母がいないことで私が怒っているとすぐ気づき、ビクビクしていた。私の気を引くために意図的にやったくせに、やり過ぎで私の機嫌を損ね、振り向いてもらえないばかりか嫌われて、どうしたらいいかわからない。本当に、片思い中の中学生だ。

今なら、実家に行かずどこか駅で降ろしてもらって、自分たちで宿でも見つければよかったと思う。それができなかったのは、確かに疲れもあったし、気も動転していて冷静な判断ができなかったのもあるけれど、それでもまだ当時は毒親の支配下にあったのだ。

「お前が食べたいって言ってたお節を用意したんだぞ」と、自分たちが悪いことをしたのをカバーするために、突っ込めもしないところを突いてきた。「一緒に食事をしたい」「うちのものを食べてありがたがるのが見たい」という自分たちの要望を押しつけられた形だ。

「祖母に会いたい」という私の要望は、どうした。お節がなんだ、迎えがなんだ。2か月前から日程を確認して、24時間もかけて、9,500kmの距離を「祖母に会うため」にやってきたのだ。祖母と一緒に実家でゆっくりできるなんて、もうこれが最後かもしれないと思ってやってきたのだ。それを自分たちのお楽しみのためだけに取り上げて、私が怒ることを許さないばかりか自分たちの要望ばかり押しつけて、人間として最低だと思わないのか。恥ずかしいと思わないのか。

私が疲れてすぐ寝たがっているのを見ると、「みんなで待っていたんだぞ(なのにその態度はなんだ)」と責められた。夜ご飯を6時に食べる家で、私が到着した8時過ぎまで、ご飯を食べずに待っていたのだと言われた。

外国からはるばる24時間もかけてやってきた娘夫婦に、普通は「疲れたか?」のひとことくらいあると思う。「お腹空いてるか?」「寝るか?」といった気づかいなど皆無で、自分たちの好きにさせることしか考えていない。私たちは、毒親を喜ばせるためにやってきただった。

私にとって実家というところは、上げ膳据え膳でゆっくりできるようなところではない。自分に鞭打って親を喜ばせ、親のご機嫌をよくできればもしかしたらなにかおこぼれがもらえるかもしれない、そんな牢獄だった。

夫は休ませ、形ばかりの食事をした。本当につらかった。どうして私はこんな目にあうのだろうと、ノコノコやって来たことを激しく後悔した。寝不足に時差ボケに怒りの三重苦で、味なんてまったくわからなかった。それでもお節の写真を撮ったりしてやると、最初はオロオロしていた毒親たちも、安心していった。それが心底憎かった。

そんなこと、しなくてもよかったのだ。ギャーギャーわめき散らしてやればよかった。でも、そうしたら「気に入らないなら出て行け!」となって終わりだということがわかっていた。私を追い出して、反省することもなく、二人で「本当に親不孝な娘だな」とお互いに肩を持ち合って、私だけが苦労することになる。生まれてから今までずっと、そうだったように。

でも、そんなこと気にしなくてよかったのだ。どれだけお金がかかっても、不便でも、自分の好きなようにすればよかったのだ。

当時私ができたのは、できるだけ取り繕ってしたてに出て食事をし、毒親たちがほっとし態度が戻ってきたところで、たまに「はあ?」「なにが?」と急に大きな態度を見せてびびらせることだった。すると、毒母も毒父もビクビクして、怒られた生徒のようにピシリとなった。でもそれも最初だけで、そのうち二人で肩をもち合い始めてからはものすごい態度になっていった。本当にろくでなしのありんこだなと思った。

これを書いている現在、祖母はもう実家へ戻ることもできなく、施設で生活するしかなくなっている。あのときが、実家で祖母とゆっくりする本当に最期のチャンスだったのだ。それを自分たちの嫉妬と楽しみのためだけにつぶしたやつらを、私は一生許すことはできない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中