化粧水ふたたび

化粧水」事件があって、「無理だ」と思っていたのに、2年も経つと記憶が薄れてしまっていた。

実家行きを決める、数か月前のこと。アフリカに住む日本人が、現地の生地で浴衣を作ったという話を読んで、イギリスの生地で浴衣を作れないだろうかと思い始めた。こちらにはLibertyやCath Kidson、Laura Ashleyなどのお店にかわいい生地がたくさんあるからだ。

高校生のとき、家庭科の授業で浴衣を縫ったことがあったので、型紙があればできると思った。そこで、実家に連絡してしまった。

このときの心境を今思い出してみると、まずは①型紙が簡単に手に入るだろうということ、次に②化粧水のように割れるものでもないから悪いことは起こらないだろうということ、さらに③母親が詳しいジャンルのものだから得意気になっていろいろやってくれるだろう、と思っていた。

結果、型紙はないとのことだった。なのに、「浴衣がほしいのか」などと勝手な想像をふくらませ始めたので、「ほしいのは浴衣じゃなくて型紙だ」と返したものの、話を聞かないのが面倒になって最後は無視した。

そして、実家行きを決め、親と連絡をとり始めたころ。

帰国報告」で書いた通り、前年の成功体験があるせいか、毒母が暴走しているようだった。なので、連絡はメールで父親にするようにしていた。父親も毒ではあったけれど、まだ日本語は通じる人だったので、必要事項のやりとりができたからだ。

また化粧水がほしかったので、ネットで買って実家に送り、年始に行ったときに持って帰るから保管しておいてほしいと、父親に連絡した。「また割れたらだから、持って帰るから」と、触らず置いておいてくれるようにお願いした。

すると、母親から恐怖のメールが届いた。

「届いた化粧水を送ります、他になにかほしいものがありますか?」

読んで、心臓がつぶれたかと思った。今これを書いていても、動機が激しくなる。

あれだけのことがあったのに、しかも「送るな」と言っているのに、また化粧水を送ろうとしてくる、その思考回路が理解不可能だった。「また割られる」「また勝手なことをされる」と、恐怖のどん底に陥った。そっとしておいてくれ!!と心の底から叫んだ。

なぜこれだけの恐怖を感じるのかというと、「毒親対策」で書いた通り、それは自分の感情を無視されるからであり、それは自分の存在を無視されることになるからだ。自分はたしかにここにいて、「こうしてほしい」という思いがあるのにもかかわらず、そのようなことは一切なかったことにされて、勝手なことをされる。これが、人間としての根本をつぶすからだ。

お腹が痛い」と言って病院に行ったのに、医者から「頭痛薬」を処方されるようなもの。どれだけ腹痛の症状を訴えてもきちんと診てもらえず検査もしてもらえず、「これは頭からきている」とご丁寧に頭のCTスキャンを撮られたり、関係ない薬をたくさん出される。恐怖だ。

「持って帰るから送るな」と返信をし、Skypeでもそう伝えたにもかかわらず、帰国を控えた年末にはまた恐怖のメールが届いた。

「浴衣セット届いたかな?去年買っておいたけど手術して送りそこなって今になってしまったけど、姉さんか妹にも着れるかね?(夫)さんのもあったけど如何なですか?来月待ってますよ。(従妹)も来るといってましたしいつがいいかね〜 返事待ってます」(原文そのまま)

また、心臓がキューーーっとなり、がぼろぼろ出てきた。

私がほしかったのは、浴衣の「」だ。浴衣ではない。こちらの生地で浴衣を作りたい、と何度も書いた。なのにこれを見る限り、私の分はおろか、夫と義姉妹の分まで買ったようだった。

しかも、なんとこのとき化粧水も一緒に送っていたということが、つい最近判明した。

実家に行ったとき、すぐさま「化粧水は?」と聞くと、なぜかびっくりして、夫婦そろってオドオドし始めた。「ここに置いておいたんだけどなー」「浴衣と一緒に送らないようにって、分けて置いておいたんだけど」と、言いわけの嵐。これを見て、ああやっぱり送ったのだとは思っていた。

それから1年。従妹から聞いたところ、住所を間違えたのか、荷物が日本へ返送されてきたそうだ。それを毒親たちは、「せっかく送ってやったのに、受取拒否をしやがった!」と怒っていたらしい。

あれだけ何度も「持って帰るから送るな」と言われたのに、それを認識していたのに、やはり送った。オドオドしていたところを見ると、「言われていたことと違うことをした」という認識はあったはずだ。なのに、やった。

知らない人からは、「間違いはあってもいろいろしてくれていい親じゃないの」と言われる。でも、そんなわけはない。毒親は、自分がしたいことをするだけで、私が必要かどうか、私がどう思うかはまったく関係がない。だから、私が文句を言うことは許されない。私は、なにがあろうとなにをされようと、黙って感謝の言葉を述べなければならない。そんな関係が本当に「いい」と言える人がいるなら、お目にかかりたい。

砂漠で水に飢えて死にそうな人に、極上のワインをあげても喜ばないだろう。必要なのは「」だ。でもそれで感謝されないと、「こんなに高いワインをやったのに!」と文句を言う。ただのヤクザだ。

また、どれだけ慎重にやり取りをしても、どんな返しがくるかまったく予想がつかないから、安心できない。これも、根源的な安心感が育たず、不安症になってしまっている原因だった。親からきちんとしたサポートを得られなかったため、常になにか悪いことがあると思っていて、びくびくせざるを得ない。

型紙の話をしたことをものすごく後悔したけれど、もっとひどいことがこのあとに待っていた。

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