毒母の大暴走

化粧水ふたたび」で書いた通り、毒母は大暴走しているようだった。

メールには、「来月待っていますよ」とのこと。でも私は祖母に会いに行くので、母親に会いに行くわけではない。

メールには、「いつがいいかね?返事待ってます」とのこと。でも、予定表を作って送ってある。従妹いわく、それを冷蔵庫に貼っていたとのこと。だから、私がいつ来ていつ帰るのかは、それを見れば全部わかるはず。でももう頭が飛んでしまっていて、こうしてメールで私に聞いてきたり、従姉に何度も「いつ来るのかな?」と電話をしたりする。話したくてしょうがない。

このハイテンションが、本当に怖かった。気持ち悪かった。こうしてメールが来るだけで、身の毛がよだった。

従妹いわく、私が着いたら、親類一同で食事に行く話をしているそうだった。もちろん、私はそんな話は一切していなかったし、聞いてもいない。ちょうど自分の誕生日があったけど、その日は夫と二人で温泉へ行く予定を立てていて、予定表にもそのように明記してあった。親と出かける予定など、一切書いてない。

実家行きを決める」で書いた通り、2か月も前からSkypeで話をして祖母の予定を確認し、祖母が在宅している週に合わせてチケットを取った。

Skypeでは、祖母と話もできたりしたのでよったけれど、毎度暴走した毒母が出てくるので本当に鳥肌が立ってしかたがなかった。

父親と連絡をとっていたし、パソコンを使えるのは父親なので、Skypeでも父親と連絡をとることになる。母親は、自分が呼ばれていないことはわかっているのだけれど、入ってきたくてしょうがない。でも、呼ばれないので入ってこれない。それで、後ろでいろいろとちょっかいを出してくる。それがものすごく気持ち悪い。

納豆を高々とかき混ぜて、「納豆いいだろう(イギリスにはないだろう)」と自慢をする。でも、イギリスでもロンドンに行けば納豆も買えるし、当時私は家で納豆を作っていて、しかもそれをSkypeで見せたこともある。知らないはずはないのに、見せびらかしたくてとめられない。子供ならまだしも、還暦を超えた大人がやると、本当に異様に映る。

また、なんのつながりも前置きもなく、姪の七五三の写真を無言で見せてくる。それがまた、ドレスを着てティアラをかぶってる写真で、げんなりしてしまってコメントなんか出てこない。でも私がどう思うかは関係なく、いいコメントを期待している。姪の父親(離婚している)にそっくりだったので、やっと出てきたのが「お父さんにそっくりだね」だった。それを繰り返したところ、母親はようやく写真をしまった。

父親との話が終わり、やっと従妹と予定についてゆっくり話をしていると、後ろでテレビを見ながら「選挙がどうのこうの」とでっかい独り言を叫んでいる。飼っている犬を家の中に持ってきて、それを抱いたまま従妹の後ろをウロウロする。

気づいて話しかけてほしい。注目してほしい。そんな気持ちの悪い大きな子供に自分は育てられたのかと思うと、本当にぞっとする。

そのくせに、従妹が「荷物送るって言ってたよね(「化粧水ふたたび」で出てきた荷物)、住所聞きたいんじゃないの?話しなよ」と母親に言ってやっても、画面に出てこない。それで無視して二人で楽しく話し、接続が悪くなってきたので切ろうとすると、焦って「(日本に)来たら食べたいものは?」と突然入り込んできた。

もちろん、私も従妹もそんなものは無視。今までさんざんチャンスはあったのに、話しかけられることばかりを夢見て、注目を引こうと馬鹿なことばかりやってたのは、毒母だ。「なんか電波悪いね、また日本でね、バイバーイ!」と、私と従妹は陽気に切る。母親はその後ろで「来たら食べたいものは?来たら食べたいものは?」と、壊れたレコードのように何度も同じフレーズを繰り返していた。

毒親たちがやりたいことは、

「お父さんお母さん、今度日本に行くから泊めていただけませんか?」
「いつもお世話になってるから、お土産たくさん持って伺いますね」
「懐かしいこれとこれが食べたいので、作ってもらえませんか?」
「お寿司を食べに連れて行ってください」
「日本のものが食べれて嬉しいなあ」
「車貸していただけて本当に助かります」

というようなこと。持ち上げてもらって、ありがたがってもらいたいのだ。

たぶんあの人たちは、誰にも持ち上げてもらったりありがたがってもらったりされないのだろう。きっと親からもそうされず育ったため、自己肯定感が低く、私にそうしてもらうことで、それを埋めようとしているのだ。「親だから」を振りかざし、そうされることを要求、それが叶わないと「親不孝」となじる

でも、親に埋めてもらえなかったものは自分で埋めるしかない。私がそうしてやることで埋められるものではないのだ。でも、本人たちはまったくわかっていない。「親」という立場を使って、どうにか私に埋めさせようとしてくる。

日本には「親に尽くす」という儒教的な風潮があるため、こういう勘違いが非常に多いと思う。親ではない他人から同じことを要求された場合を考えたら、どれだけ身勝手なことかは明確だ。でもこれが「親子」という隠れ蓑に包まれると、とたんに正当化されてしまう。

孔子は、「儒教をきちんと実践していない親でも尽くせ」とは言っていない。でもそこだけは浸透していない。

この大暴走を見て、今回は夫と一緒だとはいえ、不安に押しつぶされそうになった。こんなことでは、たとえ行けたとしても心から祖母との時間を楽しめるかどうか疑問を持った。そして、その勘は見事に的中することになる。

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