ふたたびスピリチュアルカウンセリングへ

日本的な会社で自己肯定感が削られ、勤務開始後1か月でボロボロになっていた私は、以前おとずれた「スピリチュアルカウンセリング」へまた行ってみた。

前回、「自分を見つける」というのが次の仕事での課題だと聞いたけれど、とても自分を見つけるどころか、逆に自分をどんどん失っていっているようにしか思えなかった。こんなことでいいのだろうかと思っていたときに、ちょうど仕事でミスをし、もうとにかく誰かに聞いてほしくて駆け込んだ。

今の状況について

なにかをするときに、「じゃあこうしよう」と思ってすぐやれれば簡単なんだけれど、周りの状況とか周りの人たちの意見、世の中の事情などを入れて考えようとすると、難しくなって動けなくなってしまう。かといって周りを無視して行くわけにもいかないので、その間でどうしたらいいのかわからなくなっている。

対応するときに、どちらに合わせるのか(自分に合わせるのか、周りに合わせるのか)ではなく、「自分がありながら周りともうまく交流していく」ことを学ぶ。これはとてもチャレンジャブルだけれど、だからこそ試してみることにやりがいもある。自信もついてくる。

「もっと自分を出していいのか、出さないほうがいいのか」と考えていると、どうしても周りの目線に合わせるようになってしまう。すると自分をないがしろにしているような感じがする。でも、完全に周りを無視しても心地はよくない。写真を撮るときに、全体はぼやけてても中心がはっきりしているのか、遠くにある景色に焦点を合わせて手前はぼんやりとするのか。その間で、自分にとってどれくらいが心地がいいかを見つける。

こういう状況が来るというのは、「とても感覚的な人」なんだと思う。目から入るもの、耳から入るもの、情報にしても、直感的にというか、感じることが早い。

会社と、自分。この間で、居心地のいい場所を見つけようとしていたのだと思う。会社の思う通りに少ない給料でスキルを搾取されていくのと、自分の希望を通してスキルも発揮しながら満足のいく給料で働けるのと。また、この会社しか知らない人たちの中で、どれだけ自分の考えを出していけるのかも。かなりの難題だった。

周りにいる協力者

2〜3人ほど、周りに優しい感じがある。親切な感じで、理解してくれている感じ。「あ、気をつかっているのかな?」「自分のことを出せないのかな?」と客観的に捉えていてくれている。だからといって、距離が近く「仲良し」という感じではない。

この環境の中で、「力が入っていない」「私でいるってこういう感じか」というのを見つけることがゴール。それは「周りの全員が自分を好き(=周りに焦点)」ということではなく、「自分が居心地がいい、力が抜けている(=自分が焦点)」というのを見つけること。「一生懸命に舵をとり続けなくても、毎日が回っていく」というところ。

それには、全部自分に取り込んで、原因を自分の中に探さないこと。協力者もいるし、その人たちのためにもなること。でも深刻に捉えずに、エクササイズという感じで取り組めばいい。

このとき協力者として感じられた人たちが誰だったのかはわからないけれど、なんとなく思うところはある。私がテンパっているのを見ていて、考えてくれていた人がいた。それはただの「上から目線」というわけではなく、本当に見ていてくれたように感じる。

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