想像力の欠如

このころ、夫の「想像力の欠如」が目につくようになってきた。

それまでもささいなことで行き違いはあったものの、その原因がこれにあることが多いのではないかと思うようになった。

たとえば、電話。以前、リビングと寝室がかなり離れている造りのアパートに住んでいた。私が家にいるときに、夫が外から電話をしてきた。そのとき、私は台所で料理をしていて、携帯は寝室にあった。

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携帯が鳴ったので、寝室に走った。取る前に、電話は切れてしまった。すると続けて、家電が鳴った。今度はリビングに走った。これも、取る前に切れてしまった。

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普通、連続して鳴らすなら、携帯に二回かけないだろうか。「携帯を鳴らしてみて出ないから、家電を鳴らしてみる」ことの意図が、まったくわからない。

夫にかけ直して、携帯がどこにあったと思うか聞いてみると、リビングにあると思ったと言っていた。

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この状況であっても、携帯が鳴ってすぐ出れないということは、携帯の近くにいないということだ。そこで携帯が鳴れば、携帯に向かう。だから、取れなかったとしても、鳴らしたあとは携帯の近くにいるはずである。なんなら、手に持っているかもしれない。だったら、また携帯を鳴らしてみるのが一番出てもらえやすい方法だ。そこで家電を鳴らしてみる理由が、わからない。

またあるとき、仕事の帰りにマーケットがやっていておいしそうなにおいがしてたので、夫に電話をし「マーケットで食べて帰るからご飯はいらない」と伝えた。

マーケットを回っていると、携帯が鳴っていた。見てみると、夫からテキスト(SMS)がいくつも入っていた。いわく、「何時に着くの?」「おい」「返事は?」など。電話を切ったあとで、マーケットを回ったら遅くなるのかと思ったらしく、何時に帰ってくるのか聞きたかったようだ。携帯を切ったすぐあとだったから、まだ携帯を手にしているだろうに、返信がないのをおかしいと思っているようだった。

今すぐ返事がほしいなら、なぜ電話をかけてこないのか。ここでテキストを送ってくる理由は、いったいなんなのだ。

「マーケットを回っている」ということは、「ごみごみしているところを歩いている」ということだ。この人の流れの中で「立ち止まってテキストを打つ」ということが大変なのは、すぐわかるはず。電話だったら、歩きながら片手で出れる。なのに、ここでわざわざテキストを送ってきて、さらに返事を要求してくる理由がまったく理解できない。

このように、夫は「相手の状況を想像する」ということがとても苦手だった。

自分の目に見えないことは、まるで存在していないようだった。「自分が見てないところでも世界は動いている」ということがわかっていないような感じだった。

相手がどういう状況かも考えず、ただ携帯を鳴らして出なかったから家電を鳴らす。電話を切ったすぐあとでテキストを送り、電話をしたばかりだからすぐ返事が来るだろうと思っている。こういうことが、多々あった。

でもこのときはまだ、それほど深刻に考えてはいなかった。イライラはするものの、特に危機的な問題ではなかったし、イギリス人には多いことだったからだ。でも、夫は「相手の状況」が想像できないだけではなく、「相手の心情」も想像できない人だった。これが、のちに大きな問題へ発展していく。

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