仕事の変化

引っ越しをしたということでキリがよく、それまで日本語レッスンに来てくれていた生徒さんたちに、レッスンの終了を告げた。場所が変わっても通いたいと言ってくれる人もいたけれど、試験を受ける予定の一人だけを残して、他のレッスンを一度すべてやめることにした。

試験を受ける生徒さんだけにしたのは、試験対策は教えやすかったからだ。過去問を解いてもらって、間違ったところや重要なところを説明していく。これに気づいてからは、試験対策の人だけ教えることにした。これも、「仕事について」で書いた通り、「無理なく空いている時間で気楽に」というアドバイスがあったからだ。それまでは、学校で習った通り、きちんと全部込みでやらなければいけないと思っていた。でもそうではなく、できるところだけできるようにやればよかったのだ。

引っ越して都心へ通いやすくなったのもあり、「いろいろなものを試して自分を見つける時期だ」とも言われたので、思い切っていくつか仕事に応募してみた。「夫の状況」で書いた通り、ちょうど夫がそのときの仕事を辞めたがっていて、自分でソフト開発をやってみたいと言い始めたので、私が仕事をして家賃を稼ごうと思ったのだ。

夫とは、きちんと話し合った。自分の職種なら募集が多いから、自分でやってみてうまくいかなかった場合は、いつでもどこかで仕事を見つけられると。何人か一緒にやる人を見つけて、チームで開発したいけど、それがだめでも、小さいソフトなら自分一人で作れるだろうし、半年あればなにかしらできると言っていた。

私も同じ業界にはいたけれど、開発には関わったことがないし、詳しくはわからなかった。でも、もうこれはやらせてみないと止まらないだろうなと思っていた。あとになって「あのときやらせてくれてれば」と言われるのも嫌だったので、どうせやらせるならまだ子供のいないだろうなと思った。

さらには、日本語教師に限界を感じ始めていたこともあった。「スピリチュアルカウンセリング」でも書いた通り、やればできるだろうけれど、でもものすごい頑張ってでもそれをやりたいかというと、そうでもなかった。ひとつのレッスンに何十時間もかかって準備をして、それでも稼げるのはレッスンをする90分だけ。とてもじゃないけれど、よく稼げるようなものではなかった。

次のつまづき」でも書いた通り、始めた当時は、外国人という劣等感を常に背負っていたから、外国人であることが強みになる仕事として、日本語教師をやっていきたいと思っていた。でも、強みとして活かすなら、日本語や日本人を必要としている会社の仕事だってあるわけだ。

なにより、日本語レッスンをやっている中で、毎日行くだけでとりあえず定期的な収入が得られるということのありがたみを感じるようになっていた。レッスンだと、事前に四苦八苦してアイディアを生み出し準備して、当日は90分もの間ずっとオンステージで考え続けて話し続けていかなければならない。好きな人にはたまらないことかもしれないけれど、不安症の私にとってはこれがどんどん苦しく感じるようになってきていた。

なので、自分のためにも、会社勤めを再開しようと思ったのだ。

かくして、夫が仕事を辞め、家でプログラミングの勉強をしつつ、外に出てはネットワークを広げるということを始め、私は仕事に応募して面接に出かけるという、二人とも無職というすごい日々が始まった。

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