自分を見つける

スピリチュアルカウンセリングの続き。

目標みたいなものがあるとやりやすいなら、「毎日充実していたい」や「自分の存在を気づいていたい」と自分に言い聞かせることがいい。そう思っていると、目には見えなくても、あちこにそれが向かっていって、自ずとそうなっていく。たとえば「こうしたい」と強く思っている人の隣にいると、見えないけれど熱気が伝わってくるように感じるのと同じで、そういうエネルギーが出ると、なぜか友人や身近なところで、目に見えたり耳に聞こえたりすることが自分に向かってきてくれる。

でも、気持ちはあっても、疲れているときとかフツフツしてるときに「思え」と言われても思えないこともある。そういうときにこのように環境が変わる(引っ越しなど)ということで変化を投げ込み、人生がちゃんと手伝ってくれる。

あとは、「よく寝てよく食べて笑うこと」。

「充実していたい」と口に出して言うのだろうか、と疑問に思った。すると、「生き生きしていたい」とか「今日もいい日でいたいな」「楽しい日にしよう」とか、そういう言葉でもいいかもしれません、と言われた。 なるほど。そういう気持ちを口に出すことで、いいエネルギーを出していくと。

今ここで変化があって、「新しい人生」が始まる。そこに存在しているのは、私と夫。そのうちの私が、「これがあって私がいる」ではなく、「私がいてこれがある」という、その「これ」を見つける。これが今起こっていること。

「今日なんか見つけた気がする」「うん、今日もなんか発見があったような気がする」となっていくと、体の中が動いてくる。細胞がチクチクチクと動き始めるように。もちろん頭で考えているだけでも動いてはいくけれど、私たちは肉体があるから、体を動かして、誰かに会ったり話をしたりすると、また発見が必ずある。それで「毎日発見していたいな」と思うと、「そうだ私ってこうだ」と自分の発見に拍車がかかってくる。

趣味についても聞いてみた。仕事の息抜きには、日本語教師ではなくて、趣味のほうがもっとリラックスできていいのではないかと思ったからだ。趣味がある人を見ていると、仕事をガッツリして、趣味もガッツリして、充実しているような感じがするからだ。

睡眠を取ることが、大事なような感じがする。私の場合、私の存在が①で、なにをしていてもそれが②になるので、「え、それが趣味ですか?」ということでも、たとえば笑ったり寝ていたりも、私が「そのときしたいこと」が趣味になる。「趣味は私」というような感覚。私はなにかしら探すので、けして時間があって困ることはない。なにか目に入ってくるもの、アートなども好きかもしれない。なにか好きなものを見に行ったりとか、聞いたりとか、そんなこともなんでも趣味。私を語ることの中の、ひとつ。

わかるような気もしたけれど、難しいなと思った。やはり「これです」とひとことで言えるような、はっきりしているものならわかりやすいのに。でも、そうじゃないのが私なのだ。はっきりしている人がいるなら、もちろんしていない人もいる。これを受け入れて伸ばしていくことが必要だった。

食べることについても、聞いてみた。食べることも好きで、よく食べ過ぎてしまうこと。特にこの時期は、食べても食べても満腹にならず、ひたすら食べてしまってしかたがなく、不安に思っていたのだ。

なにも考えられなくて食べていたら問題だけれど、「おいしい」と、思わずにっこり笑ってしまうのであれば大丈夫。私はよく食べよく寝るができなくなったら、自分のエネルギーを使えなくなってしまう。よく食べよく寝ることで、クリエイティブなエネルギーがよりいっそう回ってくる。

私の場合、そのときそのときで変わってはいくけれど、好きな食べ物もあるし、本来暴走して食べることはできないから大丈夫。食べたいものを、食べたいときに、食べたいだけ、食べること。風向きが変わってきて、不安定だった気持ちが変わり動いたりしてくれば、お腹も空いてきて、食べることを楽しくできるようになってくる。食べることも趣味で、大事。自分で作ったりもする。

この「食べたいものを食べたいときに食べたいだけ」というところが、重要だと思った。食べたいかどうかではなく、「今ここでなければ食べられないもの」を食べていることが多く、だから「食べられるだけ食べなきゃ」となってしまう。自分が食べたいかどうか、どれくらい食べたいか、で食べるようにならなければ。

私の場合は「これが私です」「これをするのが私です」というものがない。バラエティというか、そのときによって違うし、定義がない。「この時期はお家にこもっていろんなことがしたい」という時期もある。今はそういう時期みたい。とはいえ、それが過ぎて急に興味がなくなり、違うことを始めるかもしれない。

頭のどこかで「人生とはこう」とか、「生きかたはこう」「一般的には」「人はみな趣味があって」「みんな仕事がひとつあってそこをまっすぐに歩いている」という考えがあるんだけれど、でも自分には当てはまらず混乱する。でも、クリエイティブな人にとっては道は広く、ときにはこれをしてるかもしれないししてないかもしれない、ときにはこれが好きかもしれないけど嫌いかもしれないと、説明をしようとしてもまとまらない。でも多重人格といわけではなく、ただクリエイティブなだけ。それを止めてしまったら本当につかえてしまって暗くなって、自分ではなくなってしまうので、「私の人生を生きよう」を標語に。

これからいろいろな人に出会っていくと「なんか似た人がいる!」ということも出てくるし、「そうか、だから私はこうなんだ」と自分に気づいていく。今日すでに話しをしてる中でも、私の中でムクムクと「そうだそうだ」と出てきているし、具体的な例を聞く中でいくつか気がついていることがあるので、「いいんだ私で」と自信が出てくると思う。

要するに、自分の生きかたに自信を持ってやっていけばいい、ということだった。だからといって、別に社会をまったく無視したようなことはしないとも言われた。

ただ、私のような毒親育ちには、これが一番難しいことだった。「自分はどうか」を求められることがなく育っているからだ。常に「周りはどうか」を考えてきたため、自分がどうかなんて知らない。それが問題だった。お皿の中にあるだけのものを食べるのではなく、お皿の中にどれだけ入っていようと、自分はどのくらい食べたいのか。このレベルのことから自分を発見していくという作業を考えると、気が遠くなりそうだった。

でも、やらなければならない。ラクに生きられるようになるために、絶対に必要なことだった。

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