変わるということ

ただ、子供である経験をつけることも、自己肯定を身につけることも、やはりそうそうすぐできるようなものではない。

子供である経験が積めなかったために、まだまだ自分自身が子供だから、もう結婚して数年経つけど、今まで子供を持とうと思えたことがなかったのだ。どういう部分を埋めることが必要かはのちのち詳しくわかってくるけど、このときそう思ったことは当たっている。子供が子供を持つとどうなるかということは、自分自身で立証済みだ。自分の子供にそんなことはしたくない。

でも自分の親がどうであったかというと、そこを理解していなかったとはいえ、私と妹の二人の子供を持って、面倒をみて食事を与え学校へ出し、毎日お弁当を作り、生活費だってきちんと稼ぎ、私も妹も一度も放棄されることなく養ってもらった。今の私にはそれはできてないから、そこは立派だと認めざるを得ない。

と言ったところ、カウンセラーからの反撃が。

 「でも、あなただって、ご両親ができないことをやっていますよね。」

え…??

 「大学を出て、海外にまで来て仕事もして、結婚もしてちゃんと生活されてますよね。」

これを聞いて、しばらく固まってしまった。

そして、「そうか、私にもできていることがあるのか…」と思ったとたん、ぶわーっとが一気にあふれ出た。

私はきっと、誰かにこれを言ってほしかったのだと思う。「でも」と否定して、私も彼らが全然できないことをしているじゃないかと、やってきたじゃないかと。もちろんそんなことは言われなくてもわかっていたけれど、でも誰かにそう言ってほしかったのだ。こんなにもなんてことのない、誰から見ても明白なことを。

カウンセリングを受けることで、普通の人には気づくことのできないこういう必要なことを言ってもらえるのが、どれだけ助けになるか。「最初のカウンセリング(CBT)」のところでも書いた通り、共感を示されることで、心のつかえというのは取れていくのだ。人に認めてもらえたことで、自分も自分を認められるようになって、自分も人を認められるようになっていく。そういうことなんだと思う。

こうして、自分が変わっていく。自分が変わることで、その「投影」として、自分の周りが変わっていく。それがまた自分に反映されて、もっともっと自分が加速的に変わっていく。これが、変化の仕組みなんだと思う。

カウンセラーいわく、この「変化」は、日常のふとしたところでやってくるらしい。仕事してるときでも、テレビ見てるときでも、道を歩いているときでも。カウンセリングを受けて、そこで話したことや感じたことが、日常の中で予想もしなかったところでストンと落ちてきて、「ああそういうことか」と実感する。

もちろん、カウンセリングで話をした時点で、どういうものかということは理解している。その「頭」で理解したことを実行していって、「体」で実感することで、自分のものになっていくと。これが「腑に落ちる」ということ。「腑」というのは、「お腹」のこと。人間は、頭で理解したことがお腹に落ちることによって体感し、本当の理解となるのだ。

あとで学ぶことになるけれど、これはヨガの考えかたでもまったく同じ。人間は、頭だけで生きているわけではないのだ。これを理解することはとても難しい。でも、これがわかると本当に身の回りのたくさんのことが理解できるようになる。

そして、この体感が私にも突然やってきた。

数日後、ロンドンで普通にトラムに乗っていたときに、突如として感謝の気持ちがあふれてきた。びっくりした。涙も出てきた。もう1〜2年の間ずっと空っぽで落ちていたけれど、引っ越しという大きな変化を投げ込んでもらい、人の紹介でこのカウンセリングにもつながり、どうにかして私を浮上させようとしてくれている大きな力を感じて、感謝の気持ちが止まらなくなったのだ。驚愕だった。

この「大きな力」というのは、きっと欧米でいえばジーザスなどで、日本でいえば神様仏様ご先祖様だったり、中東だったらアッラーだったりするんだろう。でもそのどれもこれも、スピリチュアルカウンセリングで言われた「人生が手伝ってくれた」や、SAGBで言われた「ひいおばあさんがあなたをいつも見守って助けてくれている」も「Love yourself」も、哲学も心理学も、けっきょくみんな同じなんだと思う。

要は、「自分」だ。

対外的な「大きなもの」とすれば理解がしやすいから、名前をつけてそうしているだけで、要は自分がこの世界に存在していることを実感して、その力を信じること。最終的には、すべてここにたどり着くんだと思う。

このときはまだそこまでわかってはいなかったから、神様仏様ご先祖様に感謝し、天に感謝していた。トラムの中で。いったいなんなのだ。

でも、別にどこでもなんでもいいのだ。電車の中でも、買い物中でも、職場のトイレでもいい。イエス様でもいいし、観音様だっていいし、貧乏神だっていい。大きな力があって、それが自分をどうにかしようとしてくれていること、イコール、この世に自分の人生があって、自分が確かに生きていること、それが実感できればいいんだと思う。

親だけが生きてるわけじゃない。私だってちゃんと生きていた。

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3件のコメント

  1. はじめまして。
    毒親もいろいろありますが、私の親と傾向が似ているようなのでコメントさせていただきました。
    私の親も「衣食住+学」は平均以上にお金と手間をかけてくれましたが、kelokoさんの美術98点のエピソードのような感じの毒親です。しかも、それを、安全欲求に関わるレベルでやります。

    たまに外でアイスクリームなど食べさせてもらいましたが、ああいうものは結構のどが渇くのに母は平気だったらしく、のどが渇いたと訴えても毎回「今、冷たいものを食べたのに、のどが渇くはずないでしょう」と言われました。小学校の頃、同級生の親子数組でダンスショーを見にいったところで発熱し、子供だったので寒いとしか表現できなかったときも「こんなに暖かい部屋で、上着も着たのに、寒いはずないでしょう」です。この時は同行の親たちが気づいてくれましたが、「ほかのお母さんにわかることが、なんで私のお母さんにはわからないんだろう」と、酷く悲しかったです。

    ただ、私自身はkelokoさんより妹さんに近く、大学時代は、自分のバイト代はほとんど貯金して、親からお小遣いをもらっていました。喘息の持病があったのに、安心感どころか不安感しか与えてこない毒親ですから、将来働けなくなった時に備えて貯金貯金です。まだ30代なのに既にバツ2ですが、2度とも、財産分与できっちりいただいたところも似ています(さすがに、茶碗一つまで、という発想はありませんでしたが)。

    毒になる親、不幸にする親、癒しのワークブックは既に熟読していますし、カウンセリングも4年半通ったので、こちらに書かれている「知識」の部分はほとんど知っていますが、解毒はなかなか難しいです。

    いきなり長々と失礼いたしました。
    今年に入って、コミュニケーション経験の不足と人間不信から仕事で息詰まっていたところに、検索でこちらを知りました。少しずつ読ませていただき、解毒作業をしていきたいと思います。

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  2. > 麻希さん

    コメントとご経験談ありがとうございます。そういう現実をきちんと把握できない人すごく多いみたいですが、どうしたらそうなるのか本当に疑問です。人が寒いと言ったら寒いのだし、喉が渇いたと言ったら喉が渇いているわけですよね。うちの妹も同じです、安心感を与えてもらえなかったから貯蓄に走る毒親育ちは多いと思います。私の場合は自立できるような大学を出ることに走りましたが、根本は同じですね。喘息もきっと安心感の欠如が体に現れたものだったのでしょうね。お互いラクになれますように。

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  3. > Tさん

    はじめまして。コメントありがとうございます。途中になってしまっているようですが、体験談ありがとうございます。よろしければ続きをお聞かせいただけたらうれしいです。

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