親と自分の境界線

このころ、全18回のカウンセリングも終盤にさしかかり、そろそろなにか結果というか結論がほしいなと思っていた。でも、あまりにもたくさんの話が同時進行で進んでいて、さらにそれぞれが複雑にからみ合っていて、なかなか整理することが難しかった。

でも、これが「人間」なんだと思う。いろいろなこと複雑にからみ合っている、自分。一人の人間というのは、「これはこう、これはこう」と簡単に説明がつくような、そんな単純なものではないんだなと思った。大半の人はこれを知らないと思う。

人と自分との間の境界線があいまい」という問題については、もう何回かすでに書いた通り、私の中では大きな問題となっていた。たぶん、日本人全体として、とても境界線があいまいな民族なんだと思う。全員がだいたい同じ考えかたでないと許せないという人も多いし、人と自分の区別がついていない人が多い。それがいいところでもあるし、悪いところでもある。昔はいいところであったのに、今は時代や生活様式とあっておらず、悪い方向へどんどん進んでしまっているというのもあるのかもしれない。

そんな境界線が薄い日本の社会の、境界線のない家族の中で、私は育った。

中でも、母親がその最たるものだった。もっとあとになって、なぜ母親がそんなにも私との境界線を無視していたのかはわかるけれど、このときはたぶん、「女に学はいらない」という祖父のもとで育ち、学校へ行かせてもらえず自分のやりたいことができなかった母親が、私を通してそのやりたかったことを実現しようとして、自分と私との間の境界線がなくなってしまっていたんだろうと思っていた。それも間違いではなかったけれど。

母親は、「制服がかわいいから」と私を通園範囲ギリギリの遠くの幼稚園へ通わせ、小学校に上がり制服がなくなっても、ブレザーを着させて学校へ通わせているような、変な上流嗜好の強い女だった。小学校2年生のときに母親の実家へ引っ越し、山の中の田舎の小学校へ通い始めると、それまで通っていたわりと都会の町の小学校とは違い、ブレザーなんか着ている私は男子からからかわれた。

小学校3年生の授業参観では、国語の授業での朗読をやった。当時の私は図書館にこもって本を読んでいるようなダサい読書少女だったので、国語が得意で、教科書はもう終わりまで何度も読んでしまっていた。先生に当てられたとき、私は教科書を手に持たず、好きでもう覚えてしまっていたその詩をそらで暗唱した。谷川俊太郎の「生きる」という詩だ。

その日は家に帰るなり、「周りのお母さんたちみんな『Kelokoちゃん、教科書見ないで言ってるよ、すごいわね』って!お母さんこうだったわよ!」と、母親に言われた。げんこつを鼻に当てて「鼻が高い」という動作をしながら、子供のように顔を紅潮させて、胸いっぱいになってもう嬉しくて嬉しくてしかたがないという様子だった。

当時の私は、「なにか違う」と思いながらも、なにが違うのかわからず、母親のその言動を放置した。

今なら、わかる。周りから「すごい」と言われたのはであって、母親ではない。私のことを「すごいわね」とほめるならまだしも、自分が言われたものとして喜ぶのはおかしい。自分の母親が喜んでいるからいいことなのだろうとは思っても、本当に喜べなかったのはここにあったのだ。「手柄の取り上げ」というらしい。

その後、中学を卒業し、私立のカトリック女子高へ進んだときも、その制服が変わっているのも、「カトリック」という外来的な響きも、母親のお気に入りだった。歴史のある大学へ合格したときも、その後いくつかの職を経て名のある大企業で働き始めたときも、母親のあの紅潮した顔が思い浮かんで本当に嫌だった。でも私は、実家を出て自分で暮らしていけるようになるために、自分の学力で行ける中で一番いい学校を出て、いい仕事を得なければならなかった。母親を喜ばせることが嫌であっても、黙ってそうするしかなかった。

カウンセラーいわく、母親は私のことを「自分の一部」だと思っているんだろうと言っていた。私を通して、自分の人生を生きてしまっているんだろうと。私を一人の人間と見ることができず、私と自分との間にある境界線を取っ払ってしまっているのだ。

だから母親は、私が自分の思った通りにならないことは許せなかった。自分の好きな学校へ私が行ったり、利害の一致していることはいいけれど、自分の意見と違うことを言ったり、自分の思い通りにならないときは、「反抗期」や「親不孝」として勝手に処理された。

ちょうど、私のことを自分のやなにかだと思っているのと同じだ。足が「に行きたい」と言っても、自分の頭が「に行く」と思えば、足の言うことを無視してに行こうとする。それでも足が思う通りに左へ進んでいかないと、「なんで左に動かないんだ!」と頭にくる。「普通は左に行くだろ!」とか「なんで右なんだ!」などと、責める。ちょうどそれと同じ感覚だ。

自分が、私の存在を一人の人間として認められていない問題なのに、私のことを「反抗期」だったり「親不孝」だったりという言葉に勝手に当てはめて、自分の都合のいいように処理する。「子供はわかっていないから」「大人で親の自分が言うことが正しいから」という思い込みに、どんどん陥っていく。

これが、「家庭」という密室の中で起こる「いじめ」であり、「毒親」という外から見えず誰にも止めることができない私的牢獄だ。

そして、生まれてまっさらの状態からこういう悪環境で成長してしまうと、見た目は普通に見えても、体の中に大きな問題を抱えることになる。境界線がない環境で育つと、学校などで多少普通のコミュニケーションに触れることはあっても、根本的に境界線がある普通の状態を知らないため、実家を出ても境界線がない問題を引きずって生きていく。

学校や職場などでは普通のコミュニケーションができたとしても、境界線のない家庭しか知らないため、新しく自分の家庭を持ったときに必ず問題が出てくる。そして、そこで問題の認識ができなかった場合、親にされたことそのまま、自分の子供に対して境界線を取っ払ってしまい、問題が子供から孫へとどんどん連鎖していってしまうのだ。

私の場合は、実家では「なにかが違う」とは思っていた。なので、「学校や職場と家庭はまったく違うもの」として根づいていった。本当に、別人格のようだったと思う。なので、学校や職場では問題がなかったものの、結婚して「家族」ができたときに、夫に対して境界線のない振る舞いをし、そこで自分の問題に気づいた。そこから派生して、他の人間関係でも境界線がなくなっていって苦しむようになっていった。それに気づくことで、カウンセリングへとつながっていったのだ。

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