2度目のSAGB

最初に行ってから、SAGBには年に一度の頻度で行っていた。当時は、言われたことがあまりよくわからなかったけれど、なんとカウンセリングを通して意味がわかるようになってきたことがあった。

2回目に行ったのは、ちょうど気づきのあったころ、前回から一年後だった。このとき、ちょうど気になる夢を何度か見ていて、その理由を知りたくて行ってみた。

ひとつは、朝方寝ているところににゅっと2本の男性の腕が伸びてきて、ものすごい勢いで両腕を引っ張られて起こされるという怖い夢だった。またもうひとつ、「山田さん」という幽霊のおじさんが出てくる夢を見た。山田さんは、グレーの細かいストライプのスーツを着た、白髪交じりのにこにこした眼鏡のおじさんで、銀行の支店取りまとめ部のようなところにいそうな感じ。この人は二度も夢に出てきていて、とても普通の夢とは違う印象を受けたので、いったいなにが始まったのか知りたくなったのだ。

まず女性のスピリットが来て、それはどうも母方の曾祖母らしいということだった。次に来た男性は、父方の祖父。以前、夢に出てきた祖父だ。この二人が中心になって、私をサポートしてくれているという。

私について

聞きたいことがたくさんあるのが見える。何が起こってるのか、どこに行くのか、将来何をしなきゃいけないのか。わからないことが、この数か月でたくさん出てきている。この数か月は私にとって難しい期間だった。新しい人たち、新しいフォーカス、新しいキャリア、たくさんの変化があった。

学校について

いい決断をした。前の職場は正しい場所ではなかった。今年はあまりいい年ではなかった。来年はもっといい年。これからどんどん上がって行く。今の学校は私にとっていいこと。今まで勉強したことも含めて、全てためになる。正しい道に乗っているから大丈夫。これからの2年間でたくさんのチャンスがくる。大きな障害はない。ただ過去は置き去ること。物事が変わってたくさんの人に会って大きく変わって行く。よく働いて才能を伸ばして行く。時間が経つにつれて、もっと責任あることをする。

夢について

引っ張られて起こされたのは、人生に変化があることを教えるため。この数か月は何もなかったけど、それが変わる。行動を始めるように言っている。祖父は働き者で、怠惰な人間が好きではない。早起きをしてあまり夜更かしをせず、もっときちんとした生活をしてほしいと言っている。今は毎日をただ流して過ごしてるけど、これが大きく変わる。何も起こらない時期というのは、その後に起こる変化に向けて、サポートしてくれるスピリットが私のためにいろんなことを整えてくれてるということ。それが今終わって、来年から忙しくなる。

私は夢からたくさんの情報を得ている。スピリットとつながる強い力がある。直感があるのにそれをロジックで片付けようとするが、感じたままに行動すること。私の自分の中の声はいつも正しいから、それに従えばいい。私の見る夢はただの夢ではなく特別な夢だから、もっと訓練するように。私に繁栄をもたらしてくれる。今回出てきた男性(山田さん)も、将来にとっていいサイン。これからもっと先祖から夢の中でサポートとガイドがあるから、心配しないように。

曾祖母、祖父について

私のことを、今までよく勉強してよく働いたと言っている。私は労われる必要がある。「心配することはなにないからとにかく落ち着いて」と言っている。私はとにかく心配性で、いつも「悪いことがあるのではないか」と思ってたり、いいことが続いてても「これでいいんだろうか」と不安になる。心配してるとその心配が本当になるから、心配しないでほしい。自分が思っているよりずっと、将来は輝いている。なにが起こるかわからず心配だから、人生におけるすべてのことが今ここで一度に起こってほしいと思っているけど、100歳でもないんだからしょうがないと曾祖母が笑っている。まだたっぷり時間はあるのだから、少しずついろいろなことが起こっていくのでいいのだと。曾祖母とてもはおもしろい人。祖父も、私がイギリスに来て大きなことを学んだ、それについてよくやったと言っている。

親について

親は全く違う人種で、お互いに理解ができないし、話すと全て悪い方向に出るしいつも緊張がある。今までもずっとこうだったし、それはしかたがない。心配しなくていい。母親は全く違う人間だから従うことはない。私はそこにはまることはできない。

旅行について

これからの数年で、たくさん旅行をする。遠くへ行くこともだけど、週末旅行みたいな小さい旅行も多い。エンジョイしなさい。

とにかく、「心配し過ぎだから落ち着いて」と何度も何度も言われた。私が心配症だということは、ここで言われて初めて気づいたことだった。曾祖母の言う通り、常になにが起こるかを心配していて、将来起こりうる可能性のすべてに対して準備をしておかなければならず、いつかなにかがあるときのための準備だけで毎日を送っていた。

人生80年だろうと20年だろうと、その中でなにがあるかを完全に予測するなど不可能だ。もちろんある程度の予測と準備は必要だが、先にあることばかりを考えて人生が終わるまで毎日をリハーサルで過ごすのでは意味がない。

このときはただ「自分が心配症だ」ということがわかっただけでも驚くばかりの進歩だったが、のちのちこの理由が判明することになって、もっと大きな一歩となる。

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