空っぽな人生

このころ、カウンセラーのホリデーのために、1か月ほどカウンセリングがお休みになった。

このころはなんだかすべてが空っぽに感じていて、先のことを考えると面倒で、死ぬなら今だなと思うようになっていた。なにをしたらいいのかもわからず、なにをしなければいけないと考えるのも面倒で、事故か病気でぽっくりいかないかなと思っていた。自分が空っぽで、なにもなく、ただただ毎日食べて寝て生きるだけだった。食べるために働かなくてはならないなら、面倒だからもう死んでしまいたいと思っていた。

夫のことは、頭になかった。人間関係はすべて、損得で成り立っているように思えていた。夫にも人にも、なにかをしてもらうからしてあげたり、してあげるからしてもらっているだけで、そのすべてが面倒に思えた。「絵画療法」のところで描いた絵の通り、私の中には誰もいなかった。

怒りのあとに、なにもかもが面倒になってしまったのだ。この薄ぼんやりとした「死にたい」という気持ちは、この後かなり長いこと続くことになる。

もう満足して空っぽになっているのだと思うと言えば、カウンセラーに「では次はその満足した状態を維持していかなければなりませんね」と言われた。「もうここで人生終わりがいい」と不穏なことを言ったから、これはまずいぞと思ったのかもしれない。

でも、この状態は維持したいと思えるようなものではなかった。確かにこのときの状況は、家で時間のある仕事をして、広い部屋に住んでと、環境としては満足だったけど、そのまま維持したいとは到底思えなかった。ということは、本当の満足ではないのだろうと思った。

なにか目標が必要なのかもしれないと言えば、なにかを「ほしい」という状況もよくないと言われた。「ほしい」というのは、今はないから「ほしい」なのだと。ということは、現状に満足していないということを示している。

心理学では、「Be here now」という、「今ここにいること」が大事なんだそうだ。今ここでの平穏や幸せを追求し、将来や過去はないと考えるのだとか。このときはまったく理解できなかったけれど、この考えかたはとても大事で、のちにいろいろなところでもっと詳しく学ぶことになる。

カウンセラーに「なにをしたいですか」と突然聞かれて、言葉につまってしまった。自分はなにをしたいのか。考えてみると、すべきことやしなければならないことは次々と出てくるのに、「したいこと」はまったく出てこなかった。ショックだった。

「夫に悪いから会社勤めを始めればいいのだろうか」と言えば、「それは解決にならないし、人に頼ることを許せるようになるのも自分を受け入れる一歩だ」と言われた。人に頼れば、自分もなにかをしてあげなければならない。それが面倒だから、すべてを自分でやろうとする。自分を受け入れられていなかった。人から親切にされても「借り」になってしまうので、なるべく「借り」を作らないように行動していた。これはもちろん、親に「借り」を作ることで散々嫌な目にあってきたことが染みついているからだ。

それに、会社勤めを始めることで、私の夫に対する「悪い」という気持ちは解消できるけど、実際はなんの解決にもならない。

カウンセラーは、「まだ見えてはいないけれど、新しい芽が出てくるときなのかもしれない」と言ってくれた。人の人生というのはたいてい、30年周期で回っていると。

 最初の30年:生まれ、学校に行き、働き、結婚し、子供を産む、といったひと通りの経験をする。
 次の30年 :最初の30年で経験したことをもとに、生きてみる。
 最後の30年:余生を過ごす。

私は今、「最初の30年」が終わったところで、「次の30年」の始まりにさしかかっているところなのではないかと。そう考えると、次があるような気もしてきた。

私が最初の30年でしてきたことといえば、「実家から逃れる」ということただひとつだった。一人で生きていけるよういい仕事を見つけるために大学へ行き、経済学というつぶしの効く学部を選択し、英語を身につけ、経験を身につけ、結婚もして、二度とあそこに戻らなくていいように。

今まで私は、その「あそこに戻りたくない」という気持ちを燃料にして走り続けてきたのだ。そして、いざ自分の人生をどうしたいかと考えたとき、どうしたらいいかわからなかった。なにを糧に生きていったらいいかわからなくなっていたのだ。

毒親のもとに育つと、毒と戦うために労力をフルパワーで費やさなければならないため、自分のために使える力が残らない。残らないどころか、自分のために使わなければならない力もすべて持っていかれるからマイナスだ。戦うことや逃げること、そしてその後に治療し自分の人生を取り戻すことにどんどん時間と労力が吸い込まれていく。普通の親のもとに育った人たちとは、人生のスタートが何十年も違ってしまう。

私は、これが毒親のもっとも許せないところだと思う。

私の最初の30年は、毒親と戦い毒親から逃れるところに目的が置かれていた。自分の人生がまるでなかった。普通の人なら、親からサポートを受けて育ち、完成された大人になって、今度は自分の子供を育てる段階に入るところだ。でも私は、今から赤ちゃんの状態の自分を育てていかなければならない。しかも、自分で。30年というのは、けして埋めることのできない途方もなく大きすぎる差だ。

嘆いていてもなんにもならないが、あまりの理不尽さに呆然とするしかなかった。自分には本当になにもなく、ただただ広がる虚無感に打ちのめされるばかりだった。

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