依存しようとする心

怒りが止まらなくなった私は、カウンセリングでもそれを出し始めた。

不穏なことを言い始めた私に、カウンセラーは不安を見せた。それを見て、心底がっかりした。でも、はっとした。全面的な信頼をよせてはいけないのだなと思った。

生まれてから人間は、親に対して全面的な信頼を持たせてもらうことで、それを支柱にして、いろいろな経験を身につけていく。そのうちに、その親が常にそばにいなくても大丈夫になり、大人になるころには、親がいなくても自分一人で自分を信頼して生きていけるようになる。

親が信頼できない人物だった場合、自分を信頼し、世の中に出れるようになるところまで成長できない。そうなると、親ばかりか、世の中すべてのものが信用できず、365日360°気を配り続けなければならない。そりゃあ歯軋りだってするだろう。

そんな中で、一度少しでも「信頼できそうだ」と思ってしまうと、全身で全面的に信頼してしまうのが、毒親育ちだと思う。たったひとこと、自分のためになることを言ってくれただけで、その人を「いい人」と決めつけてしまう。

どれだけ悪い人だって、たまたまいいことを言ったり、それがたまたま自分にとってとてもためになることだったりすることもあるだろう。でも、たったそれだけでその人を「いい人」と決めつけ、その後その人がどれだけのことをしでかしても、信頼を寄せ続けるようになってしまう。現実を見て判断することができない、バーチャルだ。

私はこれを、親を信頼できなかった部分を満たすために、子供のようになって誰かを全面的に信頼したい、信頼することで全部任せてラクになりたいという欲求が出てしまうためではないかと思っている。

カウンセラーだって、人間だ。判断を見誤ることだってある。もちろん、プロなのだから、ないに越したことはない。でも、全知全能ではない。当たり前だ。信頼できる部分が多いカウンセラーに越したことはないけれど、全部まるごと信頼できるカウンセラーなどこの世にいるわけがない。

自分にとって必要なことを、自分で吟味して利用する。違うと思ったら、違うと言う。もちろんヒントをもらったり助言をもらったりすることはあるけれど、カウンセリングの中心はだ。カウンセラーとの話の中で、つかめるものをつかむのは、自分だ。信頼するのは、そのカウンセラーのプロとしての意識、自分を助けたいと思ってくれている気持ちであって、口から出てくるもののすべてではない。

全面的に信頼すべきは、自分自身だ。自分はもう大人だ。小さくてものごとの判断がつかず、常にすべてのことにおいて緊張して見張り続けていなければならなかった子供のときとは、違う。多少のことは考えなくても自然に正しい判断ができるし、正しい行動がとれる。そして、自分は自分にとってもっとも最善を尽くしてくれる人間だ。この世の中で、もっとも自分が信頼できる人間だ。

私がなぜ親を信頼できなかったのか、そしてこれだけのひどい不安症になってしまったのかは、のちにわかることになる。このときはがっかりした気持ちのほうが大きく、ここまでの気づきはなかった。この「怒り」に関しても、またのちのち出てくることになる。

毒親育ちは「白か黒か」の世界で生きていて、「グレーがない」と読んだ。世の中のほとんどのものはグレーであるにもかかわらずだ。毒親は「決めつけ」が多いので、それを学習してしまったことで起こる現象でもあるのかもしれない。

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