ほとばしる怒り

過去についてカウンセラーに話し始めてから、怒りが止まらなくなった。

喉に問いかける」のところで、私が「怒り」という感情を無視していることがわかったので、出てくるほうがいいのは確かだ。それでも、止められない怒りに、どうしたらいいかわからなかった。

できるなら、日本に行って、両親をめちゃくちゃに殴りつけてやりたかった。どうにかして、私が死ぬほどやつらを嫌っているということを、わからせなければならないと思った。「人と人との境界線」で書いたような悪夢のようなことはもう耐えられなかった。どうにかしてきちんと傷つけてやらなければならないと思ったのだ。

「お前が嫌いだ」という気持ちさえも、なかったことにされるのだ。なぜかというと、それを認めてしまうと、自分たちは自分の子供にさえ嫌われる「悪い親」となってしまうからだ。だから、例え私がどれだけの罵詈雑言を駆使してわからせようとしても、平気な顔をし続け、ここにはなにも問題がないものとして振る舞う。私の怒りはなかったことにされ、私の存在はなかったことにされる。なのに、物理的な存在としての「娘」は使おうとしてくる。

これは、きっと多くの毒親育ちが抱えている問題だと思う。何十年といたぶられ、その怒りをぶつけても、自分がその倍傷つけられるだけで、相手は無傷。自分の怒りが、自分の正当性が永遠に認められることはなく、自分だけが疲弊し、傷を負わされていく。誰にも助けてもらえない。そればかりか、社会システムは逆にそれを助長する。そんな理不尽な環境から抱え込まされる、行き場のない怒り

たちの悪いヤクザが隣に住んでいるのと、似てるのかもしれない。家の前や庭を荒らされても、なかったことにされる。修繕費を明細付きで突きつけても、その倍の修繕費を払わなければならないほどの仕返しをされる。警察に訴えても、ただの近所トラブルでは介入してもらえない。ヤクザも人の前では普通を装っているので、他の人にはわかってもらえない。毎日なにをされるか不安で、落ち着いて暮らせない。それが何年も何十年も終わりなく続く。

自分はちゃんとここに家を持って住んでいるのに、権利もなにも踏みにじられる。その怒りはけして正当と認められることがなく、相手のなすがままいいようにされ、なにも悪いことをしていない自分ばかりがどんどん痛めつけられていく。

たまに自分たちの都合や機嫌がいいときは仲良くしてくるが、気持ち悪くて仲良くなんてしたくない。手土産なんか持ってきても、「だったら謝れ」「金払え」と思い、受け取ったりなんかできない。でも受け取らないと、また近所に悪く言いふらされたり、「こっちが気をつかってるのになんだその態度は」と嫌がらせを受ける。

大人だってそんな環境は耐えられないだろうけど、大人ならまだ「引っ越す」ことができる。これが生まれたばかりの赤ちゃんや、まだ小さい幼児小学生中学生だったら。さらに、そのヤクザがあろうことにも自分のだったら。大きなトラウマを抱え、精神を病むことになるのは必至だ。

私が望むこと、それは「お前らが死ぬほど嫌いだ」ということを理解してもらうこと、ただそのひとつだった。

理解させるために、家にをつけようと思ったり、寝ているところを刺そうと思ったことも何度もあった。でもそのたびに、「こんなやつらのために自分の人生を棒に振ってはいけない、ここを出るまでの辛抱だ」と思って、こらえた。部屋のカーペットや本を切り刻むことでしのいだ。大学を出て、ここを出れば、自分の人生が始まるんだと思っていた。

でもけっきょくあそこを出ても、私はまだ自由ではなかった。が体中を蝕んでいた。

今でも、この怒りはまだ解消しきれていない。これはまだまだ癒やしが必要で、いつ終わるのかもわからず、ときに暴れ狂う気持ちを抱えながら生きている。物理的な距離を置き接触を断つことで、怒りを憶える頻度は極減したが、それでもけっきょくなくなりはしない。解毒して、早くこれを完全にきれいにしてしまいたい。

親の葬式に行かないことや、孫が生まれても見せに行かないことで、この怒りが理解されるのではないかと思ったこともある。でも、それでもわからないのが、毒親の毒親たるゆえんだ。ただの「親不孝な子」ということで片付けられるだろう。

面と向かって、「早く死んで」と言ったこともある。それでも母親は「自分の子供にそんなことを言われるなんて、かわいそう」と、私のことはお構いなしに自己憐憫に浸っていた。

そんなことをいくつもいくつも思い出しながら、どうすることもできない怒りに、苦しむばかりだった。

でも、私のこの怒りは「正当」だったのだ。同じ環境同じ経験をすれば、誰だって私のような怒りを抱え、精神を病む。親に死んでほしいと思い、刺したり火をつけたりしたくなる。

これに気づくことも、解毒への大きな一歩だと思う。

精神的虐待の場合、身体的虐待と違って、虐待の内容が明確でないことが多い。ひとつひとつのことは大したことがないように思え、人に話しても理解してもらえないことばかりなので、自分でも気づかないことが多いし、なにか嫌だとは思っていても、それをうまく説明することができない。モラルハラスメント同様、「自分が親不孝なのではないか」と思ったり、「どうせわかってもらえない」と自分の気持ちを飲み込んだりする。

でもそのひとつひとつのが重なり、津波となると、人や家や山のすべてを飲み込む。それは事実であり、現実だ。

経験した苦しい思いは現実であり、誰にも否定できることのない事実だ。「なにがあったか」で推し量るのではなく、「苦しかった」「苦しい」というその気持ちは紛れもない現実で、事実だということを認識する。自分の経験したことは、自分にとってすべて事実なのだ。誰がなんと言おうと、それを譲ったり否定したりする必要はない。

それが、自分を尊重する第一歩になると思う。

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4件のコメント

  1. おさえられない怒り、よく分かります。私もただなかにいて、苦しいです。何度もぶつけたけれど、なかったことにされ余計傷付くというのも繰り返しています。感情がないものとして扱われるって恐ろしいことですね。苦しいけれど、粗末に扱われると苦しい、という自分の気持ちを感じられるようになって良かったです。

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    1. > メルンカさん

      コメントありがとうございます。お気持ちお察しします。そして本当にその通りで、つらいけれどそれに気づくことが回復への一歩だと思います。私はだいぶ抜けてきましたが、それでもまだ同じことをしてくる人に大きな嫌悪感が出ます。お互い早くラクになれますように。

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  2. 私はあまりネット上にコメントを残すようなことはしないのですが、自分の現在の状況とあまりにも酷似して、思わずコメントしたくなりました。高校生です。私の場合は、「読む前から正当な怒りだということに気付いている」という点だけは、少し違うのかもしれませんが、まったくもって書いてある通りだと思います。ただ、気付いてもどうしようもないんですよね。頭では分かっていても、感じてしまうから心は押し潰される。もう、2年近く普通の日が来ていません。毎日、ぼんやりしていてただ苦しいだけ。周りに理解してくれる人間は一人もいなく、死にたいなんて軽く100回は考えました。しかし、死ぬこともできない。怒りについて調べていて、このサイトを偶然見つけたのですが、同じような境遇の中で必死に生きている人がこんなにいるのだということを知り、非常に勇気づけられました。自分の心が真に開放できる日までの道のりを考えるとあまりにも長く気が滅入りますが、微かながら希望が持てました。本当に本当にありがとうございます。自分を含め様々な境遇の中で地獄を彷徨っている全ての方々が、一刻も早く幸せな日々を送れるようになることを切に願っています!

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    1. > kbkt0220さん

      コメントありがとうございます。苦しい状況にいらっしゃるようですね。先が長いと思うと気が滅入るのとてもわかります。私もカウンセリングを始めたときそうでした。カウンセラーに「最初は遅く感じるけれど、一度進み始めれば一気によくなる」と言われても、そんなこと信じられませんでした。でも今なら本当にそうだったと言えます。本当に、自分もkbkt0220さんも含めみなさん幸せにラクになるよう願っています。

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