妹の結婚

このころ、ちょうど実家近くの友達がイギリスに遊びに来たので、一緒にロンドンを回ったり、ご飯を食べたりした。友達といっても、親と同世代くらいの人。親同士が友達だったんだけど、私が学生のころに初めてイギリスに来たときに、こちらに住んでいる親戚を紹介してくれたりした。うちの難しさも少し知っていてくれていて、私個人とも仲良くしてくれている人だ。

彼女から、実家の近況を聞いた。話は尽きなかった。

私には妹がいて、小さいころは仲もよく、喧嘩もしたけれど、普通の姉妹だった。妹は、高校生のときに彼氏ができた。そのときはまだ、とても仲がよかったので、彼氏を紹介してもらったりした。

はたから見た推測でしかないけれど、妹はたぶん、この彼がすごく好きだったんだと思う。特に、見た目がすごくかっこいいと言っていた。それで、今まで夢に見ていた恋愛が現実になるときがきたと、舞い上がっていたんだと思う。だから、彼の中身が自分の思い通りの人間じゃないことで、イライラしたんだと思う。好きだけど、思い通りにならない。別の人間だから当たり前なんだけど、妹も毒だから、思い通りにならないことは許せないし、受け入れられないのだ。

それでとうとう、一度別れた。「一度」というのは、その後また付き合うことになったからだ。たぶん、別れて数年経ち「彼も成長した」と思ったんじゃないだろうか。それで、この彼と結婚することになる。

私が独立しても、妹とはたまに連絡を取り合っていたんだけど、あるとき態度が急変して、絶縁された。妹はたまにこうして私を悪者にして悲劇のヒロインになり、友達や周りに私の悪口を言いまわり、私に対して突然口をきかなくなったりすることが何度もあったので、また始まったと放っておいた。

結婚するらしいということも、風の噂で話は聞いていたものの、特に本人から連絡はなかった。すると、ある日突然、知らないアドレスからメールが一通届いた。

 「今度、結婚することになりました。あなたは第一親等なので、
  式に出てもらうことになると思います。よろしく。」

そんな一方的なただの独り言メールだったので、放っておいた。

それから一年以上だろうか、そんなことも忘れたころ。壊れて放置していたポストを久しぶりに開けてみると、たくさんのジャンクの中に、一枚の葉書が入っていた。妹からの、結婚式の招待状だった。式の日取りは、三週間後

身内に招待状を送るという行為と、ぎりぎりの通知ということで、「お前は出席するな」ということだと悟った。自分の晴れの日に、姿を現すなということだ。そこで、ご希望通りに「欠席」に◯をつけて出した。

すると、しばらくしてから連絡が来た。二人そろって、私に会いに来ると言う。

会ってみたところ、「妹の結婚式に出なくていいのか」と言ってきた。親のメンツがあったのだろう。「妹はお前に出てほしいんだよ」とか言っていたが、本人からなにも言ってこないところを見れば、明らかだった。当時の私は派遣社員だったから、休めばその分給料がもらえない。出るなという式に、さらにお金をかけて遠くまで出かけていっても、誰も得をしないのは自明だった。だいたい私には、もうこの一家の行事に参加するほどの所属感もなかった。

けっきょく、親は二度も会いに来た。普通の親だったらもちろん、妹に「姉に自分で直接話をしろ」と言うだろう。でも、親は二度目も自分たちがのこのこやってきて「本当に出なくていいのか」と前回とまったく同じことをしていた。親でもなんでもない、ただの使い走りだった。親だというの認識はかけらもない人たちだった。

けっきょく式には出なかったけれど、招待されて出れない場合は電報を打つのが常識なので、これだけはやっておいた。すると、なんと親から「電報ありがとうね、妹も喜んでたよ!」と心を弾ませた電話があった。興奮に紅潮している顔が見えるようだった。驚愕だった。

還暦になろうという人間が、妹の結婚式に、姉が出席せず電報で済ましたことについて、なにも考えていない。驚愕というより、ここまでくるともう恐怖だった。たぶん、あの式で電報なんて送ったのは、私くらいだったんだろう。「電報」なんて日常にはないフォーマルなものをもらって、心がうきうきしてしまったんだろう。恐ろしい。しかも妹からではなく、親から「ありがとう」とお礼を言ってくることからも、自分がもらったと思っていて自分が喜んでいるのは明らかだった。

あとで叔母から聞いた話、親類の間ではこの式は不評だったようだ。妹は、両親と私、そして自分と旦那の友人を教会の式に招待し、親類を食事会に招待したそうだ。常識的に考えると、どちらかといえば親類を式に呼んで、食事会は友人とやるべきだと。確かにそうかもしれないが、あの一家に「常識」を求めるほうがお門違いと思われる。

のちのちつながる話だけど、こんな家で育ったから、私の「常識」やものごとの「概念」は歪んでしまっている。毒親育ちの典型で、親が自分の都合でいいことと悪いことを変えるために、それに右往左往させられて、いつも「いい」か「悪い」かが判断できぬまま、常にびくびくしていなければならなかった。「常識」は「親の都合」であり、その場その場の親の気分や立場によってころころ変わるからだ。同じことをしても、「いい」こともあれば、「悪い」こともある。また、親がしてもいいことなのに、私がすると悪いことに変化したりする。

結果が予想できないから、「安心感」が育たない。大人になっても、安心して人とコミュニケーションすることができず、人がどう思うかばかりを考えながら行動し続けてしまう。これが、私が挙動不審になってしまい、常に勝手に自分を守る作業をしている原因だった。

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