「イギリスへの不満ばかりだった私」

海外情報サイトに記事を載せてもらいましたので、よろしければ読んでみてください。
日本の先入観から解かれて自由になっていく様子が大まかに書かれてあります。

イギリスへの不満ばかりだった私
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「「本当のスピリチュアル」への階段」

最近やったワークで、ものすごい効果が出たものがある。

この本のChapter 3にあった、「(ネガティブな)セルフイメージを書き出す」ワーク。

スピリチュアルの本とはなっているものの、著者のMOMOYOさんは長年に渡り摂食障害を患い心理学も勉強されていて、メンタルの仕組みもものすごく理解されているかた。彼女のYouTubeを見ていても、たくさんのヒントやアドバイスをお話されている。私がカウンセリングでやったことや、心の仕組みのお話がたくさんある。

スピリチュアル系やメンタル系の動画やブログを見ていると、「ポジティブな自分」でいることの重要性について話されているものが多い。「言霊」や「引き寄せの法則」などで言われる通り、ネガティブな言葉を発するとネガティブな現実が実現してしまうので、いつもポジティブな言葉を発し、ポジティブな自分でいましょうというようなもの。

それは、本当にそうだと思う。でも、長い人生で常にポジティブでいられることは絶対にない。どんな人であっても。

ネガティブなときでも、ポジティブな言葉を発することで、空気が変わることもあるとは思う。でも実際、それは一時的なものだ。ポジティブになるには、まず自分の中にあるネガティブを出しきることが先決。ネガティブがあるままでポジティブを演じていると、本当のポジティブになれないばかりか、自分の中に抑圧されたネガティブがいつか爆発することになる。

カウンセリングでも、やってきた。親に対する「ほとばしる怒り」をカウンセラーにぶちまけ十分聞いてもらうことで消化し、「怒りを癒やす」。そこまできて初めて、次の「自分を癒す」段階に進んでいける。親に対する怒りを抱えたままでは、本当の意味で自分に目を向けていくことはできないし、無理やり進もうとしても無駄になる。

生きづらさを抱えている人で、まだ自覚のない場合、最初にスピリチュアルや占いなどに向かう人も多いと思う。無意識の中では、自分の中にあるネガティブに気づいているのだけれど、本能的に向き合うことを避けるから、スピリチュアルや占いとしてふわっとしたものに向かう。解毒の初期段階。ずっと前に江原啓之さんがあれだけ人気になったのは、これだと私は思っている。自分とはまだ向き合えないから、先祖の話、守護霊の話、前世の話として、受け入れやすい形から入る。「ブランド嗜好」で書いた通りだ。

スピリチュアルでも心理カウンセリングでも、行き着くところは同じだと私は思っている。「人生を幸せに生きること」、どちらもこれを目指しているからだ。幸せに生きるには、自分自身と向き合う必要がある。好きな自分も、嫌いな自分も。それを可能にするツールはたくさんあって、スピリチュアルも心理カウンセリングもそうだし、ヨガや鍼灸整体(メンタルの不調は身体に出るので)、ヒプノセラピーに、その他もろもろ。宗教だって、出発点はそこだった。

どれをやっていても、ネガティブな自分と向き合っていない人はすぐわかる。「いつもポジティブ!」みたいなことを言っていても、ネガティブを抑圧しているだけであれば、幸せそうではない。自分を抑圧している人は、人を抑圧したりマウントをとろうとしたりもする。

試しに、「私は素晴らしい!」と言ってみる。心からそう思えていなければ、なにかある。それを無視して、毎日「私は素晴らしい!」を繰り返していても、前には進みづらい。なにがあるのか、掘ってみる。出てきたものを、並べて見てみる。それが、この本に書いてあるワークだ。

なので、まだ親に対する怒りが強い人は、このワークには向かない。「解毒の段階」や「毒親からの回復の段階」でも書いたけれど、解毒はざっくりと下記のような感じで進んでいくと思う。このワークが向いているのは、少なくともの段階にいる人か、4の段階に移りつつある人だ。

1.自分が生きづらいことを認識(否定していたけれどできなくなり認識する)
2.それが育ち(親)のせいであることを認識(否定していたけれどできなくなり認識する)
3.親への怒りを十分ぶちまけ出し切る
4.自分の回復に向かう

自分が3の段階にいるか4の段階にいるかは、毒エピソードに引きつけられるかどうかを見てみるといいと思う。「化粧水」や「化粧水ふたたび」みたいなエピソードを読んでみて、「そうそうこれ!!うちはね、」と文句をぶちまけたくなってきたら、3の段階だと思っていい。私も3の段階にいたときは、いろいろな人の毒親体験談を読み漁り、毎日のように怒りと涙に明け暮れていた。そしてそれをカウンセリングでぶちまける。この段階はとても重要。ここを十分やってから、4に進む。

3の親への怒りは、親だけでなく、日常的に関わる人に対して出てくる。たとえば、上司や同僚、配偶者、友人、子供など。実は出てくる怒り全般がこれに該当するので、怒りが出てきたらなんでも掘ってみるといい。なにが原因かがわかってくる。それがカウンセリング。自分ではなかなか原因に気づけないので、プロの手を借りる。慣れれば自分でもできるようにはなってくるけれど、人の視点、それもプロの視点はやはり大きな頼りになる。同時に話も聞いてもらえるので、ぶちまけさせてもらうことができ、解消が早くなる。

やりかたがわかってくれば、日常的に出てくるものを自分でも消化していく。それがこのワーク。ポジティブではなく、ネガティブに焦点を置いたワーク。これは、スピリチュアル系の本ではほとんど見ない。MOMOYOさんだからこそであると思う。

スピリチュアルが苦手だというような人は、他のChapterをすっ飛ばしてここだけ読んでもいいと思う。自分の中のネガティブなセルフイメージの見つけかたを読んでみて、それをやってみる。

4の段階にいる人に向いているものの、1〜3の段階にいる人でも(1の人がそもそもこのブログに行き着くことはなさそうではあるけれど)、やってできないこともないとは思う。ドMの人や、私のようにOCDで、神経質でとにかくきれいにしないと気が済まないという人は、特に向いているはずだ。表面をきれいにしただけでなく、きちんと根本的にきれいにしないと気が済まない人はすごく向いている。実際、私もそれでここまでやってきた。「嫌いなところも役に立つ」。だめだと思う自分でも、要は使いようなのだ。

実は、以前モニターを募集させていただいた「シータヒーリング」も、このネガティブなセルフイメージを見つけ出すワークになる。クライアントの中にどういうネガティブがあるかを見つけ、それを解消していく。OCDな私は、これを見つけるがとてもうまい。なので、このヒーリングにとても向いていた。本当は、リーディングをしてなにが根っこになっているかを見つけるのだけれど、クライアントの話の中から根っこを見つけていくことはある程度できる。本当に、要は使いようなのだ。

嫌いなところも役に立つ

人を尊重し受容する」や「感謝が勝るようになってきた」でも書いたように、ものごとは白黒どちらかではなく、二面あるということを日々学んでいる。

これは、数年前から興味を持って本を読んだりし始めたホロスコープで、はっきり頭で理解した。たとえば、火星というのは「情熱」とか「勢い」といういい面もあるけれど、同時に「猪突猛進」のような、危険な面もある。天体も、星座も、どれがいいというのはまったくなくて、それぞれにいい面と悪い面がある。場面によって使い分けたり、バランスが重要だということだった。

これは以前やっていたヨガで勉強した、チャクラの考えもそうだった。「チャクラについて」で書いたけれど、たとえば第一チャクラのムーラダーラ。これは物質的な肉体を表す。バランスがとれていると、健康で活力がある。簡単な例で言えば、ここのエネルギーが過小であれば低体重、過剰であれば肥満、など。

就職活動のときにやった、自己分析でもそうだ。細かいところまで正確に仕事をやろうとするのはいいところだけれど、それが過剰になれば不安で何度も何度も確認して仕事が進まなかったりもする。いいところは悪いところにもなりうる。ものごとは必ず二面ある。

そんなことは言っても、自分で嫌なところは嫌だった。たとえば、うまく話ができないところ。きちんと考えて話さないと、特に英語となると、なにを言っているかわからなくなってしまう。自分がセッティングした会議で、なにから話していいかわからなくなり、みんながシーンとしているところでさらに焦り、必要もないことを話し始めてしまったりして、ものすごく落ち込んだことも何度もあった。

キョドる自分が、恥ずかしくて、許せない。スマートに対応できない自分、相手に居心地の悪い思いをさせてしまう自分。でも、なんとそれが役に立ったと感じられた事件が起こった。

一緒に仕事をしている人が、人の言いたいことを汲み取ったりうまく話をすることが本当に上手で、私がうまく話せないこともすぐ理解して言い換えてくれたり、いつも会議をリードしてくれたりしていた。人に教えるのもとても上手で、考えもせず順序立てて話をするし、忍耐強く、「じゃあこっちを見てみましょう」などの合いの手もうまい。お子さんがいる人なのだけれど、きっといいお母さんなのだろうと思ってしまったりする。小学校の先生とか天職なのではないかと思う。

そんな彼女が、新しく入ったイタリア人の男の子にめちゃくちゃ好かれたようだった。彼は声が大きく目立つのだけれど、感情的で、境界線がなく、すごく繊細な人で、彼女のようにいい対応をしてくれたり、上手に自分の話を引き出してくれる人にどんどん依存してしまっていた。しょっちゅう彼女に話しかけに来ては、けっこう言いすぎなことまで言うようになっていった。

しばらくして、その二人が接触厳禁になった。詳しいことは知らないけれど、どうも彼のほうがプライベードで彼女にメッセージを送りまくったりしてしまったようだった。人事まで話がいって、大変だったようだった。

だけど、周りはなんとなく、「彼女のほうがもっとしっかりしなければいけない」というような空気になっていた。なぜ?!?!?!!と思う。ひどい話だ。

彼女はこの会社で長く、管理職ではないにしろ、リーダー的な役職についていた。彼のほうは私と同じように去年入社したばかり。それもあって、「彼はまだ若いんだし」「イタリアの田舎から出てきた人だし」と周りは言う。

そんなの、おかしくないか???イタリアも田舎も馬鹿にしているし、若いって言ったって、彼女とほぼ同じ歳。彼女が「プロフェッショナルに対応しなきゃいけない」というのなら、彼のほうだって「プロフェッショナルに仕事しなければならない」ではないか。同僚にしつこくメッセージを送ったりするような社員に、「若いんだし」で済ませるとはいったい???

私も、彼はちょっと苦手だった。イタリアの話をしたり、おいしいものの話をするのは、いい。でも境界線がないところに、本当にイライラさせられたりしていた。

たとえば、チームのみんなで旅行に行こうという話があったとき。彼がプランを立てて仕切ると言い、みんなに出欠の確認がきた。私は一人暮らしを始めたばかりでお金を使いたくなかったので、飲みに行くとかなら行きたいけれど、旅行はちょっとと思い、返事をためらっていた。

数日後、彼から社内メッセンジャーで話しかけられて、どうするか聞かれた。ちょっと言いにくかったけれど「お金を貯めてるから今回はやめとく」と正直に返すと、「そんなにお金かからないよ!」「楽しいよ!」「Kelokoにも絶対来てほしい」と。

ぞぞぞ、ときた。

「No」と、言った。でも、それがわからない

自分の話を、無視されている。自分が言っていることを、なかったものにされている。「化粧水ふたたび」で書いたような、親のトラウマが蘇る。

もちろん、今はもうこの程度では、心臓がキューッとなったりバクバクしたりすることはない。ただ、ものすごくイラっ!!!!とする。

彼は境界線がないから、人は自分と別の人間だということを知らない。人はみんな、自分と同じ考えだと思いこんでしまっている。だから、人がなんと言おうと自分のやりたいようにしようとしてくる。人を尊重できない。

イラっとしたこともあり、丁寧な対応をやめ、別の話をして逃げた。よっぽどいろいろ言ってやろうと思ったけれど、とにかく離れた。

それでも彼は追ってこなかった。なぜか。私と長くいると居心地が悪いからだ。

私は、キョドる。彼はいろいろな人に話しかけるけれど、私は途中でキョドって話がつながらなくなる。お互い笑顔が引きつって、「じゃあまた」と彼が離れていくことになる。そういうところで、たとえば前出の彼女だと、上手に話をしてあげるのだろう。だから彼はそれに依存する。

でも彼は、キョドる私に対しては手に負えなくて、「じゃあまた」と離れるしかない。長々とそこに居続けても、自分が居心地の悪い思いをして、どう離れようかと計算し始めるだけだから、あとを追いたくないのだ。

天地を覆す、画期的な発見だった。「すごい!!!!!」そう思った。

キョドる自分が、嫌いだった。恥ずかしかった。許せなかった。上手にできない自分が嫌だった。

でも、嫌なやつが追いかけてこない。なんて使えるテクニックだろう!そんなすごいテクニックが、なんの努力もなしに天然で身についている。自分はなんて素晴らしい能力を持っているのだろう!!

びっくりした。衝撃だった。

相手にナイスに上手にいろいろしてやれなくていい。そんなことをしていたら、彼のような人が、ヒルのように群がってひっついてくる。キョドっていいのだ、「変なやつ」と思われていいのだ!!!!!

ものごとには、必ず二面ある。いいところもあれば、悪いところも。嫌いなところでも、いい面もある。それをお腹の底から体感した。

想定外(の素晴らしいこと)を想定した結果

そして、引き渡しの当日。

どんな人が来るかとバクバクしながら待っていると、ドンドンドンドン!!!!とドアが叩かれた。びくうっ!!と飛び上がり、ひと呼吸のあと、普通の笑顔を作り、意を決してドアを開けた。

すると、そこには。ファーマーみたいなガテン系の、つなぎのおじさんが立っていた。

警察署が近くて、家の前はしょっちゅう駐禁を取られるので、あっちに車を止めたほうがいいと誘導した。「お、ここが空いてる!ちょうどよかったな!!」とガハガハ明るく笑って車を止め、ドカドカと家に入ってきた。

箱から出して、電源を入れてきちんと起動するか確認し、じゃあ支払いをとなったとき。

パソコンある?」と。

は??????

この人、初対面の私のパソコンで、自分の銀行口座にログインするの?!?!?!?!

びっくりして、声が出なかった。「あ、あります。。。」とやっと言い、買ったばかりのノートパソコンを部屋から持ってきた。

「小さくてよく見えない」と言うので、私がChromeを立ち上げ、おじさんの銀行サイトを開き、ログイン画面に。ログインIDを書いた紙を渡されたので、私がご入力。パスワードジェネレーターでおじさんが出したパスワードを、私がまたご入力。え、ほんと???本当に??????

さすがに金額はと思ったので、そこはおじさんに入力してもらい、私が自分の口座情報を入れて、私がご送金。

着金するまでじゃあタバコ吸っていい?と聞かれて、庭に通した。

私も同行し、自分の携帯ですぐ着金の確認ができた。何度も画面を確認して、ほっとした。

おじさんが一本吸い終わるまで、世間話をした。

業者の人なのかと思って、「パソコンはお店に出すんですか」と聞くと、いやいや自分用だよと。建設会社で働いてたんだけど、足を悪くしてバスの運転手になり、今はそれも退職してゆっくり暮らしているのだと。パソコンもやるのだけれど、画面が小さいとよく見えないから、こういう大きなiMacを使っていて、それが古くなってきたから新しいのがほしかったんだと教えてくれた。

こんなでっかいiMacを使うなんて、アート系の仕事をしている人とか、実際に問い合わせがあった中でも学校の先生がいたりしたので(イギリスの学校ではもう黒板とかでなくプレゼンなどで授業が行われるので)、まさかただ単に「大きい画面」を求めてiMacを買う人がいるとは思いもしなかった。たしかに、そういう需要はある。特に、これからの高齢化社会では。

このiMacをどう使っていたのかを聞かれたので、最初は夫が仕事で一年くらい使っていたけれど、そのあとは私が家でブログを書いたり、画像や動画を編集するのに使っていたと答えると、「一番いい用途だ」と嬉しそうに言った。会社などのヘビーな用途でなく、家で使っていたというのは一番摩耗(?)が少ないと。いい買い物だ、ありがとうとにこにこして言ってくれ、私も嬉しくなった。

本当に、いい人がもらいに来てくれた!!!!びっくりした。

じゃあありがとね!とおじさんが出て行ったあと。パソコンを見て仰天、おじさんはログアウトもせず帰っていっていた。ログインされたまま、おじさんの残高がまるまる見えている画面を前に、もう衝撃も衝撃すぎて呆然とした。

だってこれ、今私が自分の口座にお金をそっくり送金できる。私が悪い人だったら。

でも、おじさんはそんなこと考えてもいないのだ。私がどんな人間か。用途に嘘をつくことだってできたし、電源は入るけれど全然動かないパソコンを売りつけようとしているかもしれない。でもおじさんは、そんなこと心配もしていない。あんなに安心してやってきて、私を見て、大丈夫だと思い、ほしいものを手にして、帰っていった。私が女だというのもあるだろうし、大人しそうなアジア人で、無茶をしなさそうということはあるけれど。

あんなに心配していたのに、こんなに安心感たっぷりの、めちゃくちゃ安全な買い手がやってきて。

本当に、衝撃の衝撃だった。身体から一気に力が抜けた。おじさんの口座からログアウトをして、笑いがこみ上げてきた。

今までずっと、あの親のもとでいつも、どんな悪いことがあるかと最悪の想定をいくつもいくつも常に頭の中に並べて、生きてきた。夫といたときだって、そうだった。いつ話をすればいいか、どう言ったらきちんと理解してもらえるか、こうきたらこう返そう、どうくるだろうと。突然「150ポンドだよ」などと言われるのではないかと、びくびくしながら。

でも私はもう、そこを出たのだ。コミュニケーションにそんな不必要な労力を要し、わけのわからない結果を突きつけてくるような人はそうそういないということがわかったのだ。そして、会社でもこうして私生活でも、考えもしなかった最高の結果がいくつもいくつも現れる。

そうか、結果というのは、想像もしない悪いものばかりではないのだと。

自分では想像もしなかったいいことも、まったく同じ確率で起こりうるのだと。

やっと、バランスのいいものの見かたができるようになってきた。悪い結果は50%、あとの50%はいい結果。どちらも半々の可能性。そう、半々なのだ。なのに今まで、悪いことばかりが必ず起こるような気持ちを抱えて、不安ばかりでずっとずっと生きてきた。

前夜、パソコンに話しかけたのがすごくよかったように思った。自分で自分に「大丈夫だよ」と言い聞かせても、本当に「大丈夫」という気持ちで言うことも難しいし、なかなか安心することはできない。でも「パソコン」という自分の外にある対象に声をかける形式にすることで、なんとなく素直な気持ちで「大丈夫」と言うこともできたし、それをすんなり聞くこともできた。これはいいテクニックだ、そう思った。

これからはこうして、半々を想定して生きていこうと、というかそう生きていくのだと、そう思った。想定外のいいこともあるから、気にせずいこう。本当にもう最悪で死ぬようなことというのは、なかなか起きるものでもない。そればかりを想定して不安に生きるのではなく、「もしかしたら想像もしないようなめちゃくちゃいいことが起こるかもしれない!!」とポジティブに。